見出し画像

Three essential things in my life-人生で欠かせない3つのもの

自分のやりたいことがわからなくなったら
『今までに一番お金と時間を費やしたもの』に
焦点を当てると良い と、どこかで聞いたことがある。

私の場合・・・その都度、ものすごく興味があったものに
かなりの速度で飛びつく傾向がある・・・
しかし、それをずっとやっていくことに抵抗があるというか
また他のことに目移りしてしまうというか・・・
季節と同様、いろいろと移り変わりが激しい。
よく言えば、好奇心旺盛、悪くいえば、どれも中途半端という
めんどくさい人間である。。。

私は、プロフィールにある通り
私とって、人生に欠かせない3つのものは
英語・音楽・心理学なのである。
略してEMP[English/Music/Psychology]と呼んでいる。

これらは物心がついた頃から
いつも一緒に生きていた。今もそうだと思う。

とはいえ、何か一つのことをずっと続けていけるという
才能はないようである。
私の同僚はそれをしているので、私はやはり変人か・・・と
何度も思ったことか・・・。

逆に彼らから言われたのは
「穏やかさんは、自分がしていないことをたくさんしている人だから、
すごいです!私なんかこれしかないし、社会経験ないし・・」らしい・・・

例えば、同僚はOL経験がない、皆、高校?くらいから、その学問に
興味があって大学・大学院と進んで
そのまま、今もそれを仕事として続けている。


ここからはかなり昔の話になるが・・・
ちょっと書いてみる。

方や私は、高校の頃は、漠然と「将来は外国で働きたい」と思っていて
みんな大学へ行くから「私も」と、そんな単純な理由で大学進学を希望した。

ちなみに、両親は私の進学は希望しておらず、
就職して欲しかったのである。

担任の先生からは、私の学力を見通して、受験をせず「推薦大学へ行け」と言った。
にも関わらず、私は、カッコつけて「行きたい大学ではない」という理由で断り、真面目に受験勉強もせず、高望みの記念受験をした。

当時は女子はかなり短大が支流で、また専門学校という線もあった。
浪人をするという精神は持ち合わせていないことを自覚し、大学は断念。
にも関わらず、変なプライドなのか、下手な中途半端な2年の短大には行きたくない、と、当時、かなり盛んであった語学学校へ行くことに決めた。(こんな些細な理由で高額な授業料を出してもらった両親には感謝である)

クラスメートは勿論、日本人のクラスメートで、いろんな人がいて
それなりに楽しかったと思う。

語学学校なので、いろいろな外国から来た先生がいた。
「ここで英語が上手くなる〜」なんて思っていたけれど、
話すのが得意でなかった自分がいた。
日本人と英語を話すことに躊躇する自分もいたし、みんなの前で、英語を言わなきゃ行けない状況も私にはあまり快適ではなかった。
日本語を話している方が楽だったし・・・

そんな矢先、「ここにいても英語が喋れるようにはならない」と
サッサとアメリカ留学をしてしまったクラスメートがいた。
その影響もあってか(全く『自分』というものがない私・・・人に左右されやすい・・・)
「よし!いざ、アメリカ留学だ!」と心に決め、両親に話す。
勿論、猛反対された。折角、入学したのに、辞めたいとは・・・卒業はしなさいと・・・

で、結局その時、「自力でお金を貯めて行くしかない!」
と思った私であったのだ。
それが『いざ、アメリカ留学』の決意だったんだなぁ。。。

ここからのプロセスが今となっては
「一番、自分の夢に向かって無我夢中に挑戦し、生きていたんではないかなぁ〜」と感じる。

続く・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?