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無音のひとりごと録 #3 楽しさの種類

「楽しさ」には2種類あるように思う。


①だれかからpresentしてもらう楽しさ

②じぶんでcreateする楽しさ


この2種類の楽しさを使い分けて楽しむことが必要な気がする。


①だれかからpresentしてもらう楽しさ

いちばん分かりやすい例としては映画やお笑い、ドラマ、本といったエンタメ系のものだと思う。だれかがつくってくれる楽しさを受け取って「楽しい!」って思えるもの。

あとは、飲み会や仲間とはしゃぐ楽しさなんかも、そこにいる人たちからpresentしてもらう楽しさだと思う。

②じぶんでcreateする楽しさ

こっちの楽しさの分かりやすい例としては、趣味とかスポーツかなと思う。(ベターな例えだけど…)ギターが趣味としたら、当然ながらまずギターが弾けるように練習しなきゃいけない。そして自分の引きたい曲を弾いて楽しむためにはその曲も練習しなければならない。そうやって準備することでギターを弾く「楽しさ」を存分に味わうことができる。

要は、createする楽しさは主体的に楽しむように自らが動いていくことになる。そして、createした楽しさは時にだれかにとってpresentされた楽しさになったりもする。

なにかを学ぶこと、始めること、突き詰めること、習得すること、つくってカタチにすること・・・これらはすべてじぶんで楽しさをcreateする必要のあることだと思う。


そして問題

ただ、②のcreateする楽しさの方はなかなか難しい。

さっきの例に挙げたギターでもそうだが、まず弾けるようになるまでのハードルがある。そのためにはコードを覚え、基本の指の配置を覚え、必要な音を問題なく弾けるようにならねばならない。この期間がまぁ地味だと思う。
だから途中で諦めたり、もういっかってなったりする。いわゆる三日坊主が生じる。

楽しさをcreateする場合、地味な練習や裏方的な仕事、求める楽しさとは直結しないこと・・・が多々ふくまれていることを覚悟しないといけない。
ということをどうすれば自分で納得できるか?


しかもここ最近はコスパとかタイパが優先されることで、楽しくなるまでが長いこと(=楽しさをcreateする必要のあること)が忌み嫌われることもあるように感じる。(自分だって若者だけどね…)

特に私は団体運営やボランティアでイベント企画などやってると感じることが多い。なんとなく、自分の手でつくっていくことをためらわれているような感じを。地味で、なかなかうまくいかなくて、求める楽しさが簡単に手に入らないという状況をいかに短縮して、自分が欲しい楽しさだけを享受するかが重要視されているような気がする。

たしかに楽しさをcreateするには時間とエネルギーが必要だ。しかも、必ずし楽しさが手に入るとは限らないという運次第の時もある。
でも、自分の思う楽しさのためにはcreateするしかないことだってたくさんあるんじゃないか。

そうやって自分が楽しいと思える楽しさをcreateしようとすることで得られること、感じられること、見つけられること・・・そういうものを大切にすることって必要だ。


とか言ってる私だって、自分の研究の楽しさ、面白さを見つけられずにどうしよう…となってるけど笑
自分も自分の楽しさをcreateする努力をしなければ

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