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『キャリー』:1976、アメリカ

 高校3年生のキャリー・ホワイトは、いつもクラスメイトからバカにされていた。ある日、体育の授業を終えてシャワーを浴びていた彼女は、初めての生理を迎えた。しかしキャリーは、初潮についての知識が全く無かった。狂信的なカトリック信者である母のマーガレットは、キャリーに何も教えていなかったのだ。

 キャリーはパニックに陥るが、その姿を見たクラスメイトのクリスやノーマたちは嘲り笑った。教師のコリンズはキャリーを早退させ、クリス達に罰を与えた。娘が初潮を迎えたと知ったマーガレットは、肉体の成長は邪悪だと口にした。キャリーには狂信的な母親の他に、もう1つの問題があった。彼女は感情が高ぶると、念動力を発動してしまうのだ。

 キャリーの同級生のスー・スネルは、恋人のトミーとプロムへ行くことになっていた。しかしスーはトミーに、キャリーを誘ってあげてほしいと頼んだ。トミーは頼みを聞き入れ、キャリーを誘った。キャリーは母の反対を押し切り、トミーとプロムへ出掛ける。だが、そこではクリスや恋人のビリーたちが罠を仕掛けて待ち構えていた。クリスたちはキャリーをプロム・クイーンに仕立て上げ、彼女が舞台に上がったところで頭上からバケツに入った豚の血を浴びせ掛ける作戦を立てていたのだ…。

 監督はブライアン・デ・パルマ、原作はスティーヴン・キング、脚本はローレンス・D・コーエン、製作はポール・モナシュ&ブライアン・デ・パルマ、製作協力はルイス・A・ストローラー、撮影はマリオ・トッシ、編集はポール・ハーシュ、美術はジャック・フィスク&ウィリアム・ケニー、衣装はロザンナ・ノートン、音楽はピノ・ドナッジオ。

 出演はシシー・スペイセク、パイパー・ローリー、エイミー・アーヴィング、ウィリアム・カット、ベティ・バックリー、ナンシー・アレン、ジョン・トラヴォルタ、P・J・ソールズ、プリシラ・ポインター、シドニー・ラシック、ステファン・ギーラッシュ、マイケル・タルボット、ダグ・コックス、ハリー・ゴールド他。

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 スティーヴン・キングのデビュー小説を基にした作品。キングの原作が初めて映画化されたのが、この作品である。アボリアッツ・ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞している。
 キャリーを演じたのはシシー・スペイセク。彼女は今作品の美術監督で夫のジャック・フィスクに勧められ、オーディションを受けたらしい。

 他に、マーガレットをパイパー・ローリー、スーをエイミー・アーヴィング、トミーをウィリアム・カット、コリンズをベティー・バックリー、クリスをナンシー・アレン、ビリーをジョン・トラヴォルタ、ノーマをP・J・ソールズ、スーの母をプリシラ・ポインターが演じている。
 エイミー・アーヴィングとプリシラ・ポインターは、役柄だけでなく、実際にも母と娘である。

 シシー・スペイセクの女優魂は、この映画の大きく貢献している。
 決して器量がいいとは言えない女優だが、容姿の冴えない陰気なヒロインが心を開くと、ちゃんと見栄えからして魅力的な女性に変貌している。そしてショッキングな出来事の後、瞬時にして悲しいモンスターへと変貌する。
 それを見事に表現しているのだ。
 ちなみにプロムのシーンで使われた血は偽物だが、彼女は本物の豚の血を浴びても構わないと思っていたそうだ。

 ようするに「血のシャワー」から「キャリーのイヤボーン」へというクライマックスに、全てが集約されるという作りになっている。
 ようやくキャリーが母親の呪縛から解放され、心を開いて普通の少女として生きようと決断する。そして彼女は幸せの絶頂を体感するが、一気に奈落の底に突き落とされ、怨念のマグマが爆発するという仕掛けだ(分割画面が効果的だとは思わないが)。

 イジメっ子限定ではなく、そこにいた連中は全て攻撃するという形になっている。
 しかし良く考えて見れば、後半でキャリーに優しく接したコリンズだって、「イジメっ子の気持ちも分かる。キャリーを見ているとイライラする」と言っている。最後に悪夢を見るスーにしても、トミーをプロムに貸し出すのは醜悪な哀れみだろう。
 みんな嘲笑するんだし、揃って死んで良し。

 スティーヴン・キングのホラー小説を映画化した作品の中で、ベスト3に入ると言い切ってもいいだろう。
 ただし、この映画に関して私が思うのは、「果たしてホラー映画と呼んでしまってもいいのかどうか」ということだ。
 キャリーとは無関係に、青春映画として描かれているシーンも少なくない。キャリーが同級生からイジメを受けたり母親から抑圧されたりするシーンにあるのは恐怖ではなく、不快感や嫌悪感といったものだ。

 クライマックスでさえ、ホラーと呼ぶべきものなのかどうか。
 話の流れを考えると、大半の観客はキャリーに同情心を寄せるだろう。そうであるならば、クライマックスでは恨みを爆発させるキャリーに対して恐怖を感じるのではなく、極端に言えば「やっちまえ、皆殺しにしろ」と応援したくなるのではないか。カタルシスを感じるのではないか。
 つまり、そこに描かれている赤の惨劇は、ある意味ではスカッと心地良い活劇なのではないかと思ったりするのだ。

(観賞日:2005年8月5日)

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