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「雪の屋久島」


ご覧いただきたいのです

「はんぶんあか 半分垢」という落語があります。
三年の上方修業を経て立派な関取になって戻った夫。気のいい素直でお茶目な女将さんなんですね、有り得ないだろうっていうくらい自慢しちゃう。
うれしいんですから、無理ないです。で、関取に叱られる、いいか、って諭される。
凄い凄いって吹聴された人が、実際それを見たら、なーんだ、これが?って鼻白むんだよ、気をつけな!

新井靖雄さんの写真集「雪の屋久島」を多くの方に見ていただきたいと強く願っています。
「はんぶんあか」で自戒していていますし、わたしの余計なことばが邪魔しない状態で「雪の屋久島」と出会っていただきたいから写真のことは黙っています。


♪出囃子がなくてさみしいですが、枕も楽しい、聞きやすい。

♪出囃子あり。おじいちゃん力炸裂。

新井靖雄さんに会えたらうれしいなー🌈

本の中の新井さんのエッセイを読んで、お目にかかったことはないけれど、新井靖雄さんが大好きになりました。

一人の青年と出会う
 あれは12月上旬 花山歩道広場にテントを張って、一休みしていた時の事だった。ザクザクと雪の上を歩く音がしたので7日目にして登山者が来たのかなと顔を出してみて驚いた。スニーカーと薄いジャンパー、ショルダーバック姿で登って来たのだ。ライトも持たず、これから先の行き先も分からずただ下を向いたままだった。
 テントに入れコーヒーを差し出すと、美味しそうに飲み始めました。これは空腹にちがいないともう一杯作りパンもあげた。見れば両足はぐっしょり濡れ寒く冷えているので、予備の靴下とダウンを貸したが、これでいくらか暖かくなるからと言いながらも心配でした。時間的に これからの下山は無理。ここに泊まるのが安心だと、大型ザック2個の中身を全部出し、それを下に敷いてシュラフカバーで寝る事にした。中身はツエルトを張った中に入れたので安心。
 非常食があるの、食事を作りながら話をしても返事もなく、ようやく満腹感を味わうと 笑みが出て来てきたので、もう大丈夫とホッとした。「今日の登山は 無茶すぎるよ」と注意した。宮之浦港へ着きレンタバイクを借り、登山口と書いてあったので来てしまったのだと言う。何も知らず登って来てしまい「ごめんなさい」の一言。「何か訳があるんだね」と言うと、一気にあふれ出る胸の内を語り出した。「僕は生まれて初めてこんなに親切にして頂いて嬉しい」と泣きながら言うので「誰でも困った時は同じだから」と、そうっと背中をさすって上げたら「親にもさすってもらった事が無かった。この事は一生忘れる事はありません」と。
 そして「僕の話を聞いて下さい。4月に建築会社に入り月1回の休み。3ヶ月間見習いとして働き、8月から現場責任者を任され、何も分からずただ立っているだけでした。
 おじさんと同じ位の年の人達に「仕事がのろい!バカ!役に立たない男だ」とか、さんざん言われていて、土日も無く3ヶ月間に3日休んだだけです。
 現場で倒れて 救急搬送され1週間の入院、診断の結果「ウツ病」でした。1ヶ月間静養する事と言われた。たまたま駅にあった屋久島のポスターを見て、来てしまったと言う。
…… 「泣き事も言わずに耐えたな。本当に凄い男だよ、もう大丈夫、おじさんが太鼓判を押すよ」「おじさん、僕は今までで初めて誉められたよ、嬉しい。」と大泣きしてしまった。私は彼の背中を両手でさすりながら「やる気があれば何でも出来るよ」と伝えると、大きくうなずき 固い握手をし、知らぬ間に眠ってしまった。
 翌朝の青年の「笑顔」が最高のみやげだ。雪が凍ってバリバリと踏む足音の彼を「岳人の歌」を唄って見送った。頑張れやー。

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見事なシャクナゲ
………標高1300m付近から群生し 前年の9月初めに花芽が出はじめて、12月頃につぼみも大きく3~4㎝位になり、葉は寒い程うらを中にし筒状に丸まります。
 花の季節は5月20日頃より6月10日位です。………2週間もすると一斉に花ビラは落ち 辺り一面大きくきれいな花に覆われます。
 その斜面を見ていると、花ビラが笑顔で迎えてくれている様で、うれしくなります。
 忘れられない美しさでした。

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わたしのことばなんて要らないんです。
おとぎ話のようです。わたしが大好きな「狼と駈ける女たち」に出てきてもいいようなエピソード。
こんな人が実在するんですよね。
実在して、ちゃんと「そのとき」を違わず、「その場所」にいてくれた。

駅のポスターを見て列車に飛び乗ったのか、空港へ向かったのか、とにかくこころに逆らわないで青年は動いた。動いて、とうとう自分にふさわしい稀なる人と出会った。
辛かった、ずっとずっとさみしかった、悲しかったろう、あの青年が「そのとき」まで生きていてよかった。


⇩「雪の屋久島」のページです。


●本写真集への過程
 撮影した2300余点から著者が200点前後のモノクロ作品を選んだ。その後、現在の印刷表現にも精通する写真家・写真批評家の島尾伸三氏が編集にくわわり、その独得の感性でさらに70枚にしぼりこみ、モノクロ・ダブルトーン印刷でいく、と決定。印刷を光村印刷にお願いした。
 命がけでいどんだ著者の厳冬の屋久島の自然、、その裸形の実存につきあたっているような風景の世界があらわになっていると思います。そしてまたこの裸形の実存から、著者がまっすぐに向きあった世界=人生さえもが浮かびあがってきます。

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