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坂口安吾;Y.S様へ。

坂口安吾の『堕落論』を初めて読んだのは幾つの時だったろう。


タイトルからして私を魅了した。

その後『不連続殺人事件』等、読んでもみたのだが。

坂口の基本概念
*人間は生き、人間は堕ちる*
*どうしても悪いことをしたければ人を使うな、自分ひとりでやれ。
善いことも悪いことも全て自分ひとりでやるのだ*

孤独、孤高に尽きると思う。

実際、坂口は『堕ちよう』と試みた人であった。

彼の堕落への概念
これこそが「孤独」への必然


孤独の意味を知る人は強い
ウジウジと停滞している人は、いつか誰かが救ってくれると思っているわけで。

*自らに頼る以外に術はなし*
堕落の意味する圧倒的孤独、リアルでは男女問わず、モテタ坂口安吾。

彼は「道化」を愛した。


悲喜劇でもなく、嘘、欺瞞をかなぐり捨て堕ちる>>道化(ファルス)

荒唐無稽に孤独に突き進む。

坂口安吾
「救いが無いということ自体、救いであります」
「所謂、母というヤツは妖怪だ」
狼に食べられる赤頭巾ちゃんは、愛らしく無邪気で罪が無かったのか?
プツリと突き放される切なさ・理不尽さ=赤頭巾ちゃん、という風に
「文学のふるさと」で安吾は書いています。
小説であれエッセーであれ、また安吾を語る誰かの評であれ、
実に、どこを切り取っても、衝撃的かつ愉快である。

三好達治は、安吾を
「彼は、堂々たる建築だけれども、中にはいってみると、畳が敷かれていない感じだ」と
評しました。
お寺の本堂みたいな、ガランドウの人間。

安吾は、大層、大きな旧家に生まれ、その大きさに怯えたのでした。
化け物のように、嫌っていました。
化け物の中身に、母が大きな位置を占めてもいましたね。
異性の親に対する愛は、同性感とは桁外れに異形です。愛して愛して、求めて得られない不当な存在、=母>>妖怪だと、私は安吾の作品に於ける「異常なほどの母性への憎悪」に、彼の哀しみを感じます。

ー嘘を嘘と承知のうえで、その嘘にだまされた振りをする。そうしなければ、人生なんて悲しくてつらくてやっていけない。-

上記、誰の文章だか忘れましたが、ふと、思い出しました。

「敗北」は、常に、自分自身の中にある

だれもが"病気"であるにもかかわらず、人はその苦しみ、悩みを自分でかかえこむしかない。

抱え込めなければ、破滅。


私の好きな作家、安部公房の作品に下記があります。

ー大きい物を見ると死にたくなる。(中略)小さな物を見ていると生きていても良い気になる。(後略)ー
個人的に、私は、共感しませんが、理解は出来ます。

徒然なるままに、整頓もなく、羅列。

安吾は、「白痴」で、少女を描き、いや、少女ではなく卑劣な男(おそらく安吾自身)を晒した。


纏めましたのでお読み下さい。