恐怖から脱出するとき
拝啓
何度も別のことに書き変えようとして、結局最初に書いた文に戻ってきた文です。
人生、それは恐い。わたしは今日、生きていることが恐くなりました。恐くないことは、想うことぐらいです。
行き止まりに目を向けたら、いつだって簡単に、この瞬間から八方塞がりになれてしまう。そんな気持ちになる。
命だけが続いているのに、生きることは終わった。生きる必要もなくなったような、そんな世界にぶん投げられたような感じになることが、わたくしには、よくあります。
想像を超える良いことが未来にあるかも知れなくても、想像の範囲内になっている自分に、がっかりしているのかも知れない。
叶えていない夢に閉じ篭っているわけにも、叶っていないことを叶ったつもりになるわけにも行かないと思うと胸が痛いです。
毎日起きて眠って、欲しいのは結局「君の笑顔」みたいなことになり、誰かが愛してくれたことがある、それもただの偶然で、わたしである意味はないのかも知れないだとか、
こんな風に悉く自分に辛辣な日は、怖いから、怖がらなくなる言葉を、わたしは知っているから、この言葉は、わたしと同じような感じになる人には効くから、残して行きます。
封筒は、あと10通分です。
決めた日数は、あと729日です。
いきなり大きなものが知らん顔してても、そんなに落ち込まないで、大きなものは実はそんなに大きくなかったり、本当に大きなものは自分がどこにいるのかわからなくなったり、しますし。
面白い世界の、素直な光の種を、一緒にしてくれますように。
草々不尽
令和4年2月17日 木曜日付
Y.J
11.729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす
難しいです……。