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中つ国へ

1997年10月4日(土)
五、六歳?せいぜい七、八歳の男の子がお遣いに出された、中国に!
気がかりでわたしは頼まれもしないのに着いていった。

男の子は川を渡っていた。細かい斑の入ったつるつるの飛び石を、注意するふうでもなく、すたすた歩くのを、危なっかしく見ていた。
向こう岸の直前で男の子は川へ入り、ふんわり浮いて着岸した。
わたしは川の中を歩いていた。

凄いぼろで汚くて、ふたりとも酷いなりをしていた。男の子は白の袖無しに青の膝丈ズボン。わたしも同じで、上は長袖だった。

男の子はお遣い先の店に到着した。少し成長していた。
男の子は黄の封筒を届ける人だった。
店の女の人─店も人もさめた赤─は、わたしたちが遠いところからはるばる歩いてきたことを知っているのに無感動だった。わざとそうしているようにも見えた。実はそう大変でもなかったから、大変だったわねえ!って感動されたら、かえって疲れたかもしれない。なんかその女の人は、それくらい訳知りって顔してた。
このときは、わたしが男の子でもあったようだ。

男の子が残っていた旅費を女の人に返した。その中から還りの分を渡してくれるのだ。
白い一円玉を五枚くれれば十分だった。
女の人は七枚くれた。うれしかった。

男の子がテーブルのところへ来た。そしていつの間にかもう一人、水色の服の女の子が。たぶんわたしが黒で、彼女は茶だ。
三人ともとてもお腹がすいていた。
「なるべく腹持ちするものを食べようね」とわたしは提案した。
男の子がテーブルに置いた硬貨を見た。一円玉、五円玉、十円、五十円、百円? そんなになかったかもしれない。とにかく、わたしたちの全お金はとても少なかった。だけど中国では、それだって決して少なくないのだ。贅沢はできないけど。お金の価値を考え直さずにはいられなかった。

「ああ、お腹減ったー」と言ったわたしに、茶の女の子が「わたしの百円あげましょうか」と言って、きれいな百円玉を出した。
それをもらっちゃって、自分だけたくさん食べるなんて考えられない。「ね、みんなでお金を合わせて、みんなで三分の一ずつごはん食べよう」
三分の一に分けて、十分に。ひとりひとり十分に。

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