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「哲学対話」の企画をしてみた話

現在参加している育休コミュ二ティで、
哲学対話のファシリテーションをする機会をありがたくもいただいた。
実は私自身は、巷で開催されている哲学カフェに参加したこともないし、
哲学書もきちんと読破したことはない(まったく専門でもない)人間だ。

それでも哲学対話をしてみたいと思ったのは、
会議のような合意形成でも、ディベートのような議論でもない、
人と話す「対話」という時間が私にとっては何よりも楽しい時間だから。
これってどういうことなんだろう?と真剣に考えてみて、
今までの経験と照らし合わせて、ぴたりとはまる言葉が見つかったときの
快感も好きなのかもしれない。

そんなこんなで企画した哲学対話の時間だったが、
話してみて面白い!と思うことと同時に、
やっぱり自分の引き出しや場の回し方の未熟さを反省する部分もあった。
一つは、人によって言葉に対する定義が違うこともあり得ること。
(問いに選ぶ言葉は慎重に選ぶ、混同される場合は注釈をつけるなどして複数の問いが同一と捉えられない様に配慮する必要がある)
また、言葉の概念についても人によってはイメージする部分が違うこと。
(今回は「親」をテーマにしたのだが、イメージが違った場合に対話がうまく成立しない場面があった)

百聞は一見に如かず、とはよく言ったもので、
講義として受けたものと実際に自分がファシリテートする「場」では
実感として得られるものが全然違ったので、
こんな私の未熟な企画に参加してくれた参加者には、感謝しかない。

と、ここまでは反省の色濃く書き記してみたが、
育休中のただでさえ人と話す機会が減るタイミングで、
普段できないような話に思考を巡らせて話せる時間というのは、
とても贅沢な時間だなぁと改めて思った。
毎日は一瞬で過ぎてしまうけど、
この時間を捻出するための努力なら、悪くないかもしれない。

次回も張り切って企画していこう。

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