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自分の中に自分だけのぬか床をもつ

考えるっていうことをするために何が必要なんだろうと思ったときに、ふと「ぬか床」という言葉が思い浮かんだので、それについて今回は書き残します。

なぜ「ぬか床」か

考えるっていう行為をするためには、人間は当然のように言葉を使います。
言葉を巧みに使うことで抽象的なことやより包括的な考えをすることができる。ということは前提としてあると思います。

そうしたとき、問題なのは「言葉」をどう使うか。どんな「言葉」で考えるかが重要になりますよね。
やっぱり自分の考えをなるべく的確に、かつ伝えられるような言葉を使うためにはボキャブラリーや言葉遣いのバリエーションの豊かさは大切になるはずです。

じゃあ、どうすれば豊かな言葉を使えるようになるのか?

それが「ぬか床」をもつということなんじゃないかと思ったのです。

ぬか床はその通り、お漬物など作るときのあのぬか床です。
材料は米ぬかで、乳酸菌などが発酵することでお漬物になります。(説明にもなってませんが…)

ぬか床は、野菜とかならなんでも漬けることができて、時間が経つにつれて発酵してまろやかに熟成されていきます。だから、ぬか床を”育てる”なんていう言い方を聞くこともありますよね。

そんなぬか床を自分の中(心の中)にも育てておくことで、言葉の豊かさが増すのではないかと思いました。
いろんな言葉や体験、感情を心のぬか床に入れて、発酵するのを待つ。でも時々、かき混ぜてよく漬かるようにする。そうして時間が経っていくと、自分自身の言葉として出てくる、そんな感じがします。

人と人が議論できたり、交渉できたりするのは、言葉そのものに「質」としての重みがあるからだ。でも、いまは言葉の一貫性や信頼性よりも、その場その場でマウントを取ることの方が重要らしい。とりあえず、それさえできれば賢そうにも強そうにも見えるのだろう。でも、「言質」にもならない言葉で国や社会や組織が運営されているのって、考えてみれば怖くて仕方がない。

まとまらない言葉を生きる 荒井裕樹より

どうやって自分の「ぬか床」をもつか

ただ、「ぬか床」は比喩ですので、問題は現実にどうやってぬか床を自分の中に持つか?

読む・書く・観察・思索の4つを今は自分自身に提案しようと思います。

読むとは、本を読むというのはもちろんですが、人の話しを聞くということもあえて読むに含めたいです。
読むって、とてもゆっくりなものだと思うのです。人の言葉を読むように聞ければ、すごく丁寧に聞けるのではと思います。

書くはその通りです。このnoteもそうですが、思ったことや気づいたことを言葉で書いてアウトプットしてみるといった行為です。

観察は、観る(みる)ことそのものです。自然や日常をよく観ることで、自分の中に具体的なイメージ、体験として蓄える。そのような感覚です。

最後の思索は、考えるということです。2文字にしたかったので思索にしました笑

この4つを繰り返し、丁寧にやっていけばぬか床を手に入れることができるのでは?というのが今の私の仮説です。

とは言っても、これらを毎日、継続して徹底的にし続けるのは大変だと思うので、ちょっとずつやっていけるようにしたいです(自分で言っておきながらハードル高すぎということに気づいたので…)。

このnoteでの投稿は、きっとその4つを必然的にやることになると思うので、これからもちゃんと書き綴っていきたいです。

また、しばらくしたら自分のぬか床がどうなっているのか書こうと思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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