供養(犬吸いたい人)

先月つけはじめた日記の一日目見返したら弱者男性、社不、犯罪者予備軍で黒歴史な文章で笑っちゃった

今回はアレを供養するための文章です

カス日記、定期テスト前に新しい趣味に目覚めてしまうアレだったのだけど、私が先に何か予定があるとそれ以外何も考えられなくなる性分なもんで、すぐ後に控える定期テスト、おそらくズタボロであろうその結果について親なんかに詰められる事を想像して参ってしまって、それであんな文章を書いてしまったのだろうか
じゃあ勉強してズタボロの結果を免れるようにしろよっていうのが普通だとは思うし、そうしようとしたのだけど、勉強の時間はそれなりに確保したつもりで、それなりの時間を机、参考書と向き合う時間に充てたのだけど、なんというか、途中で意識が飛んでしまう。
どういうことなんだろうか
多分私はこの記事のおばぁちゃんっ子のような状況で、ここまでではないにしろ、自分の意思で何かをした体験が全然無いようなのだ。
私の母はどうも、優秀だけれど「出来の悪い人」の気持ちが想像できない人のようで、私が何かしようともたついているとガミガミ早くしろとまくしたて、間違ったやり方、効率の悪いやり方でやろうとすると阻止されてしまう。私のやり方、私が試行錯誤によってものを理解する時間を与えてくれなかった。
その歳なら自分でやっていいようなことも、私にやらせると碌にできないから母親が先にやってしまうのだ。

私が試行錯誤したり、覚悟したりしている間に、よし、やろうと意気込んで動きだす間に、母がやってしまう。

そんなだから私は無能のままでいられてしまった。何もしなくてよかった。その分叱られるが、それをやりすごせば何ともない。そういう風に思ってしまった。改善を試みたこともあったが、それを成し遂げられるだけの力はおかげで育まれなかったし、その状況を改善するよりも叱られることに慣れてしまうほうがよっぽど簡単だったし、叱られることに慣れてしまうのを避けることのほうがよっぽど難しい程に常に𠮟られていた。

母が私と口を聞く時は例外なく説教だった。

ある程度成長してから、「お前は常識が無い」と叱られることが増えた。
広辞苑によると「常識」とは、
「普通、一般人が持ち、また、持っているべき標準知力。」
母の前では何をしようとしても阻止されて、母の前でやるような事についてほとんど学習の機会を奪われてきたってのに、普通の知力を持ち合わせてるはずないでしょうに。

母はそれなりに立派に「一般人」をしてると思うのだけど、「一般人」ができるようになるまでの過程を知らないのか、無意識に「一般人」になる機会を奪ってしまう。
やり方を見せたって、何が判らないのかすら判らない奴はその通りにできるはずもない。
新しくものを学ぶときに何が判らないのか炙り出す過程が必要なことをあの人は知っているはずなのに、ただ歳をとっただけの私を「一般人」に入れてしまったらしい。
「一般人」ならば「常識」を知っているはず。しかし私はそれを学ばなかった。
私と母はより一層相容れなくなり、耐えられなくなった私は進学先を選ぶ際母と離れることを第一に考えるようになった。

そして母と離れた今、少しずつではあるが、ようやく「常識」を学び始めることができたように思う。

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