トラブル続きの学級を立て直す
ゼミの若者が授業をすると聞いたので、参観させていただく。
年度当初は1クラスでスタートしたものの、クラスが落ち着かず年度途中から2クラスになったそう。
そんな2クラスを再び合流しての算数の授業。
何時間か任せられているうちの2時間目とのこと。
結論からいうと、とても良かった。
パッと見では、そんなトラブルの多いクラスなどとても思えない。
もっといえば、そのようなトラブルは、見る人がトラブルとして捉えるからトラブルになるのである。
トラブルとして捉えてるのは誰なのか。
1時間目を見ていないので、なんとも言えないが、この2時間目では、温かな言葉が増えて、問題解決のために前向きに関わりながら学習する様子が増えたとのこと。
学習の質は、まだ高める余地がありそうなので次につながるだろう。
良くなる未来は手にとるように感じた。
よく誤解されるが、
トラブルが多いから『学び合い』なんて無理ではなく、トラブルがあるからこそ、『学び合い』の中で、集団のコミュニティを再構築すべきだと考える。
もちろん手法としてではなく、教師のビジョン、姿勢が問われる。
ビジョン、姿勢が問われた結果、
集団から可決されれば、本能的に集団として良好な関係を築こうとするし、
集団から否決されれば、教師を排除するために抵抗する。
この抵抗を俗に「トラブル」というのであろう。
これは、むしろ自然な結果である。
筆者は1学期間、ひたすらに授業に張り付い参観させていただく経験をしたため、アンテナが高まっている笑
クラスをリードする子が、院生の腹を探っているのがとてもよくわかる。
一先ずではあるが、彼らは、院生の姿勢を評価しているようだ。
これから、時間が重ねるごとに院生のビジョン、姿勢がその子たちによってスキャンされていくのだろう。
院生は、担任になるわけではないので、
この集団の変化は限定的にはなるが、学校の先生方が手を焼いたクラスが変わっていくのは大きなインパクトがある。
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