やっぱり皮がスキ 3

H①

 今日は負けないぞ。
 シャーシを削って徹底的に軽量化したし、ベアリングにはスムースグリスをたっぷりと塗りこんだ。ハードのバレルタイヤをワイドにセットしたから、摩擦抵抗を減らし、且つコーナーリングも安定するはずだ。
 カイのフルスペック・ガンガルスピードスターに僕の旧型ガンガルで対抗するには、スタートで一気に差を広げ、そのまま逃げ切る作戦しかない。
 電池をセットしスイッチを入れると、シューっというダッシュモーターの軽快な音がした。「よし!」と思った直後に、キーンという独特の音が重なってきた。
 カイのプレミアム・スピードモーターの音だ。最高速がムチャクチャ早いうえにスタートダッシュも鋭く、スピードスターで最強のモーターと言われている。
 僕だって同じモーターを手に入れることができれば、カイに負ける訳がない。でも、1個3000円もするモーターは僕のお小遣いではとても買えない。
「そろそろやろうぜ」
 いち早くセッティングを終えたカイが声を上げた。
 よし、やってやる。450円のダッシュモーターで、3000円のプレミアムに勝ってみせる。
「おっ、レースか。スターターやってやるよ」
 高校生くらいのお兄さんが名乗りを上げてくれた。
 夏休み真っ只中のフジミ模型スピードスター・サーキットには、高校生や中学生のお兄さんたちがたくさん来ていた。その中の1人で、普段からよく見かける人だ。
 スタートラインには、僕の旧型ガンガルとカイのニュー・ガンガルの他に、リュウノスケのアッカムとミライのゲルグ。いつものメンバーだ。
 スタートラインに4台のスピードスターが鼻先を並べ、4つのモーター音が重なり合った。
 高校生や中学生のお兄さんたち数人が興味深そうにコースの傍に集まってくる。
「いくよ。スリー、ツー、ワン、ゴー!」
 お兄さんのゴーに合わせて手を放す。タイミングはピッタリだ。
 僕の旧型ガンガルは滑るようにコースに飛び出していった。
 よし!
 1番外側のコースから一気に加速した旧ガンガルが先頭に立った。カイのニュー・ガンガルとミライのゲルグが二番手を争い、リュウのアッカムはスタートに失敗して大きく引き離されている。
 2番手争いを制したニュー・ガンガルがプレミアムのパワーを発揮してジワジワと迫ってきたが、僕の旧ガンガルは3台分くらいのリードを保って第1コーナーに突入した。
 次の瞬間、物凄い勢いでコースを飛び出し、2メートル先の壁に激突して大破したのは、僕の旧ガンガルだった。
 ギャラリーから「あぁ・・・」というため息が漏れる。
 呆然と立ち尽くす僕の傍で、3台のスピードスターは勢いよくコーナーを立ち上がっていった。
 結局、カイのニュー・ガンガルが圧勝し、ミライが2位、後半追い上げたリュウが僅かに届かず3位となった。
「よーし、またオレの勝ち! これで12連勝だ‼」
「やっぱ、カイのニュー・ガンガルには敵わないな」
「でも、リュウノスケくんのアッカムも凄く追い上げてきたじゃない。もう少しで抜かれるところだったわ」
 完走してはしゃぐ3人をよそに、僕は散らばった旧ガンガルのパーツを拾い集める。
 スピードスター・チャレンジカップの愛媛県東予予選は2週間後に迫っていた。こんなところでコースアウトしているようでは、東予代表なんて夢のまた夢だ。
 幸い軽量化のために削り込んだシャーシは無事だった。外れたボディやガイドローラーやタイヤを嵌め込めば、すぐに元通りには出来るのだけど、このままでは勝てないと悟った僕は、修理に手間取っているフリをした。
 その間にもカイたちはレーンを変え、何度かレースをやっていたが、すべてのレースでカイが勝った。
 ゆっくりと時間をかけて旧ガンガルを元通りの姿に戻し終えたころには、サーキットの使用時間が終わっていた。
「ハヤトくん、帰らないの?」
 と、ミライが僕を気遣って声を掛けてくれた。カイとリュウも帰り支度を済ませている。
「うん。もう少し調整してから帰る」
「そう。じゃあ、また来週ね」
「じゃあな」
「またね」
 それぞれに別れの挨拶を残し、3人はサーキットから帰っていった。
 高校生や中学生のお兄さんたちの中で、小学生は僕一人になった。レースをしては騒いでいるお兄さんたちと離れて、僕は旧型ガンガル・スピードスターを見ながら考えていた。
 スタートダッシュで差を広げる作戦は成功した。でも、コーナーを曲がり切れなければ勝てないどころか、レースにもならない。コーナーでの安定感を増すには、タイヤをもっとソフトにした方が良いのだろうか。でも、そうすると直線のスピードが落ちてしまうし、スタートダッシュも効かない。ガイドローラーを大きくしても、壁との摩擦が増えてスピードが落ちる。このスピードを保ったまま、コーナーを曲がることはできないだろうか。
 そのとき、スターターをやってくれたお兄さんが近づいてきた。
「ちょっとそれ、見せてもらっていい?」
「あ、はい」
 治ったばかりの旧ガンガル・スピードスターをお兄さんに手渡す。
「フムフム。上手に削ってるね。自分で削ったの?」
「はい。バンダムの公式HPに載ってた軽量化を真似しました」
 お兄さんは僕の旧ガンガルを裏側から丹念に観察した。
「軽量化とバレルタイヤでダッシュモーターの特性を最大限活かすチューンナップは悪くないね。あとはコーナーリングだな」
 観察を終えたお兄さんからスピードスターを受け取り、思い切って聞いてみた。
「はい。何かいい方法はありますか?」
「スピードを殺さず、コーナーリング性能を上げるには、デフギヤという手もあるよ」
「デフギヤ?」
 聞いたことがないパーツだ。
「そう。正式にはデファレンシャル・ギヤと言ってね、直線では左右両方のタイヤに均等に力が掛かるんだけど、コーナーでは内側のタイヤの負荷を軽くして、スムースにコーナーリングできるようになるんだ」
 負荷? よく判らなかったけど、判ったふりをする。
「そんなパーツがあるんですか? バンダムのカタログでは見たことがありませんけど」
「そう。サードパーティーだからね。ダイショウとかカクイとか、ちょっとマイナーな会社だけどスピードスター用のチューンナップパーツは色々と出てるんだよ」
 サードパーティーも、ダイショウもカクイも初めて聞く名前だ。純正じゃないチューンナップ・パーツがあるなんて知らなかった。
「どこで買えるんですか?」
「もっと大きな模型店なら置いてあるんだけど、この辺には無いからな。ネットでなら買えるけど」
「そうですか・・・」
 ネットかぁ。前にお母さんがネットでブランドの財布を買ったら、とんでもない偽物が届いて以来、お母さんはネット通販恐怖症だ。きっと買ってもらえない。
「そうだ。日曜日まで松山のマツシマヤでガンガル・ビルドマイスター展をやってるから、そこに行けばあるんじゃないかな。600円くらいすると思うけど」
 600円なら何とかなる。でも、松山か。遠いなぁ。
「お兄さんも、デフギヤ使ってるんですか?」
 お兄さんのマシンはジョア専用ズク。何度か走らせているところを見たことがあるけど、凄いスピードでコーナーを駆け抜けていた。
「オレはデフは使わない主義でね。サスペンションでコーナーリングを安定させているんだ。その方が軽いしね。でも、改造が複雑だし、調整もすっごくシビアだから、小学生にはちょっと難しいかな」
 サスペンション? お兄さんの速さの秘密が判ったような判らなかったような感じがした。
「デフギヤならクラウンギアと入れ替えて、ドライブシャフトの長さを調整するだけだから、多分キミにも出来るよ」
 デフギヤか。でも、松山まで連れて行ってもらえるだろうか。

 昨日の夜、晩御飯を食べながら土曜か日曜に松山に連れて行って欲しいと頼んでみたのだけど、お父さんは仕事、お母さんも色々と用事があるから、そんな遠くまで連れて行けないと言われた。
 どうしようか。デフギヤがなければ、僕はカイに勝てない。デフギヤを手に入れるには、松山に行かなければいけない。
 今日は歯医者に行く日だった。僕は歯の矯正をしていて、月に一度は歯医者に行かなければならない。でも安田歯科にはガンガル大図鑑が置いてあるから、歯医者に行くのは嫌いじゃない。
 受付のおばちゃんに診察券を渡すとすぐにガンガル大図鑑を手に取って待合室のソファーに座る。
 もう何度も読み返しているガンガル大図鑑の12ページ目まで読んだところで、「オチハヤトくーん」とお姉さんに呼ばれた。ちょうど、高校生のお兄さんのマシン、ジョア専用ズクのページだった。

「やっぱり奥の方が上手く磨けてないなぁ。矯正の方は順調だって先生も云ってたから、歯磨きももう少し頑張ってみて」
 マスクで顔のほとんどを隠したお姉さんが、相手が子供だと思ってか、馴れ馴れしく言った。
「はい」
 僕はそこまで子供じゃないぞ、という気持ちを込めて、ハッキリと返事をする。
「じゃあ、今日はおしまい。また来月ね」
「ありがとうございました」
 お母さんに連れてきてもらっていた頃、診察を終えるとお母さんが言っていたのと同じようにお礼を言う。それから、もう一つ付け加える。
「あの、もう少し『ガンガル大図鑑』見ていっても良いですか?」
 お姉さんは、キョトンとした顔をした。目しか見えてないけど。

『やっぱり皮がスキ 4』へつづく


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