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無意識の自慢

自分はどちらかというとあまり自慢はしない方(したくないっていう方が正しいかも)だと思うし、される側に回ってもうまく返すことができず、とにかく自慢ってものに不得手なタイプの人間だ。

「自分」って主語を使うだけでも自慢ぽっくなるなーとかそのレベるっす。はたしてこれが気にしすぎなのかは知りません。

最近急に無意識の自慢に接する機会が増えたので記録というか、考えてみようと思う。

自分は自慢する人と無意識でそれをやってしまう人であったら後者の方がどう考えても苦手だ。

自慢をする人って、ちゃんとその物事に対して誇りがちゃんとあったり、実際にちゃんとしたことベースで物事を喋るから、「ちゃんとこの人は今自慢したくて自慢しているんだな」と感じ取ることができる。

その人なりの熱量や思いがあふれ出てしまっているような感じだ。不思議とそういう物は聞き心地がよいものさえもある。

対して、無意識に自慢してしまっている人って、もう手癖みたいな習慣みたいなもんで、自分の立場とか存在を守るために、頑張って頑張って搾り取ったレモンの汁のようなことを言うことが多いと思っている。

だから、中身もそうだし、覇気もかけていて、聞いていて聴き心地が悪い。
本当にこの世の中で割と上位に入るくらい苦手かもしれない。

ここで難しいと感じるのは「自慢」と勘違いされやすいものがたくさんあることだ。

ただ単に事実を言ったり、主張したりしているだけなのに、受取側に自慢として処理されてしまう時がある。
これは見ていても、聞いていても辛いものがある。
もちろんこれは話し手の問題も多少はあるかもだが、そこまで受取側に気を遣ってしまったらいよいよ誰も主張できなくなって自慢世界になってしまうだろう。(笑)

そんなこんなで嫌な自慢の話ばかりしたが、
最高の自慢とは?で締めくくろうと思う。

ズバリ、話し手が事実を単に述べてるかのように自慢する形である。
これは聞いてる側としては相当痺れる(笑)

たとえそれがどんなに些細なこと(これで自慢することかよって思うことも含む)でも聞いている側には気持ちいい自慢として聞こえる。
聴いていて微笑ましくなる。っていうのがいいかもしれない

もちろん自慢として聞くものは嫌なものが多いけれども、たまに出会う微笑ましい自慢の価値が上がるなら別にそれでいいかと思いながら、自慢を聞いていこうと思います。

ここまで読んでくださった方いたら感謝感激です

それではまたどこかでお会いしましょう。

またねっ!

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