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国語の先生は楽しい

国語の先生が楽しい


ここのところ毎日、国語の先生をしています。春休みということで「春期講習」としてぎゅっと毎日教えていて、ほとんど同じ生徒さんたちに毎日zoomで会っています。生徒さんによってはまだ学校は春休みではないようなので、相変わらず夕方から夜が大忙し。

2月以降、ほぼ毎週体験希望のお子さんがいらして、ほぼそのまま入会。グループ指導の1クラスの人数が少しずつ増えていましたが、春期講習でさらに増えました。体験してくれた生徒さんから「楽しかった!通いたい!」と感想が届くと、純粋に超嬉しい。マンツーマン指導にも良さがあるし、グループ指導にも良さがある。私はどちらの指導も大好きです。

受験のための国語だとしても楽しい


中学受験、高校受験、大学受験生の指導をしているので小学生から高校3年生あるいは卒業生まで指導しますが、授業のスタイルは大体一緒。古文・漢文の指導はまた別ですが。

漢字や文法・知識事項もしっかり固めつつ、たくさんの文章題に当たります。たくさんの文章を読み、内容をつかみ、問題を解き、記述をまとめる。好きな本を時間をかけて読書することもとても大切ですが、国語の勉強では読書よりもっと深く内容をとらえる練習をします。

授業では好むと好まざるとに関わらずあらゆる分野の文章を読みます。虫に興味がなくても虫に関する説明文を読んで解くこともあるし、論説文に挑むこともあるし、哲学のこと、脳のこと、地球のこと、物語文、話題作、少し古めかしい文体、いろいろです。

このことが子供たちの頭の中に知識を増やし、想像力を高め、引き出しを増やし、国語の勉強が国語だけにとどまらず、他の科目にもいい影響を与えているなと常々思います。

国語力は国語だけにとどまらない


国語力があるとかないとかはテストで点がとれたか、偏差値はどのくらいなのか、などが判断材料になるのでしょうが、私自身は小・中・高校生の時にどれほどの国語力があったかというと正直微妙でした。

何となくできていましたしテストの点も取れていましたが、高校の現代文の授業は眠気との戦い。つかめた!という手応えも感触もなかったし、そもそも何かをつかむものなんだとも思っていなかったのかもしれない。そんな私が今や中学受験、高校受験、さらには難関国公立大学志望の受験生まで指導するようになるとは。

受験においての国語力って何なのか、何らかの文章について問われたことに答えられることだとすると、私の場合はその力がついたのは大人になってからかもしれません。こう質問されたらこう答えるんだな、という経験値が増えて国語も強くなったようなところがあります。

大人になってからでは遅いじゃないかと突っ込まれそうですし、実際そうかもしれませんが、社会人になってからは面接は得意だと断言できるし、仕事でも評価されていたのは聞かれたことにきちんと答えられる力のおかげ。遅かったとしても国語力があるかないかでいろいろ違ってくるのは間違いないと思います。

国語力がもっと早くに、子供の頃に掴めていたらだいぶ面白かっただろうな。そんな後悔とも言える思いをベースに指導しています。

成長は喜びそのもの


ひとりよがりな考えや思い込みで答えないように指導しますが、そもそも勝手な答えを作り出している子はそのことに自分では気がついていない場合も多い。
たくさんの文章に当たりながら、まずは「おもしろいね〜!」と面白がって読んで欲しい。そもそも私自身が面白がって文章を読んでいます。国語の先生ってたくさんの文章に触れられるからすごくいい仕事。子供たちの引き出しを増やしつつ、自分の引き出しも増えているはずだから。

継続して指導していると、お!力がついてきたな、と実感できる瞬間がパチンパチン、キランキランと輝きます。

誰かの成長に関われるって、何というか、喜びそのもの。最初の頃は国語という科目に対して何やら拗らせていた生徒さんたちが素直に文章に当たり、素直に掴み取れるようになり、記述にもどんどん挑戦してくれる姿、国語を面白がってくれている姿を見ていると、国語の先生って本当にいい仕事!と思います。


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