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Jloのドキュメントを見て思う。女達よ、カーヴィーに生きよ

先日ジェニファー・ロペスのハーフタイムショーのドキュメンタリーを見た。
なんて力強く、女らしく、そして美しく生きてるんだろう、と思った。

彼女の事を知ったのは私が中学生くらいの時。初めて見たのはウェディングプランナーという映画だった。その時はただただ彼女が可愛く、なんて素敵なラブコメだろうと夢中になった。

それから彼女が歌を歌っている事も知り、当時は今みたいにYouTubeなどで自由に見られる環境はなかったので一生懸命MTVなどでPVを見つけては慌てて録画したりしたものだ。

多分「ラテン系」という言葉自体をその頃初めて認識したようにも思う。ラテンの音楽を彼女が教えてくれたと言っても過言では無い。

しかし私はつい最近まであまりアメリカでのラティーナのイメージを理解していなかったと思う。私のイメージでは情熱的でセクシーという漠然としたものしかなかった。
そのドキュメンタリーの中で彼女はキャリアを始めた頃のアメリカでの美の基準に苦悩した事を吐露していた。その当時のアメリカの美しさの基準といえば白人、金髪、スッと伸びた手足。彼女のように体のラインがカーヴィーな女性は第一線ではまだあまり活躍していなく、軽視されていた。またラテン系女性は移民としてアメリカにやってきて家政婦の仕事が多かった為、彼女が有名になった後、熱愛報道では「あの有名人が使用人と熱愛!」という感じの見出しで有名になってもなおラティーナの地位獲得は厳しかった。
彼女は40本の映画に出演し、歌も歌い、双子を出産、子育てもし、何足もの草鞋を履いてがむしゃらに生きてきた。そして現在50歳。
なんという美しさだろう。それはただ単純に外見だけがそうさせているのでは無く、彼女が歩いてきた今までの経験と努力でこの美しさが出来ているのだ。
その生き様は私たちに勇気を与えてくれる。母になってもなお、やりたい事に思いっきり全力投球する姿は「私もまだ出来る」と鼓舞してくれるように思える。

そして印象的だったのがスーパーボウルでのハーフタイムショーについて「10年前でも5年前でも準備ができていなかった、今だから出来た」と言ったことである。
トランプ政権下での移民対策で親子を引き離し、子供を"檻"に入れたニュースで彼女は自分の役割を自覚し、音楽という形で世の中に訴えた。そして自分の娘に歌ってもらって次世代へより良い世界を繋いでいきたい、という想いを表現した。

ハスラーでは様々な賞にノミネート、受賞もしたがアカデミー賞にはノミネートされなかった。こんなにも多くのキャリアを築いてきた彼女でさえもまだ見えない壁は大きく立ちはだかる。しかしそれでも彼女は前を向き、自分のできる事を一つ一つこなしていく。

彼女は彼女らしく、ラテンとしての誇りを持ち、カーヴィーな体を惜しげもなく出し、女が女らしくセクシーに生きる事の何が悪い!と世間を問う。肌を出すから悪い、露出が高いからそんなふうに扱われる、それって全部女のせい?そう思って扱うのは誰?

女も女である事を許してくれない闇みたいな洗脳がある。私達はまずその洗脳を自分から解いていかなくてはならないのだ。かく言う自分もその1人。私も自分らしくやりたい事をやって生きていくことを許していきたいと思う。

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