四谷怪談の現場を歩く(3)
埋葬地―妙行寺
於岩さんの埋葬地(後)
久しぶりに都電荒川線に乗った。以前に乗った時は交通系ICカードはまだ使えなかったから、相当前になる。
西ヶ原四丁目で下車する。この辺りは道幅が狭く、しかも突き当りも多くて、地図がないと初めて来た人間は方向を見失いやすい。防災上は問題が多いが、自転車が通るのも難しい細い路地を散策する楽しみはある。
法華宗の妙行寺は荒川線の線路の側にある。明治四十二年[1909]にここに移転した。
本堂に手を合わせ、左手の墓地入り口に進む。目指す田宮家の墓所は一番奥にある。墓所の手前に説明板があった。
こちらの由来は先日行った田宮神社とは違っている。どちらかといえば
『於岩稲荷来由書上』に近い内容だ。
田宮神社としては先祖のお岩さんの働きと熱心な稲荷信仰のお陰で、家を復活させたというところを強調したいだろう。一方、妙行寺の方は祟りが鎮まったのは法華経の功徳があったためということを強調したい。だから、お岩さんは怨霊だったといいたい。
どちらが正しいかはここでは詮索しない。お岩さんをめぐる伝説は幾通りかある。中には岩という名前の出てこないものや、田宮ではなく間宮某となっている話もある。
南北はどこかでこれらの伝説を知り、作品に取り入れたのだろう。
そしてこれがお岩さんの墓である。この墓には遺骨はなく、櫛と鏡が入っているばかりという。
ところでここには浅野家の三人の婦人の供養塔もある。田宮家の墓所に行くにはこの浅野家の供養塔の前を通ることになる。
あの、江戸城松の廊下で刃傷事件をおこして即日切腹し、赤穂藩をおとり潰しにしてしまった浅野内匠頭長矩公の奥方瑶泉院の供養塔もある。
浅野内匠頭といえば、『仮名手本忠臣蔵』である。『東海道四谷怪談』は、この『仮名手本忠臣蔵』の裏設定という仕立てで書かれた。『忠臣蔵』では、浅野内匠頭を塩冶判官、吉良上野介を高師直と名を変えている。(『東海道四谷怪談』では高野師直)江戸時代に起きた事件を実名で芝居にすることは禁じられていたからだ。
そして、『四谷怪談』の登場人物も、塩冶方と高野方にわかれている。お岩の父親四谷左門や民谷伊右衛門は塩冶判官の家臣で、お家断絶で浪人中という設定。
実説の田宮家は幕府の御家人で、赤穂藩とは何の関係もない。しかし、芝居上のこととはいえ、偶然主従がここにそろっているようで面白い。
次回はいよいよ芝居の冒頭シーン、浅草に行ってみようと思う。
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