安達 粒紫

文章書くことと、絵を描くことが好きな人 、画家。 コロナ禍で絵も描けなくなりつつある…

安達 粒紫

文章書くことと、絵を描くことが好きな人 、画家。 コロナ禍で絵も描けなくなりつつあるので、 好物の文章作成を。 下手ですが Twitter=https://twitter.com/tatararara

最近の記事

無神経

私はマッサージ、あるいは按摩、または指圧が出来る。 他の方向から言えば得意と言われている。 今日も祖母に脚のマッサージをした。 いつも通り――――いつも通り好評だった。 そして祖母のマッサージの途中であったが、横で親戚のおばさんが母からマッサージを受けていた。 同じく脚を。 母のマッサージは悪いが見よう見まねで肩にならまだしも、脚となると下手としか言えない。 だが、おばさんは、菩薩の様な心で「気持ちいいねえ」と言っていた。 祖母のマッサージが終わった私は、母と

    • 1000文字強は短編か?

      ところでこのシリーズ最初に書いた 「3千円くらい出しなさいよ!!!」だったか。 あれはどうやら出さないということで決定しているらしい。 「そんなにお金を出すのが嫌なんだね…」 と娘が言ったところ 小声でおうと言って、こくんと頷いた――――もっともこれは目撃者が僕だけだったから信用されているのかどうか、わかった試しがない。 だが僕としては見たという事実は、あまり揺るがせたくないわけだ。 だから(とうとう言っちゃったか…)というようなバツが悪い気持ちも―――忘れるま

      • 書き出しの勢い雲散霧消

        前回の続きになるが、認知症になった祖母のことだ。 そう認知症―――医者からそうであると太鼓判を押されたし、なんならゆくゆく入ることになろう施設まで決まっている。 当たり前だろうが、その認知症の進行を遅らせる薬が処方された。 前回、祖母の認知機能の低下によって引き起こされる数々の事件を列挙したが、今回も大方そうなりそうである。 量の大小は書いてみないと解らないが…。 とりあえず(とりあえずと書いたのは、認知症の家族を持つ―――介護をする家庭ではごく当たり前の事を羅列し

        • ついったーがわり

          Twitterをやっているが、何か記すなら(自分が、まともなものを書いてるかどうかは知らない)こういうサイトだと思って、こっちに書いている。 で、さっそく駄文を表していくと、敬愛している東野幸治さんがInstagramで「響け!ユーフォニアム」シリーズを観た、あるいは観ていると、報告していた。吹奏楽部――――のいわゆる部活ものだ。 なるほど、これは最近、私も偶然、観賞したばかりだ。 東野芸人は、「飛鳥先輩!」と誤字をまじえて感想を連ねていた。 本当は「あすか先輩」であ

          介護対象者に対する好悪

          前回の続きを沢山書くつもりであったが、そういうわけにもいかない――――という心境になったので、その理由のある、後に書くほうの祖母の事を書くことにする。 この祖母がまあ問題を色々抱えていて…つまり性格に難あり、というわけで身内からは見放されてはいないが、仲良くされてもいない。 あまり詳しく書くと血族的に問題があるので、僕がされたことを書こう。 といっても 僕は、――――何と言ってもお金の喪失時の犯人にされてきた 祖母はどういう表現が問題にならないかわからないが、もう書

          介護対象者に対する好悪

          今日はもういいやと思うまで身近な介護問題を書いた

          (フィクションかノンフィクションか想像にお任せします) 最近は介護について思いを馳せる事が増えている。 僕は孫の立場でそれを眺めているだけだが勉強になる。 と言うのは外面を整えたとき用の言葉で、醜くも怒りもすれば、幻滅もし、喜ぶという事は無い―――あまり。  僕には両祖母が揃っている。一応と言ってはいけないが一応揃っている。 両祖父はお察しの通り、逝ってしまっている。 まあ、それはいい、それはいいのだ。(祖父たちは幸せに逝ったと思っている。) 問題は介護問題だ。

          今日はもういいやと思うまで身近な介護問題を書いた

          サーモン

          全く作家というやつは、おかしなものだ。 次の作まで数年開いたりすると、もうそれは、考察されつくし、いざ発表、それみろ、鑑定と同じことが書いてある、評判が出た晩、その作家は赤面し、近くの川に、その身を―――と言うのは大げさだが、まあそういうところがある。 というのは、昔の話だろうか? 『デンキ街の本屋さん』では、ネットで話の行く末を検分されつくし、血反吐を吐きながら(ちょっと記憶があいまいだが自分の都合のためこうしておく)出版した渾身の一冊、みたいな表現が出てくるが、それ

          雑記・ネイチャー駄文その3

          Twitterで相手を煽るときか何かに貼る画像で、「あまり強い言葉を遣うなよ」→「弱く見えるぞ」とか何とか言うのがあるのは、ご存知の方も多いかもしれない。 で、だ。私は拙作「メールのやりとり」で名前を出した作家の書いた評論を読んでみた。 日本と宗教の事を話していたのは、同じことを考えていた身として……それはまあ本当に全く、どうでもよい。ただ、似た事を考えていた。―――似た事を?私はその人と全然違う方面から、この問題を何となく思っていたので、それは違う。 ――――本題へ帰

          雑記・ネイチャー駄文その3

          メールのやりとり・フィクション

           無駄な―――と言ってしまえば語弊が生ずるかもしれないが、君と僕の間柄だ、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。 なに、急にメールが送りたくなったのだ―――というのも理由の一端である。 ………ところで手紙もいいかもしれないとちょっと迷ったのだが、やはり手間だ。 このアドレスが生きているなら届く事だろうと思って書き始めている。 単刀直入に訊くが君は最近何をしているのだね?―――これが本心だ。 バレー部で汗を流した日々はもう、記憶からお互い消えかかっているのは同じだろうが、あの印

          メールのやりとり・フィクション

          A先生

          あれは学校で1年生だった時だ。 帰りの電車でA先生とご一緒になった。 私は、嬉しいやら緊張やらで、追い詰められたネズミみたいになってしまっていた。 そういえば、興味の埒外にいる、と言っては失礼だが、そんな友達がまた一人一緒にいた。 その友達も同じく、不意に眼前に現れた先生にドギマギしているようだった。 つまり三人で、少なくとも先生以外は、心臓の鼓動が遅くなることのない電車下校が始まったのだ。 状況は学校の第二校舎とでも言えばいいか、繰り返しそこからの帰り。そして車

          人間っていいな?・ネイチャー駄文の2

          3 「人は生きているだけで価値がある」とはよく言われますが、そういう綺麗事は脇に置いて、どうすれば自分を良く見せられるかを考えて生きたほうがいいのかもしれません。―――という文章に接した時にあなたならどういう考えが浮かぶだろうか。 まあ、それぞれ好きに考えるがよい。 私がなぜ載せたか?…上述のこれは今、流行りの人の言葉だが、私の記憶が正しければ過去おなじ事を言った人がある。(まだ健在である。) そればかりではない、(こっちを元々は言いたかったのだが)、人間の根源的なと

          人間っていいな?・ネイチャー駄文の2

          希死念慮・架空ヴィジュアルの15

          ―――翁は『モンスター娘のお医者さん』というのを観ていた。――― ―――と、同時にあとどれくらい生きられるのか…年金生活の身にもなった、戸張翁は達成と寂寞、どちらも痛覚を同時に刺激されるかのように感じていた。『医者もの』というアニメーション作品を観てる関係上、年齢的に過去を振り返りがちになるのは当然のべしかもしれない…。―――実は最近、翁は調子が悪かった。…眠れないのだ。『医者もの』を観ていると、この前、診察に行った時の、かかりつけ医のあたふたとした口調が思い出される。戸張

          希死念慮・架空ヴィジュアルの15

          ネイチャー駄文その1

                         1 太陽の下に新しきこと無し、と紹介文に書いてあるはずである。 これを横文字にすると、 Es geschieht nichht Neues unter der sonne. となる。 ドイツの諺ということになっている。 早くもこの段階で焦りの様な気持ちが湧いた方もきっといることだろう。 私の作品に『解禁インテリ・リハーサル』というのがあるが、大なり小なりインテリ的知識に……もう一度言えば焦った事のある人に向けて書いてある。 まあ、

          ネイチャー駄文その1

          いじめ・架空ヴィジュアルの14

          ―――翁は『亜人ちゃんは語りたい』という、亜人がメインであるが、その亜人と教師とのコミュニケーション・コメディとでもいうべきような作品を観ていた。 (面白い…)没入しつつあった。しかしながら、やはりこの作品にも安住できる場所は容易には見つからなかった。―――― ――――戸張翁の意識は『亜人ちゃん』の高橋という教師と同じ、現職時代へ落ちていった。―――― ――――【戸張の現職時代】 寡黙に今日も通信制高校の廊下を歩いていく。目的地は職員室とも呼べない生徒の受付も兼ねた事

          いじめ・架空ヴィジュアルの14

          怒りに任せて書いたの図

          余は怒らざるを得ないという目にあった。 余の尊敬する、暇川老人という、現代で生きながら文豪と称された、尊敬する立派な先生を小馬鹿にされるという事件が発生したのだ。 いやきっと、あれはハナから暇川先生のテーマさえも解ってないのだ。 証拠に、こんなに余が怒っている。 解らない…虻川先輩は何故あんなことを言ったのか…。 確かに暇川先生は若くして自死された。 それはもう現代と言えども5年も前の事だから…。 ただ、先輩は「才能が枯渇した」と言ったのだ。 余は俄然怒った。

          怒りに任せて書いたの図

          姪・架空ヴィジュアルの13

          ――――翁は『俺を好きなのはお前だけかよ』というアニメーション作品の感想ブログ記事を書こうとしていたが、なかなか筆は進まなかった。―――― ――――それもそのはず…と表せばいいだろうか。翁は、その観賞時点の過去の思い出などを作品を通して芋づる式に思い出していた。―――― ――――戸張翁は、『俺好き』をリアルタイムで観たわけではない。ただラブ・コメディというジャンルの好きな為めに、必然的に、この一品を配信サービスで観て、消化したに過ぎない。―――― 云々 このひまわりと

          姪・架空ヴィジュアルの13