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思い出『父の13回忌』 懐かしくもあり、寂しくもあり!

#思い出 #法事 #13回忌
#体験談    

昨夜のこと、『父の13回忌』の夢を見た。よく考えてみると、父方の親族、その法事に参加してくれた人のうち7名までが既に亡くなっている。近年のコロナ禍もあり、まったく疎遠となっていたが、懐かしい気持ちにもなった。そんな思い出を今回書いてみる。

この父13回忌の計画、このとき私は全くこれに関わっていない。このとき転職したばかりで、仕事を覚えることに集中していたのだ。母が自分で宿泊先を決め、参加してくれるかどうかも、本人が直接電話したと思う。参加者は全員で16名となった。父方の親族が9名、母方が2名である。そこに私たち家族5名という内訳だ。

まずは、自宅に集まっていただいた。それはちょうど昼頃だったが、母がそう伝えたようだ。我が家で、昼飯をとってもらうということで…。料理には自信のある母。得意としていたのは中華サラダ。これは何か行事があるとき必ずつくる。また、寿司を作るのもうまかった。ネタ以上に大事なのはシャリ。その作り方を熟知していたのだ。

14時を少し過ぎたころ、総勢14名は車3台に分乗し、まずは墓参りに向かう。行き先は車で30分ほどのところにある大型霊園。私の住んでいるところでは、誰もが知っている墓所である。そこの墓を前にして全員で記念撮影をした。ここの休憩所でしばらく休んでから、宿泊先に向かう。

とにかくノープランだった自分。ルートを全く調べていなかった。買ったばかりのカーナビがあったからだ。しかし、これが後悔することになる。カーナビと言うのは、変なルートを指示してくるのだ。明らかに遠回りだことがわかったものの、事前に下調べをしていない自分にとってはもう従うしかない。自分の車が先導役ということもあり、すこし情けなくもなった。

それでも予定より20分ぐらい遅れて宿泊先には着いた。ここは当時、埼玉県の保養施設である「あじさい館」。飯能市の一番奥にある宿で、県民にとっては安く泊まれることで人気があったようだ。一時は閉館となったが、いまは「奥武蔵 休暇村」として再び営業している。

部屋に入り、少し休んだ後、みんなで大浴場に向かう。ちなみにここの風呂は温泉ではない!沸かし湯だ。ここでチョッとした事件が起きる。私たちが車で到着したとき、すでに母方の親族2名がロビーで待っていた。この方たちも含めて風呂に向かったのだが、そのときそれが起きたのだ。母方のA氏がシャワーで洗髪を始める。私はこの時、浴槽に使っていたのだが、何やらやたらと飛沫が飛んでくるので、私は窓側の方へ移動した。

そこに入ってきたのが、父方の親族T氏。A氏の一番ちかい浴槽にはいる。そこにまた強烈な飛沫が降ってくる。すかさずT氏は声を上げうなる!「ウーッ」と…。この声にA氏は振りむく。すると、お互い顔を見合わせ、2人ともペコリと頭を下げた。この光景を一部始終を見ていた私、心のなかで笑い転げていた。

夕食は大広間でおこなう。自分としてはまずまずの料理と思っていたが、父方の親族はかなり不満だったようだ。なぜなら父方の親族はみなが大食漢!もっと多くの量を食べたかったようだった。とにかくウチの母がつくる料理、その量は半端なものではない。こんなに食べれるものかと思うくらいだ。だから今回も期待していたのだろう。

この後は、お決まりのカラオケ大会である。とにかく皆、歌がうまい。父方の親族は、福島の喜多方周辺に住んでいる。話に聞くと、何かあればカラオケ酒場に行くようだ。母自身も、自分から近所にあるカラオケ教室に10年以上通っていた。皆がマイクを取りあい、あっという間に2時間半過ぎていた。

翌日は、あじさい館での朝食を済ませると、流れ解散となった。今考えると、自分がもう少しプランに参加しておくべきだったとのではないかと…。わざわざ遠方から来てくれたのだ。それを考慮すれば、せめて近くで観光して、昼飯ぐらいまでは準備すべきだったのじゃないかというそんな思いが生じくる。

まとめ
いずれにせよ!親族の集まりはこれが最後となった。それまでは何かあれば毎年のように皆が集まっていたのだが…。また母方の親族の一人も、いまは体調不良となり、出かけることができないようだ。

考えてみれば、いい思い出にはなったと思う。私自身3歳のころ、母の病気で1年間、喜多方の実家に預けられたようだ。そのときの記憶は全くないが、着物をきてスコップを持ち、仁王立ちした写真がアルバムのなかに残っている。

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