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雑草に学ぶ幸せ

昇進とか、興味ないんですよね。

そんな話を書こうと思って最終的には、言いたいことが
昇進より ”雑草を見て幸せが学べる” という結論に。。

そんなお話。
今回分かりやすく考えの過程を残しましたが、
余分な部分がありますので、
飛ばして読むこともできます!



昇進に興味がない、その理由は

そもそも昇進とか、興味ないんですよね。
30代後半の自分としては、
多分若者寄りの発言になると思いますが、そうなんです。

理由なんですけど、昇進したところで、
金と地位が上がるだけだからですね。
そうなんです。

金は、所詮金です。数字でしかないです。

だし、地位も別にいらないです。
どうあがいても人間将来、如来にならないです。
会社で昇進してもただの人です。

それに子供の頃からそれなりに社会的承認欲求も満たされてきました。

運動、自由研究、習字いろいろな賞を取ったからです。
また、児童会、生徒会として仕事をしていたからです。

で、そういう瞬間に人と競っていたのかというとそうではなくて、
自分の特性を生かしたから秀でただけのことですよね。
あの当時素直にそれだけでした。

ま、でも、それより前に幼稚園の頃に、
白い砂と黒い砂を混ぜた泥団子を作ってみると、白い泥団子になる!
といういまいち良くわからない理論を
当時の先生に大いに褒められたことで、私の研究心が育ち、
また、国立科学博物館で大いに恐竜に感動し、それをみんなに広めて
結果テンションでリーダーになっていたり、いろいろな活動をしました。

だけど、みんな本来そんなことで良いのではないでしょうか。
いろいろな人がいろいろな特性を持っていて、
それを活かせばそれで良いのかなと、思ってるおっさんなんです。

昔も今も子供を自分の手先として活動させる親とかいますけど、
うちはそういう親ではなかった。

そういう親に限って、昇進や金とかに命を捧げているけど、
あなた、お口臭いですよ?とか、あなた、言ってることどうかしてますよ?
とか有頂天になって金使いまくっちゃってますよ。
とか思っちゃうんですよね。
というか、そんなに金やら地位やらに固執して成長したいなら日本に固執する事自体ちょっと違うと思いますし。

基礎が重要、その上で

やっぱり、基礎がないやつは、何もできないと思いますね。
(スラダンより)


だし、基礎からの守破離だと思いますし。

つまり、基礎があって、社会的にも認められたし、このマズローの定理ってあるんですけど、

今やりたいことは自己実現であって、
それが社会的欲求の昇進ではなくて、
”新しいことを学びたい”ということなので、
結構できてきたなと思うんですよね、

(ここで言う基礎って言うけど、結局生理的欲求のことなんだと思います。)


秋葉原の自己実現


だからなんかね、秋葉原に行くことが好きなんですよね、
で、みんなあの街はサブカルが好きじゃないですか、
それって自己実現だなと思うんですよね、
タチンボのメイドさんも自己実現、お店の人も自己実現、
買ってる人も自己実現、
だからなんか、そういうのって良いよなと思いましてね、

もちろん裕福な人もいるでしょうけど、
あれは大体、みんなやりたいからやってるんですよね、

それってすごく良いなって思ってあの街が好きですね。
だからおすすめですね、


で、これを人に強要したりしないのは、
”家系”の習熟レベルがかなり大きい話だと思うので、
そういう今より良い環境を実現したい場合は、
昇進とかするのではなくて、
次世代に”家系”の現状を伝えて改善して託すべきだと思います。

それを競おうとしちゃうし、
決めつけちゃうんだなといつも思います。
他人に当たり散らす前に内省を進めたいものですよね。


だから建前上世間体では幸福度が低いことにしていますけど、
案外自己実現までできていることを考えたら
私自身、幸せなんだと思いますけどね。

幸せは雑草から学べる

まぁ、むかしから幸せに対する沸点は低いんですけどね、
欲があまりないと言うか。

子供の頃から公園があればいや公園がなくても、
そこにある雑草で感動できると言うか。
意外とイキイキしてますよ。雑草って。
きれいなコチョウランもいいですけど、
同じかそれ以上に
雑草がイキイキしてる。それってものすごくないですか?
特に都心の雑草とかではなくて、地方の雑草を見てほしい。
すっっっっっごいです。イキイキさが。アレの評価って無ですけど、
なんか、”もったいない精神”がここででるくらい、感動すると言うか。
あのイキイキさには。
つまり、見ていてイキイキさから勇気をもらい、
幸せを感じるとそういう感じですよね。

あの、踏み潰されても立ち上がるみたいなことが言いたいんじゃないんですよ。

変なところでイキイキ咲いた雑草の勇敢さとかぼっちさとかブルーオーシャンさとか、2mくらいまで無駄に集団でイキイキ育った雑草のデクの棒感とか擬人化してみると多様だなと思って幸せを感じるということですね。
まして見た目も鮮やかで青臭かったりすることもあるじゃないですか、すごいしっとりしてたりとか、逆になんかやたら鋭利だったり、五感のかなりを刺激されますよね。非常にリアルな現実ですよね。

そして雑草の何が凄いかって、これをキャンプ場に行くとかしなくても体感できるわけですよね。
キャンプ場はキャンプ場ですからね。整備された施設ですから。庭師とか植物管理の人とかいるわけですからね。
そこの雑草見ても動物園にいるような感覚ですよね。
そして、何よりこの時代にタダですよ?タダ。ねぇ。

いや別にいいんですよ。キャンプ好き動物園好きもいいんです。私が変人なだけですから。笑

雑草を見る観光をしよう

みんな観光地を見に旅行して地方に行くけど、
旅行の究極は地元だと思うからそれより
”雑草見たほうが良いよ”って、いいたいです。
日本って自然が豊かって言うけど、それが雑草に詰まってるとすら思います。よーーくみてください。
雑草を見る観光そんなものがあってもいいくらいだと思います。

例えばたんぽぽって都会だと30センチくらいですけど、
地方に行くとm級がままいますからね、驚きますよね。

そんな驚きがあるんですが、流石に大人だし、おっさんなので、雑草周辺で座り込んでニヤニヤしてたら通報されちゃいますからやりませんけどね、本当はそんな感じで見ていたいです。

もとい、それってマインドフルネスって今では言うらしいし、幸せなはずだよなと思いますね。
まさにいまここにある雑草の生の生きた状態ですからね、
マインドフルネスは実はプロ級なんでしょうね、笑


昇進の話から雑草の話に至るとは思っていなかった話でした。
まぁ、現代日本にそういうおかしなことを言う人がいたと思ってもらえれば幸いといいますか。

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