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『学び合い』は、ホモ・サピエンスのもつ集団としての本能と、中長期での教師の願い

昨日は、大学院の修了式であった。
しばらく上越に行くこともないだろう。

2年間、上越教育大学教職大学院西川研究室に所属させていただいた。

2年前、現場での不甲斐なさに意識朦朧となっていた日が昨日のようである。あっという間の2年間であった。

西川純氏の書籍をもとに、『学び合い』を実践して7年して、彼がもうすぐ退職であるという話を聞き、「今しかない!」と心に決めて門戸を叩いた。

我が子も小さかったので、タイミングは悪い。
もっと前か、もっと落ち着いてからが良かったというが正直なところ。

ただ、このタイミングでここに来て本当に良かったと思う。
このタイミングで今の仲間と出会わなければ、今の師のビジョン、ゼミの空気感を味わなければわからなかったことが多々ある。
そして、このゼミだからこんな長距離通学でも、家庭があってもなんとかなった。

師は2年前の一番最初に新入生を呼び出して早々に「今まで『学び合い』を実践してきたとか、ストレートだとか関係ない。ここは異次元だから。」と言った。

自分の教員人生の大半を費やした『学び合い』の提唱者のもと、どんな驚きがあるのだろうと胸が高鳴っていた。

が、脆くもそんな胸の高鳴りは崩れ去った。
高鳴りは戸惑い、戸惑いの連続に変わった。
(あ、批判してるんじゃないですよ笑)

初めのころは

当初はゼミ集団はなぞの集団?にしか思えなかった。
大して生産的なことを行うわけでもなく〆切の間際になって慌てたように、帳尻を合わせてのんとか形にする。
なんとも非効率に見えたのが正直なところである。

バカらしさは群を抜いてはいるが、目立って集団の凝集性があるわけでもなく、個が秀でているわけでもない。
本当に「???」だった。

恐らくゼミの外部の方からは、我々のゼミのこの印象しか伝わってはいない。

ゼミは師に質問する形式。
何を質問しても一定の理論で、ぶった斬られて終了が続く。
そして、何をしろとも言われない。
「やりたい」「ふーん。どうぞ。」の繰り返し。

自分の思い描いていた理想の『学び合い』なんてものは、あっという間にどこかに吹き飛んでいった。
前半の1年間は、ゼミ集団の居心地の良さは感じつつも、なんとも拭いきれないモヤモヤを抱えたように感じる。

何かしろとも言われないのだが、何かしないと大学院に来た意味を見出せないように感じる。

とりあえず研究もどきをする

とりあえず、現場にいた時から疑問をテーマに研究もどきの計画を立て、ゼミの協力を得ながら、1学期間教室に入り浸る。

師のよく言う「2割」がとても気になっていた。
彼らに焦点を当てて、ずーっと声を聞き、行動を見た。

見て、聞いたが、これまでのセオリー通りで特に発見はなかった。

ただ、彼らにインタビューをした瞬間、これまでの全てが音を生して崩れた。

ずーっと教室での学習をリードしていたある1人の生徒は、
「先生が言うから、誰かに教えているつもりは、ない。自分のためだ。」という旨を言った。
また、誰かを教えあり助けたりするときの意識について、
「うーん、別に自然にやってる。」
と言う。

どれだけ自分が愚かだったのかと気付かされた瞬間であった。

学びの旅

ゼミの仲間たちは、日本全国津々浦々、我々の感性にヒットするような場所(学校に限らず)を訪問していた。


家族の時間をなるべくとりたいし、お金に関してケチな私は限られるタイミングしか同行できなかった。(しなかった?笑)

が、仲間の姿勢から相手の懐に飛び込む姿勢、止まる事なく行動する姿勢には感化された。

自分でも地域で活動するようになり、繋がりをいただいた方の紹介で県内のある子ども園を訪問した。

ある子ども園の子どもたちの姿から

認可外のこども園。ひとまず自然や自由を大切にしている、そんな印象だった。

とにかく一日ずーっと、一歳半から六才の10人程度の集団を見ている。
保育者は、子どもは大切にしているが、不必要に関与はしない。変な熱苦しさなんてものもない。

子ども集団は私をチラ見しながら警戒している。ある女の子はこちらに興味があるよう。
彼女は私に話しかける。

私が危険な人物ではないと感じ取ったのだろう。次々に話しかけてくる。
その様子間近で伺っていた一歳半の子もニコニコしながら私に寄ってくる。

遊びの仲間に入れてもらった。

ここにあるもの全ては遊び道具なのである。

誰かが試してみて、面白そうで危険が無さそうなら次々へ回りへ波及する。

保育者は、空間にはいるが、眺めているか、たまにニコニコ寄ってくるくらい。

『学び合い』集団だと感じた。ただ大人も含めて誰も『学び合い』なんて知らない。

勘の悪い私は、ようやく気がついた。
『学び合い』なんて特別なものではない。
人間の主体性とか協働性なんてものは人間のDNAに備えられたものである。

「主体性や協働性を育む」という表現がいかに的を得ていないかを実感した。そういう人たちは、人間の本能を卑下しているのかとも思ってしまう。

主体性や協働性を発揮できない環境を作っているのが問題の根源であり、彼らに主体性や協働性がないわけでは決してない。
それを阻害している大人のアプローチも含めた環境が問題なのである。

あとは、「中長期」という視点をいかに伝えるか、その場限りでの感情に寄れば行動のブレも出るだろう。

ただ、その瞬間の行動が未来にどう繋がるかと考えだせば、ブレは抑えられるだろう。
1人がブレても周りが理解すれば1人を抑えられるかもしれない。

「中長期」という視点で考えれば、必要な行動は自ずと見えてくる。
大人は子どもより偉くはないが、人生の経験はある。
人生の経験として伝えられるものもあるだろう。人間が学問として積み重ねてきたものもあるだろう。
大人の言うことが理に適うと認められれば、自然とその考えが根付いていくだろう。

「こうせねばならない。」ではない。「こうしたらいい。」をもとにトライアンドエラーを繰り返すのである。

理念が寝付ければ、トライアンドエラーが無駄足になる確率が小さくなる。

究極を言えば、大人の最も大切な仕事は、「自分の幸せを実現した姿をさらけ出し、子どもの選択を阻害しないこと」である。

大人は、「幸せのふり」でなくて、「幸せである」必要があると感じる。
だから私は家族の幸せを第一優先にせねばならない。

行動を選択するのは、その個人次第である。

ものすごい許容範囲が必要なのは言うまででもない。
しかし、我々が人間社会に今最も必要なのはこの「許容範囲」であり、心の「余白」なのだろうと感じる。

ある指針に基づいて、各々の課題を各々のペースで取り組む、課題解決のために緩やかに人とつながる集団。

これらを具現化した姿の一つが現在の西川研究室なのだろう。

さて、学校現場に戻ります。
早々に野垂れ死ぬか、
飄々とやってのけるか、
もう周りに相手にされなくなるか笑、
はわからない。
まぁいずれかしかない笑

今のところ、私の進む道は明らかである。

改めて、
この学びの機会をいただけたこと、
「何もしてない。」と言いつつ、己の生き様を語り、体現することで教えてくれた西川純教授、
我の強い私を受け入れて、温かく支えてくれたゼミの仲間に心から感謝しています。


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