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小説 イシヤの夕暮れ

声がきこえる。その声は声にはならない声だけど確かに感じる。慟哭なる邂逅が無意識の下降の方で鳴り響くような、懐かしい郷愁が魂の古里を漂わすような、切なく奏でるラグリマ(涙)のギター演奏のような、そんな声だ。

その時罵声と殺意に似た視線を感じる。
あっそうだ僕は墓石屋だった。
しかも修行中の身である。
ここでは社長の事を親方と呼び、その弟子は金以下人以下道具以下の存在になる。

親方は昔ながらの寡黙な男でパワハラさながらの暴力で情報を伝える。常に空気を読めとつぶやく。
最初は理不尽な事があれば、辞めようと思っていたが、親方の判断の正しさを悟り、修行を続けることにした。

そういう親方もこの道30年のベテランだが、不景気の煽りを受けてリストラに追い込まれた一人である。しかし不幸中の幸いか熊本地震により墓石の倒壊。墓石リフォーム事業に乗り出した。所謂震災バブルというやつだ。
そういった経緯で30代手前、墓石屋に弟子入り志願した訳だがこの仕事を選んだ訳、それが声である。


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