見出し画像

ドクターヘリを見た

僕はきっと医者になる。のだと思う。


実習先の病院は鄙びたところにあって僕の住んでいるところから自転車で行くには少し距離があった。
病院までの道中で男女の二人組が僕の前を自転車でゆっくりと走っていた。
彼らは大人になってから今日の日のことを思い出すのだろうか。
彼らとは丁字路で別れた。

職員用の駐輪場が分からなかったから、患者用の駐輪場に自転車をとめた。
駐輪場は病棟のすぐ隣にあって日が当たりづらいから屋根に苔が生していた。

集合時間よりも大分早く着いてしまって受付の前の椅子でノルウェイの森を読んで時間を潰した。
病院で読むにはわりかし適している本だと思った。

開始時間ギリギリに班員全員が集まって実習が始まった。
担当の先生は学生が質問をたくさんすることを望んでいたようだったが、僕には別段気になることとか知りたいことなんてなかった。
一人一つ質問することは義務のようだった。
班員の女の子が質問をして、その質問の内容を先生が褒めた。
僕は何も思い浮かばなかったから、燃えかすみたいな程度の低い質問をしたら先生は軽く失望したようだった。
そんな顔されても、と僕は思った。

その病院にはドクターヘリがあって、それを見学できる時間が設けられていた。
僕らは屋上の一階下までエレベータで、屋上まで階段で登った。
1600㎏まで載せられるエレベータだった。

屋上には柵がなかった。一瞬飛び降りてやろうかと思ったけれどやめた。
ヘリコプターは屋上の中心にとめられていた。
プロペラは大きくて、先のほうが重みで撓んでいた。
これが何人も載せて飛ぶとは俄かに信じがたかった。
科学というのはすごいものだと思った。

ヘリコプターと写真を撮ってもらえた。
皆が腕組みをするそうだから僕らもそれに倣った。
僕はなんだかひどく恥ずかしかった。
白い雲が薄く空全体を覆っていた。

ヘリコプターの見学後はまた質問をしてほしい先生のところへ戻った。
先生は僕にドクターヘリはどうだったか、と尋ねた。
すごかった、と言ったら冷めてるなぁ、と笑われた。
ヘリコプターに何の感想を求めているのだろう、と思った。

先生はここの病院で是非とも研修をしてほしいと僕らに言った。
曖昧に頷いていたら先生と目が合った。
先生は僕に何を求めているのだろう。

実習は午前で終わった。
班員と適当な話をしたかったけれど叶わなかった。
僕はじめじめした駐輪場へ行った。
駐輪場からドクターヘリが見えるかなと思ったけれど見えなかった。
僕はいつか何者かになれるのだろうかと思った。
ヘリコプターの蜻蛉みたいな姿を思い出した。
あのドクターヘリは本物だったのだろうか。

午後から学校に戻らなくてはならないので僕はのろのろと自転車を引っ張り出した。
ペダルを漕ぎながら一度病院を振り返った。
ドクターヘリは依然見えなかったけれど、出動を待っているのだろう。
ギアを6に入れて僕はその病院から遠ざかっていった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?