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子どもたちは実験が好きなんて幻想なのかも

ゼミの仲間の授業を見学させていただきました。
『』実践者であり、同い年で同校種、同教科なのだが、この1年半くらい教科の話をしたことはあまりない。
対話によって教育観はアップデートされていると感じる一方で、教科への興味が薄れているとも言える。

ただ現場に戻ったら理科教員として戻るわけである。
最近はこのアップデートされたスピリットを周りと折り合いをつけながら実践として落とし込むには、どうするかと妄想し始めた。

問答への反応

ゼミ生は教師と学習者の「問答」について研究しているので、授業はじめに、生徒からの質問に教師が答える場面がある。
質問によって、質問している生徒以外の聞いている生徒反応が大きく異なる。
質問によっては、ほとんど生徒が顔を前に向けて聞いているものもあれば、多くが興味をもたないものもあった。

おおよそ我がゼミでの反応と似通っているように感じる。

さて、2年生の電力の学習である。

目標と取り組む課題が分かれて提示されている。
課題は、副教材のワークとリンクしている。

今日は前時までで、ワークで電力の概念や実験操作を学んだ上で、電力と水の上昇温度を調べる実験を行い、グラフを作成するらしい。

おおよそ通常の授業構成の全く逆をいく。

大した実験についての説明は教師からはない。
学校にある道具などを鑑みて、教科書やワークの方法と変更しなくてはいけない部分のみ説明が行われていた。

ただ、中学生としては、理科の現象を見て感動したいというよりも、テストの点数を取れるようにしたいと思っている人が多い。

テスト前には、副教材のワークで学習する。

だとしたら、授業から副教材のワークで学習していった方が、効率的ではないか。

見事に目標と学習と評価が一体化している。
一般的にいうような目標と学習と評価とはかけ離れている(特に学習?)ようにも思えるが、とても合理的である。

理科教員の多くは実験を大切にする。
かくいう私も理科教員として、実験を大切にしてきた方だと思う。

理科=実験みたいに言われるが、

理科は実験してなんぼ、実験がなくては理科ではない!という風潮がある。
確かに実験を行うことで理科の成績は向上するという論文は多い。

子どもがただ自己調整を図り、長期的な目線で学習をカスタマイズしていくことを想定した時、必ず実験をしなくてはいけないというのは制限がキツいように感じる。

学習指導要領に「〜を実験し、」とあれば実験しなくてはならないだろうが、そうで無ければ動画の視聴や副教材を活用して省略することも許容したいと考える。
やるやらないの裁量がほしい。

彼の実践でも、
時間変更が入り、中途半端に終わってしまった実験に関して、
「こちらの責任だから、もう1時間実験できる時間をとりますか?」
と問いかけたところ、
彼らは再チャレンジを選択しなかったそうだ。

学校の授業全体が座学中心であれば、その反動として体験的な学習に興味をもつことも往々にしてあるだろう。

ただ体験的であっても、その場が教師から「与えられる」という側面が強すぎるのではないか。

自由進度学習、自己調整学習なんて流行り言葉が昨今出てきた。
だとしたら、子ども自身がコンテンツを取捨選択する裁量が必要だと感じた。

うむ、いいヒントを頂いた。

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