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倍速視聴の弊害

失われた30年の間に親からの仕送り額が減り、学生はアルバイトの必要性が増した。暇、何もしていない時間を嫌うZ世代はタイパを重視する。暇であることが高貴であった時代は終わり、何もすることがないとバカにされる始末である。デジタルネイティブであるため、欲しい情報や結果はすぐに手に入る。彼らがテレビや本離れをするのはコンテンツの内容以前に、広告や尺稼ぎに付き合っていられないからだ。過食部位スカスカの情報はそれに見合った時間で十分だと冷ややかな視点が存在する。

一方で時短の流れがあればカウンターも存在する。スローライフが対極にあるように思えるが、間を長くすることもまた今後のトレンドになるかもしれない。
間を作らないことで生まれる弊害は何だろうか?ショート動画は然り、離脱率を下げるためにフラッシュカットや2、3秒に一回、効果音を多用するYouTuberはある意味思考停止を促しているとも言える。視聴者は必ずしも深い話を求めているわけではなく、マシンガントークや多くの画面内情報を高速で処理することで自分が脳を使っている(ような気がしている)ことに酔っているのかもしれない。

創作とは間を作ることであり、その間に鑑賞者の表象をねじ込むことである。
思考の入り込む余地を残し、アウトプットができて初めて作品は作り手から解放される。

よって、時短コンテンツに関しては自ら間を作る必要がある。そうした間を生むサービスや仕掛けの需要は今後、並行して増えてくるのではないか。
私は一本の映画を観ることも場合によっては半日費やすこともある。最中に、過去の記憶の引き出しが開き、共感と分析を往来し、自分だけの捉え方を強調するからだ。その都度、一時停止を押しては考えをひたすら繰り返す。

そして目的が手段化していることも興味深い。目的地に行くために走ったり自転車に乗るようなもので、現代人は散歩本来の楽しみ方を忘れていく。ならばタクシーを使うなり、オンラインで目的地と繋ぐなりの選択肢も今後出てくる。倍速視聴がバカにされる未来もそう遠くはないのかもしれない。

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