見出し画像

#91  書くかどうか迷ったときに心がブレない軸がほしい

書きたいことがあっても、書くかどうか迷ってしまうときがある。
そういうときにブレずに「書くか迷っても書こう」と思える軸がほしい。

書くか迷うってことは、それだけ「書きたい」ってこと

書くか迷っても書きたい。

その一番の理由は、「書くか迷う」ってことは「それだけ書きたい」っていうことだから。

だったら書けばいいじゃない。

結論はいつだってシンプルだ。

ただ、その結論をぶれない軸にしていきたい。だから私はこのnoteを書く。

なぜ書くかどうか迷うのか

そもそも、なぜ書くかどうか迷うのか。それは「私なんかが書いても誰も読んでくれないんじゃないか」という思いだ。

田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」という本を読んで、そう思うのは変ではなく、自然なことなのだと思った。
田中泰延さんでさえ、だれも読まないと言っているのだから、
私の文章など誰も読むはずがない。

だれも読まない。だれも読まないのである。わたしのように、依頼主がいて、その文章を掲載する場所が最初から用意されていても、だれも読まない。ましてや、自分で開設したインターネット上のスペースにそんな文章を載せても、だれも読まない。なぜか。あなたは宇多田ヒカルではないからである。

田中泰延「読みたいことを、書けばいい。」第2章より

「何を書くか よりも 誰が書いたか」

有名人のブログを読むたびに感じていたこと。
私は時々あびる優さんの元旦那さん(才賀紀左衛門さん)のブログを覗く。
それは、才賀さんやあびる優さんとの子どもがどのように暮らし、何を考えているか、気になるからだ。
才賀さんのような有名人は、私みたいな一般人がたーくさんいるので
「◯◯に行ってきました。おいしかったです。」
なんてブログでも非常に多くの人に読んでもらえる。

一方、私がどんな風に暮らし、何を考えているか、に興味があるのは私の親くらいだと思う。

じゃあ、親以外で私のブログを読みに来てくれる人ってどういう人??

そう考え出すと、

タイトルをもっと工夫しなきゃ、
もっと有益な情報を書かなきゃ、
もっと読みやすくしなきゃ、
こんなこと誰も知りたくないよね、
こんな風に思うのは私だけかしら、

とか雑念で頭がいっぱいになって、
書きたいことがあっても書くかどうかを迷ってしまう。

書いた文章を自分がおもしろいと思えるだけでも幸せ

現代は「1億総発信時代」と言われる。
今後は「何を書いたか よりも 誰が書いたか」がより重要になっていくのかもしれない。

ただ、忘れてはいけないことがある。
それを著者の田中泰延さんに教えてもらった。

よく文章指南の本には「なにが書いてあるかが大切」という教えが書いてあるが、現実は違う。
「だれが書いたか」のほうが多くの人にとっては重要なのだ。
だからこそ、「ターゲット層にバズりたい」「たくさん読まれたい」「ライターとして有名になりたい」という思い違いを捨て、まず、書いた文章を自分がおもしろいと思えれば幸せだと気がつくべきだ。それを徹底することで、逆に読まれるチャンスが生まれる。

田中泰延「読みたいことを、書けばいい。」第2章より

私なんかが書いても誰も読まない。読んでも数人、数十人だろう。

だけど、だからこそ、書いた文章を自分がおもしろいと思えれば、それだけでも幸せってことを絶対に忘れたくないと思った。

実際に、11月から毎日noteにチャレンジしてきて、自分が書きたいことを書いてきて、確実に幸せが増えているのを実感している。

しかも、「自分が読んでおもしろいと思えるように書く」ことを徹底することで、逆に読まれるチャンスが生まれるということにも希望をもらった。

私みたいな凡人でも、チャレンジしている限り、多くの人に読んでもらえる可能性はあるのだ。

他にも、「書くか迷っても書く」という結論をブレない軸にするためにこの本からもらったヒントをまとめておく。

「迷っても書きたい」その軸を支えるヒント

読み手など想定して書かなくていい。
 その文章を最初に読むのは、間違いなく自分だ。
 自分で読んでおもしろくなければ、書くこと自体が無駄になる。

・書いた文章を読んで喜ぶのは、まず自分自身である。

 満足かどうか、楽しいかどうか自分が決めればいい。
 しかし、評価は他人が決める。
 他人がどう思うかはあなたが決められることではない。
 評価の奴隷になった時点で、書くことが嫌になってしまう。

・「わたしが言いたいことを書いている人がいない。
  じゃあ、自分が書くしかない」。
  
読み手として読みたいものを書くというのはここが出発点なのだ。

・だれも代わりに書いてくれない。あなたはあなたの人生を生きる。
 その方法のひとつが「書く」ということなのだ。

田中泰延「読みたいことを、書けばいい。」第2章より

自分の心が大きく動いたとき、自分の中で「書きたい」「伝えたい」という気持ちが生まれる。

11月から毎日noteを始めたけど、何も書きたいことがない日はなかった。
更新できなかった日の原因は、何をどう書くかを迷ってしまってタイムオーバーしたことにある。

できれば多くの人に読んでほしいと思う。
だから悩んで試行錯誤する。その過程で成長していくのだと思う。

でも、評価を気にしすぎたら、書きたいことが書けなくなる。

それに、自分と似たようなことを書いている人はいても
全く同じことを書いている人はいない。

自分の書きたいことを書きたいように書けるのは自分だけ。
誰も代わりに書いてはくれない。そんな面倒なこと、誰もしてくれない。

だから、やっぱり私は「書くか迷っても書こう」。
このnoteを書くことで、軸が少し強固になったような気がしています。

今日は長くなってしまいましたが、
最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。


この記事が少しでも良いなと思ったら、
「スキ」や「フォロー」をしていただけると、とっても励みになります。

時々、コメントをくださる方もいます。本当にありがとうございます。

コメントをするのは私も勇気がいりますので、コメントをいただくたびに「なんとありがたいこと・・(涙)」と感激しています。

毎日更新しています。ぜひまたお会いしましょう。

読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。