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フィルムカメラとの出会い

私の持っているカメラのはなしだ。

このカメラは両親のおさがりで
「フィルムカメラとか持ってない?」
という私に母が押し入れから出してきてくれたものだ。

社会人になったらカメラが欲しい!
ずっとそう思っていたのだが、買ったは良いがあまり使っていないという友人の言葉を聞いて気が変わったのだ。
「iPhoneで十分かなって感じ」
確かにデジタルカメラならば性能の違いはかなりあるが、どんどん機能が良くなっているiPhoneでも近いものは撮れるかもしれない。それに、プロじゃないし。

それならば、私が前から好きなレトロとわくわくが楽しめるフィルムなんてどうだろう。写るんですを何本も使っていだが、カメラを手に入れて長く使ってみようか。もし実家にフィルムカメラがあったら、まぁそれでも良いか。
そんなところだ。

PENTAX ESPIO140
1994年に発売されたコンパクトフィルムカメラである。

いつ撮ったか記憶のないカメラと私と

もう十数年も使っていないカメラだ。とりあえず電池を変えてみたら使えるかもしれないと、翌日に家電量販店で電池を購入してみる。


これは私が赤ん坊の頃から使われていて、両親が想い出を記録してきたカメラなのだ。そのカメラで私はまた想い出を記録し続けている。このファインダーは私たち親子の、いや、ここは大袈裟に言っておこう。
私を映し、私が見た景色を映すためにあるのだ。

『夜明けのすべて』の文章のときにも書いた気がするが、私の見ている景色はフィルムカメラで撮った景色にとても近い。それは視力がどうこうという意味ではない。

色と解像度と、何より光があの独特な柔らかさで脳に届くのだ。夜は特に、ぼやけた光が私の見ている風景と似ている。

電池を交換すると、不具合なくカメラは動いた。
ちゃんと保存していた訳ではないのに、カビもなければキズもほとんどない!ありがとう両親。
私も物持ちの良さは親から譲り受けたものだったのか。

そのカメラを使い始めて4年が経った。
肌身離さずという訳ではないが、気が向いたら外に連れ出して写真を撮っている。その間、カメラの知識を身につける訳でも新しいカメラを買うでもなく、ただシャッターを切る。

最初の数枚はちゃんと撮れていないこと、接写ができないこと、モノクロネガは現像するときにお金がかかること。

夜と雨がきれいなこと、自然と寺社ばかり撮ってしまうこと、ファインダー越しにみんなが笑ってくれていること。

そんな些細なことぐらいしか気付きがないけれども。
私の見た世界と、私の好きな人をこれからも映していく。

やっぱり一眼レフ欲しいなとかたまに思うけれど、私にはきっとコレなのだ。
これからも一緒に出かけてもらおうじゃないか。

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