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まち研究2 福島県須賀川

昭和39年東京オリンピックは日本人にとって、単なるスポーツの祭典ではなかった。
それは高度成長の波に乗り、世界の仲間入りする経済大国ニッポンを世界にアピールしたい、というのがこのオリンピックであった。
しかしこれまでのオリンピック大会で全ての陸上競技で入賞0。一縷の望みのマラソン競技でさえ、マラソンの神様アベベ・ビキラが現役の時代であった。
その大きな時代の荒波に、福島県の須賀川という小さいまちから初のメダリストが誕生する。それが円谷幸吉である。

円谷幸吉は、福島県須賀川産まれで子供の頃、結核性関節炎を患い、右足先が極端に外側に開いたままとなった。そのため円谷式フォームとわれれる独特な走り方となる。それが今後の腰痛に悩まされる理由にもなる。
その障害を乗り越える為、厳しい元軍人の父親に育てられた結果強靭な精神力が身に付く。円谷幸吉は、福島県縦断駅伝からメキメキ力を伸ばし東京オリンピックのチケットを手にする。

東京オリンピックの最大のヒーローがアベベであった。アベベはエチオピア生まれで、当時エチオピアでは農民は小作人が大半で生活は飢餓と隣り合わせだった。もし土地があればと考えるのは青年アベベだけでなく、農民全体の願望だ。またエチオピアはイタリアの侵略され、7年間支配されていた。エチオピア国民はオリンピックで勝つことに希望を持っていた。
アベベは、祖国と歴史を背負って走って走る英雄であった。円谷幸吉はアベベの好敵手として注目され東京オリンピックの顔となる。もしかしたらアベベと円谷なしに東京オリンピックの成功はありえなかったかもしれない。

須賀川というまちには、円谷マラソンという大会もありランナーが多い。陸地の傾斜が続くことから楽しんで走る立地ではない。しかし本格的なマラソン文化や駅伝選手は多い。マラソン大国日本を語る上で円谷幸吉は無視できない。しかし彼は最後自殺している。その理由は賛否両論あるが、ランナーとしてのプレッシャーや愛する妻と破談などが原因かもしれない。しかし東京オリンピック以降、日本の高度経済成長が爛熟期を迎えたこの時代、列島のあちこちに溜め込まれた膿が一斉にふきだした。ベトナム戦争泥沼化。水俣病。第一次羽田闘争(学生運動)等々。それらは円谷幸吉にも、間接的に影響を与えていたのかもしれない。

須賀川の町中で、日本を背負って世界と闘っていた日本人に出会うと心が熱くなる。しかしその英雄にしては、結末は余りにも悲劇的である。
しかし福島の風を感じると、東北の冬の厳しさや、会津藩から続く武士道精神は福島精神に通じる。武道(剣道、柔道、合気道、空手道)に通じる大東流柔術発祥の地であることも納得できる。しかしもっと起源を辿れば、厳しい冬を乗り越え生きてきたど根性がこの地には根付いているようである。
私も格闘技オタクであることから、格闘技の真似事やトレーニングに励んでいるがマラソンという競技について考えることも多い。個人的にはコロナがおさまって円谷マラソンが再開した暁には楽しんで須賀川のまちを走って堪能したいと思っている。是非とマラソンマニアの方々も円谷マラソンご覧あれ。

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