存在してますかー💖存在してまーす
存在
サムネイルのその絵がなんかおもしろくて、次にタイトル読んで──秋野田結わくさんのnoteを読んだ。おもしろかった。貼ってある動画もおもしろかった。山田玲司さんていう方をわたしは知らなかったけど、彼とことば少ななインタビュアーのお話が、そうだよなー!ってうれしくなった。
次の日YouTubeに出た山田玲司さんの動画を見て、おお!ヤノマミの人凄い!──こんなふうに生きてる人たちにはかなわねーなー!ってうれしくなっちゃったんだよー🎉
関野吉晴さんのグレートジャーニーからブラジルのヤノマミ族のことに話が展開(3分頃から)──テレビでわたしはそれを見ていたけど、見たという記憶しかない。でもとても気になる人たちだったから、ヤノマミ族のドキュメンタリーを機会があれば見てきた。ヤノマミの人たちに畏怖を感じていた。
バシャールさーん!
バシャールさんは「あなたは存在する!」って何回でも力強く言ってくれていますよ。ということは、自分の存在が覚束ない人が地球にはごまんといるってことだよ。
「俺の子じゃない!」って母の腹と胎児を蹴って父は逃げた。あんたが「できた」から「優しかった」男が変わってしまったと。「あんたの、お父さん」は「人間のクズ!」だと。こんな話を怒り、泣き、延々語る母。5、6歳からどれだけ聴いたか。全身全霊で聴いた。自分が存在することがそのまま大切な母を苦しめていると思ったから。自分はいてはいけない、でも死ぬの恐いから。わたしが「いつづける」ってことは、大好きなお母さんが幸せになれないっていうことだから、お母さんを幸せにさせないっていうことだから、償えないけど、贖罪としてできることは──お母さんの痛みを自分も感じなければならない!できうる限り!
全身全霊を捧げた事情はこんな勘違いだった。
とんだ勘違い。でもさすがに、薄々親が異常だと気づくことが、一瞬目が覚めることがあった。何度も、あった。
にもかかわらず、根源的な罪悪感だから、自分は絶対に許されない、有罪って、小さいときに認めちゃってるから、気づきが「有罪」の強化を促すという。でもねー、大人だって毎日配偶者や会社の人からさまざまな暴力を受けていたら、自分が悪いからだって思いこんで無力化されるんだから、ねー。
母への罪悪感をいだいて、こっそり、母に気づかれないように、死んだように「生きて」いた。母はわたしの身体が死なないことは許していたから、上手いこと共依存地獄。
バシャールさんの話を聞いて──バシャールの湯で湯治してるうちに、自分の体験が相対化されていった。ああ、そうか、地球ってそういうところなんだ──いっぱい恨んで怒って殺そうかと思ったりして、ようやく悲しむことができて、悼んで──バシャールの湯に浸かり、浸り、ああ、そうか、存在を呪われ、否定される経験は──そうかー・・・そうかー・・・深く広くいまもわたしに染み渡っているところ、なんですねー。
そんな今日この頃の「アイニョビ?」「アイーニョ」です。
祝福と受け取りますとも❗間違いなく祝福です。
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