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【映画 14歳の栞 感想】タイムマシンであり、もしもボックスである映画

私は現在24歳。14歳というとちょうど10年前である。

中学生時代が10年前って、なんだかすごく驚いた。まだ5年くらいしかたってないと思ってた。

以前観た『14歳の栞』は、とある中学校の2年6組の3学期に密着したドキュメンタリー映画である。
観たの1年くらい前だと思うが、再上映されるということなので感想を書いておこうと思う。

映画の中の中学生たちと同じ、「中学2年生の3学期」の私といえば、絶賛不登校開始していた。

私が過ごせなかった、過ごさなかった「中2の3学期」ってどんなもんだ。と、怖いもの見たさみたいな気持ちもあった。
不登校にならなければ体験できたかもしれない空気を、体験してみたい。
だから私はこの映画を観た。

……という気持ちもあるが、エッセイを読むのが好きな私はドキュメンタリーも好きである。人の人生を合法で覗き見できるって素晴らしい。

この世界に確かに存在している人の人生。すんごく仲良くならないと垣間見れないのが普通だ。

そんなこんなでワクワクしながら観た映画である。


しかし。

画面酔い検定があれば一級が取れると思うほどの私。
ドキュメンタリー映画とはとことん相性△である。

つまり、画面酔いして本編の3分の2ほど目を瞑っていた。目を瞑っても酔い続けたので内容半分しか頭に入ってない。
制作陣にも、映画に出てくる中学生にも、みんなに対して申し訳ない。

なので、映画を聴いた私が思ったことをつらつらと書こうと思う。




14歳の栞通信(観た人に配られる)には、この映画はタイムマシンだと語られていた。

あの頃どんなことを考えていたっけ。
どんな大人になりたかったっけ。
そんなことを考えさせられた。

私は、この映画はタイムマシンと同時に、もしもボックスでもあると思った。

ドラえもんの道具のひとつ、もしもボックス。
「もしも〇〇だったら」
「もしも□□してたら」
そんなもしもを叶えてくれる(私はどこでもドアの次に欲しいと思ってる)。

そんな感じで、私は「もしもあのとき不登校にならずにすんでいたらどうしていただろう」とか、「もしも私がこの映画の2年6組のひとりだったら誰と仲良くなっていただろう」とか色々考えた。

もしも14歳の私がこの映画を観たらどう思っただろうかとも思った。(ほんとにどう思うんだろう……?)

14歳って、当時は自分のこと大人だと思っていたけど、今思うと子供だよなと思う。
でもきっと34歳の私は24歳の私のことを子供だと言うと思うのだけど。

当時の気持ちを持ち続けるのは難しくても、当時の気持ちを忘れないでいることは大切だと思う(持ち続けると忘れないは少し違う気がする)。


ドキュメンタリー映画という特性上、たくさんの人に観てほしいとは言えない。
映画の中の、同じ現実を生きる彼らのことを考えられる人に見てほしい。

その上で観た人には、タイムマシンで14歳の自分と出会いつつ、もしもボックスで「もしも」を想像してほしい。

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