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幼さを付き添わせる

自分はここ数年「職」っていうものを結構なスピードで何度も変えてきた。
そしてその度に「仕事」についての価値観を考えさせられてきた。

そこでいつも思うのは、自分の考えはやっぱりいつでも狭いんだなってこと。そして自分は自己満6割くらいで仕事をしているんだなという事。

自己満6割がほかの人のためになっていると思ってやっているけど、果たしてそれは、、、
と言われるとそれも他人の受け取り方だからで終わるから、自己満6割くらいが今のところちょうどいい塩梅なんじゃないかなとか考えています。

ほんとは最低80%くらいは他人のためにするべきなんだろうけどね(笑)

まあまあ、そういう少し胡散臭いことは傍らにでもおいておいて…

そんなここ数年でありがたいことに「職」という枠でも色々な人と働くことがあったが、どの職場にでも共通して尊敬やカッコイイとか上の存在の人ととして見る方がいた。(仕事でも人としても)

その中でも一番印象に残っているのが、、、

4年前に新卒で入社した会社の男性上司の方である。
年齢は40代後半。

自分は社会人としてスーツ着用で出勤することを夢に見ていたが、その職場はユニフォームがある会社で基本的に私服出勤であった。

私服出勤の中でもほんとに自由度が高く、ビジネスカジュアル感を出さなくても許される、そんな具合であった。

その男性上司は、40代後半でありながらも年相応にキレイなブランド物で着飾ろうとせず、お気に入りのディッキーズのチノパンとTシャツを着てくるような方だった。

社会人としてのマナーという研修を受けたばかりの自分は、この方を見ていて、社会人としてのマナー的にはさすがにアウトだろうと思ったのを覚えている。

しかし、その方がユニフォームに袖を通し職員として勤務しているときの頼もしさ、接しやすさ、仕事の正確さ、アイデアの豊富さ、とか色々、どの職員を中でもピカ1だった。

不思議な感覚になったのを覚えている。

私服出勤と言っても、少なからずフォーマルな服装を身にまとったり、カジュアルすぎないようにコーデを組んでいる方の方が大多数だった。

本来ならこういう身のふるまい方が正解なのだろう。

だが実際に仕事において実績も信頼も存在感も放っているのは、カジュアルに身を包んでいるその方なのである。

その方の動きをじっくり観察したり話を聞いていると、その方は幼い子どものように純粋さを常に兼ね備えているような方だった。

純粋さと幼さは実際には全然違うものかもしれない。
けれども自分の中では結構距離が近いものだと感じる。

純粋(幼い)だからこそ、普段当たり前のようにしていたり思っていたりすることにも何のためらいもなく鋭い指摘ができているような気がするのだ。

その結果、いろんな人から信頼されたり、面白がられたり、存在感を出しているんだと。

その些細な表れが、チノパンにTシャツというカジュアルあふれる私服にまで現れているんじゃないかと。

自分もこんな方になりたいと今現在も「幼さ」を忘れずに年を重ねていきたい。

そんな思いで今日は自分はメッセンジャーバッグを肩にかけて少し紳士的な喫茶店に入ってフォーマルな服装に袖を通している人たちを遠目で見てみる。

幼さを付き添いに入店しました。と心の中で呟きながら。


もしここまで読んでくださった方がいたら感謝感激です

それではまたどこかでお会いしましょう。

またねっ。










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