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恋愛は絶対条件じゃなくていい。

書いている内容も内容なので、自分の日常の知り合いにこのブログを見せるのはなんだか恥ずかしくて、
でも自己顕示欲は強いから、信頼できて、自分が読んでほしいと思う仲の良い友人数名には読んでもらっている。
昨日そんな友人の一人と、このブログについて話をしていた。

「書く内容と題名どっちから決めるの?」そんな風に友人がふと質問をしてくれた。
私意外と、題名を最初から決めっちゃってるな。とその時思った。

昔から小説を書く時も、題名から決めている気がする。
内容を読みたくなるかつ、題名で全てが分かりすぎないもの。「なんだろう」と気に留めてしまう題名を目指している気がする。

そんな私が、今回チョイスした題名は、

「恋愛は絶対条件じゃなくていい」だ。


気になる題名になっているだろうか。(笑)


今回の内容は、その友人と話をしていて感じたことだ。


その友人とはとても仲が良く、二人で何度も旅行に行くくらいだ。
しかし、いつも互いに話すように、性格から趣味嗜好、全てが違いすぎる。

その子はカフェ巡りが趣味で、女の子らしい服装で穏やかな性格。
そして私は筋トレが趣味(本当のやつね※前回記事記述)で、どちらかと言うとクールな服装をしていて、とにかくおしゃべりで明るい(はず)。

日頃から話していて、違いを感じることは多々。
でも、お互いに別に理解を求めているわけではない、といった根本に似ている部分があるから、とても仲が良くいれるんだと思う(笑)


そんな彼女は、恋愛脳の私に問いかける。
「異性に求めるものって何?」と。


何年の付き合いだと思ってるんだ、好きな異性のタイプとかなら飽きるくらい何度も話してきたし、事細かいシチュエーションだってめんどくさいくらい共有してきたじゃん。

と、一瞬この質問をされた時に思ったが、
この質問にはちょっと別の意図があった。

彼女が聞きたい具体的なことは、きっと
「同性といる時と、異性といる時の違いって何?異性と一緒にいることで得られるものの違いは?異性(恋愛)に何を求めているの?」

なはずだ。


なぜこのような話題になったかというと、彼女は日々好きなカフェに一人で行ったり同性の友人と行ったりすることで幸せを感じる。
その相手を異性に置き換える必要性をあまり感じていないし、今の現状に満足していて、恋愛をしていないことに、寂しさを感じていない。


でも、(近くにいる私を含め)世間があまりにも恋愛至上主義すぎる。

だからこのような疑問に至ったのだ。


この質問にの答えには、私も悩むところだな・・・と思った。

ブログでもいいから教えて。と言う可愛らしい彼女。
そんな彼女に甘えて、話題として書かせてもらっている。


恋愛ってしなきゃダメなん?

最初にこう思った。皆当たり前のように彼氏がいて、彼氏が欲しくて合コンやらに参加して。でも、恋愛ってマストなん?

かわいいのに。彼氏できそうなのに。なんで?
長年恋人がいない人に、人は何も考えず、ただ単純な疑問として問いかける。

そして大体の場合、問いかけられた方は、「そんなこと知るか」である。

そして、今の現状に満足していて楽しいはずなのに
そんな質問を投げかけられることによって

「恋愛できてない私って、人と比べてなにが足りないんだろう」「私って選ばれない人なんだ」と

普通に恋愛している周りに対して、劣等感を抱いてしまう。

そんな気がしている。そんなこと感じる必要がないのに。

結婚も同じくそうなのだろう。周りが、当たり前のように成していく。詳細を知らない第三者からは、するっと成していっているように感じられる。

あれ?なんで私ってそうゆうの持ってないんだっけ?
自問自答する。

けれど、私は思う。
恋愛しなくて良くない?したければすれば良くない?と。

多様性多様性、うるさい世の中である。
これこそ多様性だ。

したい人はするし、したくない人、する必要を感じない人は無理してしない。
趣味と同様、必要不可欠事項じゃない。


だから、そこに優位差なんて決してない。
むしろ、してもしなくても、現状を楽しめていること自体が優勢だ。と思う。


私は怖いけど、したい。

ここまでの持論じゃ、まだ彼女の答えにちゃんと答えてはいない。

じゃあ、なぜ私は恋愛をするのか。異性と出会い、同性とは違う何を求めているんだろう?


正直、なんでこんな思いしなくちゃいけなかったの?なんて被害者ぶっちゃうくらい傷つけられたと感じたこともある。
誰かを好きにならなければ、こんなに傷つく必要は無かった。心穏やかに日々を過ごせていたのにな、と思わざるを得なかった日だってある。

でも、この人に好きという感情を抱かなかったら、こんなに楽しい思いや幸せな思いはしなかっただろうな。
とも思うのだ。

五分五分。
いやもっと幸せの部分が少なかったのかもしれない。

人は終わった恋愛に対しては、どうしてもそうゆう評価をしてしまいがちだ。終わったことを自分が納得するために。
受け入れられるように。

でも、私はまたしたいな、と思う。

相手のことを思ってご飯を作りたい。相手と一緒にこれを食べたい、これをしたいって思いたい。相手の好きを知りたいって思いたい。
そう人に思えることが、幸せだなって噛みしめたい。
そこに価値を置いているのだと思う。

価値の置き方は人それぞれだ。
私は、そんなことを人に思えることに幸せを感じる。だから、恋愛をする。あと対象が異性なのは、触れ合いたいと思う相手が異性だから。それだけだと思う。それが同性なら同性なのだろうし、そういう単純なことでいいんじゃないかな。


でも、
歳を取ればとるほど、その気持ちを感じることも、感じ始めている自分を受け入れることも、難しくなってきている気がする。

傷つくのが怖い。そんな理由から自ら恋愛を遠ざける。
でも、一人は寂しい。
だから幸せを感じたいとは別に、私は寂しさを感じるから、恋愛をしてしまうし、求めてしまう部分もあるんだと思う。

寂しさを感じなければ、どれほど生きやすくなるのだろう。といつも思う。


恋愛は、絶対条件じゃなくていい。
してもしなくてもどちらでもいい。
なんでこんなことで悩んでいるんだろう、しなかったらどれほどに楽だろう。そんな風にしていて思うことも多々。
逆に、なんでできないんだろう。したいのにその対象が中々いなくて。
そんな風に思うこともある。

できるときに、したいときにすればいいんじゃないだろうか。
その対象が現れるまで、日々を楽しめばいい。見えない対象に苦しむ必要も、周りと比べて劣等感を感じる必要も全くない。

私はそう思う。






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