ゲームと私#4:古都からの刺客

※前回までのあらすじ※

そういえば『平安京エイリアン』なんてのもあったね
怖いからお家に居ようっと。

私は元々内向的で、運動もあまり得意ではない。
LSIゲームやガンプラブームはそんな少年の引きこもり傾向を加速させた。

そこに京都から新たな刺客が放たれた。
ゲーム&ウォッチ(以下ゲームウォッチ)である。

ゲーム&ウォッチ(画像は”オクトパス”)。
ここから任天堂の大躍進が始まる。

LSIゲームの難点として”電池の消費が激しい”ところがある。LSIパックマンなど一部のものはACアダプタでそこをカバーしていたが、そうなると近くに電源があるところでないと遊べない。

ゲームウォッチは操作や機能などは最小限に抑えながらも完成されたゲーム性と携帯性、何より電源をボタン型電池にした事でLSIゲームが主に使用していた単三電池より長時間の稼動を実現していた。
さらに電池が切れるまで”ハイスコアが残る”、このちょっとした競技性もゲーム熱に拍車をかけた。
私には弟がいるのだが、2人でそれぞれが持つゲームを時々交換しながらハイスコアを競ったものだ。
そして2人が知らない間にいつのまにか父が”カンスト(=カウンターストップ、スコア上限)”まで達してしまうのである。
そりゃないわオトン。

クラスでも私同様”こもりがち”な数人が遊び仲間としてお互いの家を行き来し、持ち寄ったゲームウォッチやプラモデルのブンドドを楽しんでいたこの時期、とある友達の家で変わったものを見かけた。テレビゲームとの出会いである。
ファミコン以前にもテレビにつないでプレイするゲーム機は存在していた。それは幼少期の私が見ていたテニスっぽいもの(俯瞰したエアホッケー、と言ったほうがわかりやすいか)やインベーダーもどきなどが遊べるものだった。面白いのだがゲームコーナーを経験していた私には若干古臭く、また当時とても高価で流石に欲しいとは思わなかった。

初期のテレビゲーム機。
カラーリング等でお気づきの方もいるかもしれないが
この”TV-GAME15”も発売元は任天堂だ。

流石にゲームウォッチやプラモデルにも飽きてくると、今度は駄菓子屋で駄菓子とビデオゲームに興じる。この頃になるとアップライト筐体のサイズも小さくなり、ゲームコーナーなどから流れてきた少し古めの作品たちが駄菓子屋などで遊べるようになっていたのだ。『ラリーX』やら『プーヤン』やら、色々遊んだものだ。

懐かしの駄菓子屋筐体。
夕方6時になると「はよ帰れ」と言わんばかりに
強制的に電源を抜かれる(笑)。

そんな日々が続く中、あの”怪物”は突然現れた。
『ファミリーコンピュータ』時代の始まりである。


終わりが見えないまま続く。

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