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ハタダの親父は、実は相当なキレ者だったのでは?という話

アラフィフの筆者が小学生だった頃、同級生ハタダ・シュウタの飼い犬「シーサー」が、ある朝6頭の仔犬を産んだ。

シュウタは三兄弟で、その構成は上から、筆者と同級生である長男シュウタ、2学年下の長女カナ、4学年下の次男ユウタロウであった。

何も知らずに飛び込みで遊びに行った時「シーサーが子供産んだぜ!」と、三兄弟が大ハシャギで筆者を出迎えた。

まるでマジックを見せられたようだった。つい先日遊びに来た時は、犬小屋にはシーサーしかいなかったのに。横たわるシーサーの胸元には、まだ目も開いてない可愛い仔犬が6頭も這いずり回っていた。

小学生のガキンチョだから、シーサーのお腹が大きくなっていたことに気づいていなかった。冗談抜きで、ハタダ三兄弟すら気づいてなかった、と思う。気づいていたなら、三兄弟の誰かが「うちの犬が子供を産みそうだ」ぐらい学校で言ってただろう。

今から40年ぐらい前の出来事だ。当時も、あるにはあったのだろうが(?) 今ほど一般家庭のペットに避妊手術を施すといった配慮は浸透していなかったと思う。

それまでは顔なじみの筆者にもクンクン懐いてくれていたシーサーだったが、1頭の仔犬を抱きかかえようと手を伸ばした瞬間、キバを向いて筆者に襲いかかってきた。仰天して尻もちついた筆者を見て、三兄弟はケラケラ笑った。尻もちついた拍子にビーチサンダルの鼻緒が千切れ、それがまたおかしくて、シュウタなど気でもふれたのかというぐらい、転げ回って笑っていた。

そこへ

バルコニーの窓から

ハタダの親父が現れた。

シュウタとはしょっちゅう一緒に遊んでいたので、彼ら三兄弟の母親とはよく顔を合わせていたが、サラリーマンで普段は殆ど顔を合わすことはない父親が突然現れたものだから、妙に緊張してしまったのを覚えている。

このように、シーサーの出産を学校ではなくハタダ家で初めて知ってたことや、ハタダの親父が、突然、のそっと現れた背景から、筆者はおそらく日曜の午前中あたりに、飛び込みでハタダ家を訪れたのではないか。

ハタダの親父と筆者は、ぶっちゃけ、それほど知った仲ではなかったのだが… なんとこの時、突然こんな話を持ちかけられた。

「やあ、まーくん来てたのかい。今からみんなで一緒に隣町まで行って、仔犬を貰ってくれる人を探さないかい?」

このハタダの親父の計画に、あれよあれよと巻き込まれ、そして三兄弟、仔犬6頭と共に、彼のクルマに乗り込んで隣町の駅前に向かう運びとなった。

結論から言うと

6頭の仔犬たちは、あっという間に里親が決まり、それぞれ親切な人たちに貰われて行った。即決した理由は「やっぱり仔犬は可愛いから」というのが、帰り道での三兄弟や筆者の感想・結論だったのだが…。

今思い返してみると、ちょ、待てよ、と思う。

実はハタダの親父は相当なキレ者だったのではないか?と。

なぜそう思うのか?

あの日のハタダの親父の行動を徹底分析してみたい。

隣町の駅前に着くと、ハタダの親父は我々に言った。

「仔犬貰ってくださーいって、みんなで一所懸命声かけよう。特にカナとユウタロウ、がんばれよ。シュウタとまーくんは… そうだな… カナとユウタロウがサボらないか、隣で見ててよ」

そして前述のとおり、仔犬たちは、あっという間に貰い手が決まり、箱の中からいなくなってしまった。

貰い手がどんな人たちだったのか、今でもよく憶えている。

・年輩夫婦
・カナと同学年の女の子がいる家族連れ
・アラサー夫婦
・小学生兄弟がいる家族連れ
・大学生ぐらいのお姉さん
・大学生ぐらいの二人組のお姉さんたち

やはりあの日は日曜だったのだろう。駅前は老若男女、行き交う人たちでごった返していた。

そして信じられないことに… と表現して良いものか? この一連の流れを前に、なんとハタダの親父は「じゃ、お父さんは、ちょっとあっちで用事してるから」と言って、我々の前から姿をくらませたのである。

今考えると、隣町の駅前にふらりとやって来て、用事もなにもあったもんじゃない。用事と言えば、仔犬たちの貰い手を探す事だったんじゃないの?ええ?ハタダの親父さんよお!

勘の良いあなたなら、もうお気づきでしょう。

現在のように、SNS上で他人の行動に、いちいち、敏感に、一斉に食らいつく捨て垢だらけの世の中であれば、あの日のハタダの親父の行動は、SNS小姑たちの格好の標的にされていたかもしれない。

「自分は何もしないで、子供たちだけにそんな事をさせて!」

だが、

やはり、

ちょ、待てよ、と思う。

ハタダの親父はわかっていたのだ。

40代のオヤジが、ひとりで6頭の仔犬たちがいるダンボールを抱え「仔犬貰ってくださーい」と声を枯らしたところで、ほとんど誰も寄ってこないということを。

ここからは、さらに筆者の憶測の域を脱しないのだが、買い被りついでに書かせていただく。

ハタダの親父は、きっと、いや、間違いなく、姿をくらませていない。遠まきに我が子三兄弟や筆者の様子をずっと見守っていたに違いない。

憶測は止まらない。

ハタダの親父の人当たり的に、どうしても無責任な人とは思えない。我々ガキンチョが気づいてないだけで、仔犬を引き取ってくれた人たちにも、人混みを掻き分け挨拶に向かっていたのではないだろうか?

また、わざわざ我が町の駅前ではなく「隣町の駅前」を選択したあたりに、三兄弟や筆者への配慮が窺える。

日曜の我が町の駅前でやっていたなら、同級生や知り合いの目につく可能性が非常に高いからだ。

ハタダの親父は男女三兄弟の父親である。彼は「子供パワー」というものを、よく理解していたのかもしれない。我が子たちを連れてお出かけしてきた中で、見知らぬ人から「あら、ぼっちゃん、お嬢ちゃん、可愛いね」と声をかけられた経験は、一度や二度ではなかったろう。

あの日、飛び込みで自宅までやっ来た筆者を目にした瞬間「おや、子供パワーがもうひとり増えた」と算段したとしてもなんら不思議ではない。

それが、さして面識もない筆者への「やあ、まーくん、今から一緒にー」という声がけに繋がったのではないか。「まーくん」と呼ばれたことに、子供心に妙な違和感を覚えたことをハッキリ記憶している。

とにもかくにも…

あっという間に仔犬たちは引き取られて行った。

帰り道、ハタダの親父はレストランに寄って、さして面識もない筆者にナポリタンをご馳走してくれた。

やあ、まーくん!ご苦労ご苦労!

実際、彼がそんなこと考えていたのかは知る由もない。筆者の邪推はここまで。

ごく普通のサラリーマンであったハタダの親父は、見た目は銀縁のメガネをかけ、いかにも寡黙なサラリーマンといった風貌であったが、実に多芸多趣味な人であった。

あの日、自宅に戻ってからもキッチンで手打ち蕎麦をこね始め、それが終わると釣竿を磨いていた。

部屋の壁に掛けられた額縁には、チェロを演奏する自らのモノクロ写真。

午前中に仔犬6頭すべての里親を決め、
子供たちにレストランでスパゲティを食べさせ、
帰ってきたら手打ち蕎麦を打ち、
釣竿を磨く。

これが

ハタダの親父の

日曜日。

毎週日曜ともなると、ビールと冷奴食らいながらゴルフ中継を見て、やがて横になり、テレビ点けたまま大イビキをかき始めるうちのお父さん。同じサラリーマンなのにえらい違いだな…

なんてことは当時は思っていなかった。ハタダの親父は、ただの「ハタダの親父」であり、筆者にとっては、ごくごく普通の同級生のお父さんに過ぎなかった。

が、あの日、

彼はわずかな時間で、関わる人すべてをハッピーにした。

里親になってくれた人たちは、みんなうちで飼いたいと言って引き取ってくれた。

熱々の鉄板に乗ったナポリタンは最高だった。

アンハッピーだったことを強いて挙げるなら、唯一、シーサーに襲われて尻もちをつき、ビーチサンダルの鼻緒が千切れてしまったことぐらいだが、三兄弟は楽しそうに笑っていた。

厳密にいうと、それはハタダの親父の預かり知らぬハプニングに過ぎないが、子供を産んだばかりの哺乳類に無闇に近づいてならないということを、身をもって体験できた。良い思い出である。

ハタダの親父は、実は相当なキレ者だったのではないか?

今となっては、あの日曜に起こった出来事は、すべて彼のコントロール下に置かれていたような気がしてならない。

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