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学祭公演『おとしもの』3

出欠確認をする教師からひとしきり名前が呼ばれたが、青年は反応しなかった。

「名前、なかったですか?」
「多分、あの教師が呼んだ名前の中に僕の名前はありませんでした」

青年は遠くを見つめている。
視線の先には黒板があるが、もっとその先を見ているようだ。
2人の大人が教室にいるのにおかましないで先生は授業を続けている。
まるで2人の存在が見えていないかのようだ。

ふと女性は足元に紙屑が落ちていることに気がつく。
何気なく手に取って紙屑を広げてみる。

「・・・作文?」

青年もそれを覗き込む。

「・・・これは僕の字です」
「じゃあ、この作文の名前を見ればあなたの名前がわかるんじゃ・・・」

そう言って作文をもう一度よく見る。

「・・・駄目だ。名前のところだけ塗り潰されてる」
「僕が自分で塗り潰しました。この時から自分の名前が好きになれなくて、名前を塗り潰して教室の隅に捨てました。あの時の作文がこんなところに落ちているなんて・・・」

そんなことはあるのだろうか。
青年が名前を失くしてしまったことに比べれば、多少はあり得ない話ではないだろう。
女性は段々と感覚が麻痺してきたのか、この作文は青年が書いたという話を飲み込んで話を進めた。
そして何か親近感のようなものを覚えたのか、次第に砕けた口調になっていった。

「あなたが書いたものだとしたら、何かヒントになるようなことが書かれてるんじゃない?あなたが名前を落とした場所について」
「あるいはそうかもしれません。ちょっと読み上げてみてください」

女性は作文を読み上げる。

「僕の家族。僕には、お父さんとお母さんと2人の弟がいます。僕たち家族はいつも晩御飯を別々に食べます。お父さんは帰りが遅いし、お母さんは外で食べます。僕は弟達と一緒に食べていて、寂しくないけど、でもやっぱり、お父さんとお母さんと一緒にご飯が食べたいです。家族みんなが揃ったらきっと何を食べても美味しいと思います」

女性は顔を上げて青年の方を見て尋ねる。

「ねぇ、これは本当なの?」
「さあ、どうでしょうか。名前を失ってから僕は家族に関する記憶を朧げにしか思い出せなくなってしまっています。だから、この作文が事実なのか虚構なのかはわかりません。でも・・・」
「でも・・・?」
「もし僕に家族がいるのなら、夕飯ぐらい一緒に食べたいと思います。この感情は事実です」

女性は少し思案した様子で言った。

「もしかしたら、それが何か関係してるのかも」
「僕が名前を失くしてしまったことについて?」
「私も確かなことは言えないけど、名前を失くしてから家族の記憶が朧げになったってことは、きっと家族の記憶とあなたの名前は密接な繋がりがあるはずよ」

青年は少し考えてから答えた。

「確かに一理ありますね。名前は両親から貰うもの。家族との関係性は非常に深いものです」

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