「光る君へ」第35回「中宮の涙」自分の恋も苦しみもすべて物語の中に閉じ込めた
今週はまず、藤原伊周(三浦翔平)から。
どんどん悪人顔になっていく伊周。
初登場の時はあんなにキラキラとした美少年だったのに、もはや面影なし。
古典の教科書や問題集でお見かけする伊周は、ザ・平安貴族。
雅やかに漢詩を詠み、少し気の弱いところもありそれがまた貴族らしい、そんなイメージ。
これはやはり枕草子のおかげである。
決して「子を産め」なんて叫んだりしない。
まして伊周が長徳の変(花山院に矢を射かけて、左遷されたあの事件)のことには触れることなく、中宮定子の仲睦まじき兄として描かれている。
あとは問題集によく載っているのが、伊周の母、高階貴子(板谷由夏)の危篤に際し、こっそり都に戻り対面する場面。
貴子が一目伊周に会って死にたいと繰り返し言っているとの知らせを受け、我が身はもうどうなっても構わないと伊周は配流先の播磨から馬を飛ばして都に馳せ参じる。母と伊周、定子が涙ながらに対面する場面は本当に哀れで涙を誘う。
古典の教科書から見える平安貴族の勢力図は、藤原道隆(井浦新)という後ろ盾を失った悲劇の中宮定子さまとその兄弟たち、そしてそういう運命に追いやったのは道長、という構図である。
これはやはり清少納言によるところが大きいのだろう。何度も言うけど、恐るべし!清少納言。
そして、今回「光る君へ」で、その世界観がひっくり返される、というのがなんとも面白いと思うのであった。
さて、まひろのほうは、巻五「若紫」を書き上げ、道長に見せる。道長が気になったのは、なぜ不義の話が出てくるのか、ということ。
不義の話というのは、光源氏と藤壺の宮の禁断の恋のお話。
第33回の感想記事でも書いたのだが、藤壺の宮というのは、光源氏の亡き母桐壺更衣と瓜二つということで光源氏の父帝が迎えた女御のことである。入内したとき、わずか16歳。ちなみに光源氏は11歳。たった5歳しか離れていない。
光源氏は自分の母によく似ているというこの藤壺を恋慕うようになる。もちろん母の記憶はない。ないからこその恋情なのかもしれないが。
ちなみに今話題の、ジェシーと綾瀬はるかは11歳差。
5歳年の差カップルといえば、窪田正孝&水川あさみ夫妻がいる。
光源氏が藤壺の宮に惹かれ、藤壺もまたこの美しい少年に心惹かれるのは当然のことなのだが、なんたって藤壺は光源氏の父の正妻。
絶対に許されない恋なのである。
ちなみに、雀が逃げたといって泣いていた若紫を見て、光源氏が目を奪われるのは、この少女が藤壺の宮に似ていたから。
光源氏も自らそのことに気づき、こんなにも自分は藤壺の宮のことを想っていたのかと涙する。実は、この若紫は藤壺の宮の姪にあたる。似ているのは無理もないことなのだった。
この若紫との出会いのあと、里に下がっていた藤壺の宮の元を光源氏は訪れ、逢瀬を遂げる。
この逢瀬によって、藤壺の宮は懐妊する。
昼ドラのようなドロドロ展開。
高校の授業では、これを朝の1時間目から解説したりする。
ごめんねー、朝っぱらからねーと言いながら。
ああ、まひろは、あの石山寺での逢瀬をここに重ねて書いていたのだ。
道長との間に生まれたのが賢子なのだが、そのことはやんわりぼかして答えている。
きっとまひろは、自分の体験を物語の中で昇華しているのだろう。
まひろと道長の、なんと表現したらいいのかもわからない関係性。
道長は、まひろの父や弟を取り立てたりして見返りを与えているが、まひろは決して現実のものとして何かを道長に求めようとはしていない。自分の恋も苦しみもすべて物語の中に閉じ込めたということなのではないだろうか。
道長も賢子のことは気付いたようで、まひろの局から帰っていくときの足取りが覚束なかった。
正直、なぜ、紫式部がこのような展開の物語を描いたのか、なんて考えたこともなかった。
それをこのように描いていくなんて、恐るべし、大石静。
彰子さまが一条天皇とようやく結ばれたことに安堵しつつ、惟成の恋や和泉式部日記が誕生する気配などもあって、ますますこれからが楽しみになってきた。