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若い頃の苦労は買ってでもしろと言うが

若い人達にとっては「どうせ昭和脳の奴らの考えだろ?」という捉え方をする人も少なくない様だ。

実際「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と検索すると、そのキーワードの後に「嘘」とついた項目がみつかる。
読めば浅はかな連中の浅はかな考えが、さも正論であるかのように称えられ、哀れというか、情けないというか、申し訳ないけど彼らの様な人達が世の中を動かす立場になったとしたら、今より良い世界を作れるだろうか?
私にはイメージ出来ない。

他人の痛みは、同じ痛みを味わった経験がある人でなければ本質的に理解する事は不可能だ。
ネットで見た知識で知ったような事を説かれても、その薄っぺらさは直ぐに見透かされるし、当然説得力も無い。

それに気づこうとも考えようともせず、「苦労をしない方が優しい人間になれる」などと全く根拠のない寝言を自慢げに話している事、それに同調する人間がいる事に驚き以外の表現が見つからない。
きっと彼らは今後も「苦労」から避ける選択をしながら生きるのかもしれない。まぁ、彼らの人生だから好きにすればいいけど。

【若い頃の苦労は買ってでもしろという言葉の意味を若い頃に理解出来るなら、そもそもこんな言葉は無かったかも知れない。】

50を過ぎて、これこそがこの言葉の本質だと理解出来るのは、自分自身が若い頃に色々な間違いや失敗を繰り返してきたからだと思う。

友人関係でも仕事関係でも金銭関係でも沢山の失敗をしてきた。
その都度どうやってリカバリーしようか、失くした物をどうやって取り戻そうかと考えたり、時には逃げて、逃げた事を後悔して。。。

先日、取引先の若い女性から仕事を辞めると聞かされた。
色々な人間関係のもつれや仕事に対する気持ちの問題もあっての決断だと分かったけど、すっきり断ち切れない”情”がある事も聞かされた。

私には、そのすっきり断ち切れない情を引きずる事がきっと苦労を生むだろうと分かっている。
もちろん、それを回避する方法もやんわりと伝えたし、出来る限りの助言はしたけど彼女の決断を否定する事だけはしなかった。

それは、今の彼女にはそれを理解するのは難しいと分かっているし、彼女は自分の気持ちに正直に生きるという選択を自分自身でしたのだから、きっとその苦労を乗り越えられるだろうと分かっているから。
何故分かるのかというと、わたしも同じような経験をしたことがあるし、まわりの友人も同じような経験をして乗り越えてきたから。

今回の事で彼女は色々な嫌な事を味わうだろうし、傷つくだろうと思う。
それによって卑屈になったり斜に構えたりする様な人間になるか、経験という宝物として自分自身に蓄積していけるかは彼女次第だけど、間違いなく前者になる事はないだろう。
だって、彼女は「避ける人」ではなく「立ち向かう人」だから。

若い頃の苦労は買ってでもしろとは結局後になってから思う事で、年を取ったときに自分自身の財産が、人生を豊かにする素が”経験”だという事に気づくからだ。
「経験」とは良い物ばかりではない。苦労をせずに年を取る事の恐怖を後から知っても手遅れではないと思うが、年を取ってからの苦労は若い時のそれとは比べ物にならないくらい辛いのではないか?と推測するのは容易だと思うけど違いますか?

私の考えが古い、間違っているという可能性は否定しませんが、苦労を避けながら生きる選択をする皆様、思い通りの未来が待っているといいですね。

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