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『山猫』:1963、イタリア&フランス

 シチリアの名家であるドン・ファブリーツィオ・サリーナ公爵がピローネ神父や家族と神に祈りを捧げている時、外で騒がしい音がした。祈りを終えたファブリーツィオの元へ執事のミミが来て謝罪し、庭に兵士の遺体があったことを報告した。
 ファブリーツィオは友人からの手紙を読み、北の連中が上陸したので家族とイギリス船に避難することを知った。手紙には「君も逃げた方がいい」という忠告があったが、彼は「腰抜けめ」と吐き捨てた。

 手紙に同封された新聞には、ガリバルディーの率いる武装集団が上陸して破壊を繰り返していることが記されていた。ファブリーツィオは息子のパオロに、無人では略奪されるのでパレルモの屋敷へ行くよう指示した。妻のステッラは発作を起こし、娘のコンチェッタたちが薬を飲ませた。
 ファブリーツィオは息子のフランチェスコに、ミミを呼ぶよう命じた。なかなかミミが来ないのでファブリーツィオは苛立ち、庭に出て彼に「馬車を呼ぶようアントニオに言え」と怒鳴った。

 夕食後、ファブリーツィオはピローネに同行を求め、一緒に馬車でパレルモへ向かう。彼が甥のタンクレーディを心配していると察したピローネは、「友人を選ばないと身の破滅を招く」と指摘する。
 ファブリーツィオは「彼自身ではなく、時代が悪いのだ。今は良家の若者の周囲に筋の悪い人間しかいない」と語り、タンクレーディを擁護した。ピローネと別れたファブリーツィオは娼宿へ行き、懇意にしている娼婦のマリアンナと一夜を過ごした。

 翌朝、邸宅へ戻ったファブリーツィオの元に、タンクレーディがやって来た。彼はファブリーツィオの女遊びを知っており、「いつまでもお若い」と言う。タンクレーディが1時間後に出発すること、ナポリ王のフランチェスコ二世と戦うことを話すと、ファブリーツィオは「卑劣な連中とつるみおって。ファルコネリ家の名折れだ。お前は王を守る側の人間だぞ」と批判する。
 タンクレーディが「マッツァーニの共和国は失敗しました。我々も参加しなければ、また変な共和国が生まれます。現状を維持したければ、変わらねばなりません」と語ると、ファブリーツィオは賛同しなかったが餞別を渡した。

 ピローネを訪ねたファブリーツィオは、女遊びに関する告解を促される。しかしファブリーツィオは拒否し、「私は精力が余っている。夜の営みの前に十字を切るような色気の無い妻で、どう満足しろと?それでも子供を7人作った。妻の方が罪深い」と語った。
 彼が「真実を発見したよ。今の騒動では、我々の国は何も変わらない。階級の交代があるだけだ。中産階級は我々に取って代わりたいだけだ。この国では妥協が全てだ」と言うと、ピローネは「貴族の方々は教会を犠牲にして自由主義者の連中と和解するつもりなのですね」と非難する。ファブリーツィオは冷静な口調で、「将来、我々を犠牲にして助かる場合があれば、教会は犠牲にするはずだ」と述べた。

 町では激しい戦闘が繰り広げられ、タンクレーディは革命軍の一員として王の軍と対決した。ファブリーツィオは恒例となった引っ越しのため、家族や使用人たちと共にドンナフガータへ向かった。すると道路が封鎖されており、通達によって通行許可証が無効とされていた。フランチェスコは激怒し、強引に検問を突破した。
 ピローネは信者たちから、「この戦乱を貴族はどう思っているのか?気性が激しく誇り高いサリーナ公爵の考えは?」と訊かれる。ピローネは彼らに、「我々にとって重要なことでも貴族は気にしないし、我々の知らない憂いがある。あの方は、革命など存在しない、全ては今まで通り続くと言うだろう」と述べた。

 ファブリーツィオの一行がドンナフガータに着くと、市民は大歓迎した。ファブリーツィオは友人のチッチョに声を掛け、変わったことは無かったと問い掛けた。教会のミサに出席したファブリーツィオは、セダーラ市長夫妻を夜の晩餐会に招くようステッラに指示した。
 彼が別荘で入浴していると、ピローネがやって来た。コンチェッタが恋をしたことを聞かされたファブリーツィオは、相手がタンクレディーであることを悟った。

 ピローネはファブリーツィオに、コンチェッタが「タンクレーディからの求婚は近い」と確信していることを話した。ファブリーツィオは「夢見がちな娘の空想だ」と一刀両断し、「新しい社会の出世階段を上ろうとする野心家の夫に、引っ込み思案の娘は足手まといになるだけだ」と語る。
 さらに彼は「それに甥には金が必要だ。資産のあるステーラ伯爵家の娘がいい」と言い、ピローネが反対すると「器量は悪いが、愛など1年で燃え尽きる」と述べた。

 セダーラが燕尾服にブーツ姿で別荘へ来ると、ファブリーツィオは品の無い格好だと感じる。セダーラは妻が風邪をひいていることを話し、娘のアンジェリカを代わりに同行させた。アンジェリカが登場すると、男たちは全員が目を奪われた。
 晩餐会の席で、タンクレーディは戦地の修道女たちが怯えた出来事を冗談めかして語る。アンジェリカは大笑いするが、他の面々は不快感を示して席を立つ。コンチェッタはタンクレーディに、「その忌まわしいことは告解で話すべきよ若い女性がいる席で話すべきじゃない」と注意した。

 翌日、ファブリーツィオはタンクレーディを支援してやろうと考え、住民投票の会場へ赴いて賛成票を投じた。セダーラは感謝の印として、酒を出した。夜には集計が終了し、セダーラは市民に全ての票が賛成だったことを発表した。
 その結果にファブリーツィオは疑いを抱き、翌日にチッチョと狩りへ出掛けて「どちらに票を投じた?」と質問した。チッチョは反対票を投じたと明かし、「統一は時代の要請なのでしょう。しかし受けた恩は決して忘れません」と述べた。

 チッチョはファブリーツィオに、スペイン王室のイザベッラ王妃のおかげで教会のオルガン奏者になれたこと、生活が困窮した時も救ってもらったことを語る。ファブリーツィオは「民衆はガリバルディーの勝利に酔いしれている。住民投票は混乱を防ぐ緊急措置だ。体制全体を保つためには、一部の変化が必要なのだ」と説くが、チッチョは納得しなかった。
 ファブリーツィオがセダーラに関する情報を尋ねると、チッチョは彼が資産家であること、革命に供えて後援組織を作っていたこと、数年後には大地主になることを語った。

 ファブリーツィオとステッラの元に、タンクレディーからの手紙が届いた。タンクレディーがアンジェリカと結婚するための仲人を要請してきたので、ステッラは裏切り者だと激しく怒った。ファブリーツィオは「甥には野心があり、湯水のように金を使う。市長の管理している金が必要だ。娘には求婚していないから、裏切り者ではない」と語り、ステッラを鋭く諌めた。
 翌日、彼はセダーラを呼び寄せ、甥がアンジェリカと結婚したがっていることを話す。セダーラが2人の結婚を歓迎すると、ファブリーツィオは「ファルコネリ家の家柄の古さは言うまでもないが、現在の経済状況とは釣り合っていない。だが、散財無くして甥のように洗練された魅力を身に付けることは不可能だろう」と述べる。セダーラは言葉の意図を汲み、若い2人に土地を譲渡して金貨20万枚を提供することを約束した。

 嵐の夜、タンクレーディは友人のカヴリアーギ伯爵と従卒のモローニを連れてファブリーツィオの屋敷にやって来た。ガリバルディーの赤いシャツを着ていないことにファブリーツィオが気付くと、タンクレーディは平然とした口調で「ガリバルディー軍は過去の話ですよ。我々はイタリア国王軍の将校です。ガリバルディー軍が解散して移籍したのです」と語った。
 彼はアンジェリカのため、餞別に貰った金で指輪を購入していた。カヴリアーギはコンチェッタに、詩集をプレゼントした。アンジェリカが駆け付けるとタンクレーディは指輪を贈り、キスをして抱き合った。

 タンクレーディが夫婦の新居となる一族の屋敷へアンジェリカを案内した時、同行したカヴリアーギは「コンチェッタは脈無しだ。ここを去るよ」と言う。タンクレーディは「話をしてから結論を出しても遅くない」と告げ、もう少し留まるよう勧めた。
 アンジェリカは彼と2人になると、「コンチェッタはカヴリアーギに興味が無いわ」と口にする。タンクレーディは「愚かな女だよ。カヴリアーギは結婚相手として最高だ」と述べ、コンチェッタへの疑問を呈した。

 フランチェスコはトリノから来た客のシュヴァレーを迎えに行き、屋敷に案内して滞在してもらう。シュヴァレーはシチリアに来た目的について、サルデーニャ王国にシチリアが併合されたこととの関連性に言及した。
 政府はシチリアの名士を王国貴族議員に指名する意向を持っており、ファブリーツィオの名も挙がった。そこで上司から手紙が届く前にファブリーツィオの意志を確認するため、彼はシチリアへ来たのだ。議員の仕事について詳細を訪ねたファブリーツィオは就任を断り、セダーラを推薦した…。

 監督はルキノ・ヴィスコンティー、原作はジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ、脚本はスーゾ・チェッキ・ダミーコ&パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ&エンリコ・メディオーリ&マッシモ・フランチオーザ&ルキノ・ヴィスコンティー、製作はゴッフリード・ロンバルド、製作総指揮はピエトロ・ノタリアーニ、撮影はジュゼッペ・ロトゥンノ、美術はマリオ・ガルブグリア、編集はマリオ・セランドレイ、衣装はピエロ・トージ、音楽はニーノ・ロータ。

 出演はバート・ランカスター、クラウディア・カルディナーレ、アラン・ドロン、パオロ・ストッパ、リナ・モレリ、ロモロ・ヴァリ、イヴォ・ガラーニ、レスリー・フレンチ、セルジュ・レジアニ、マリオ・ジロッティー、ピエール・クレマンティー、ルチッラ・モルラッキ、ジュリアーノ・ジェンマ、アイダ・ガリ(イヴリン・スチュワート)、オッタヴィア・ピッコロ、カルロ・ヴァレンザノ、ブルック・フラー、アンナ・マリア・ボッティーニ他。

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 ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサの小説を基にした作品。監督は『白夜』『若者のすべて』のルキノ・ヴィスコンティー。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得している。原作は全8章の長編小説で、映画では第6章までを取り上げている。
 イタリア人以外の俳優の台詞は、全て吹き替えとなっている。日本では1964年に短縮された英語国際版(161分)、1981年にイタリア語のオリジナル版(185分)、2004年には完全復元版(186分)が公開された。私が見たのは完全復元版である。

 ファブリーツィオをバート・ランカスター、アンジェリカをクラウディア・カルディナーレ、タンクレーディをアラン・ドロン、カロージェロをパオロ・ストッパ、ステッラをリナ・モレリ、ピローネをロモロ・ヴァリが演じている。他にパッラヴィチーノ役でイヴォ・ガラーニ、シュヴァレイ役でレスリー・フレンチ、チッチョ役でセルジュ・レジアニが出演している。
 また、ガリバルディー軍の将軍役でジュリアーノ・ジェンマ、ファブリーツィオの長女のカロリーナ役でアイダ・ガリ(イヴリン・スチュワート)、三女のカテリーナ役でオッタヴィア・ピッコロが出演している。

 ファブリーツィオが馬車でパレルモへ向かうシーンで、ピローネが「タンクレーディ様のことが心配ですか」と問い掛ける。しかし、その直前まで「ガリバルディー軍が上陸して破壊を繰り返している」ってことを話題にしていたので、唐突な質問にしか感じない。
 そもそも、なぜファブリーツィオがタンクレーディの心配をしているとピローネは分かったのか。そしてファブリーツィオは、なぜそのタイミングで急にタンクレーディが心配になったのか。まるでワケが分からない。

 根本的な問題として、その直前まで描かれていた邸宅のシーンでタンクレーディは登場していないし、台詞でも触れていない。そのため、タンクレーディが何者なのか全く分からないのだ。じゃあ翌朝のシーンで登場すれば分かるのかというと、ファブリーツィオとの関係性については何も教えてくれない。タンクレーディがファブリーツィオの甥であることも、彼の両親に関する情報も、まるで説明が無い。
 実は冒頭シーンでも、ファブリーツィオがパオロやコンチェッタの名を呼んでいるが、その関係性は全く分からないという問題がある。多くのキャラクターが登場するのだが、そいつの素性も他の面々との相関図も分かりにくい。

 ファブリーツィオはパオロに「パレルモの邸宅へ行け」と命じていたので、パレルモへ行くのは別宅が気になったからなのかと思いきや、そうではない。タンクレーディの元へ行くわけでもなく、マリアンナを訪ねている。これも唐突で、困惑させられる。
 後から「妻との関係に不満があり、精力が余っているの娼婦に走っている」ってことが説明されるが、話の流れに乗っていくことが難しくなっているのは事実である。そこに限らず、この映画は状況説明が少ないので、そこが1つの厄介な問題となっている。

 さらに厄介なのは、当時のイタリアを取り巻く情勢が分かっていないと、この映画に入っていくのが難しいってことだ。舞台となっている1860年当時のイタリアは、まだ国家が統一されていなかった。そんな中、ピエモンテ王の軍事顧問となったガリバルディーは、ナポリ王国の征服を目指して上陸して来たという状況だ。
 当時のシチリアはブルボン王朝と密接な関係にあったわけだが、この辺りも全く説明が無い。なので、かなり専門的な知識を必要とする映画ってことになる。

 そもそもルキノ・ヴィスコンティーの映画だから、普段はハリウッドのアクション映画や少女漫画が原作の恋愛映画ばかり見ているような人からすると、難しくて取っ付きにくいことは間違いない。そこに「歴史的背景に関する充分な知識が無いと基本構造が全く見えない」という問題も入るので、かなり厳しいことになっている。
 ただ、前述したようなタイプの人は、この映画を見るのを避けた方が賢明だ。評価の高さに関わらず、自分に合わない映画を無理して見る必要は無い。時間には限りがあるのだから、有意義に使った方がいい。

 ピローネは信者から「この戦乱を貴族はどう思っているのか?」と質問されるシーンの後、ファブリーツィオたちがピクニックをしている様子が描かれる。そこからシーンが切り替わり、「戦闘から数日後、タンクレーディは反乱軍の将軍を連れて来た。フレスコ画の鑑賞が目的だ」というファブリーツィオの語りが入って、将軍が来る出来事が描かれる。
 それは別荘ではなく、屋敷での出来事だ。だが、すぐにピクニックのシーンに戻り、また屋敷のシーンに切り替わる。ここの時系列をシャッフルして短いシーンを交互に描く趣向は、狙いが全く分からない。ただ余計な混乱を招くだけだし、どっちのシーンも大して中身は無い。

 この映画で描かれるのは、移りゆく時代の中で取り残される老いた貴族の姿である。ルキノ・ヴィスコンティーは貴族階級の出身であり、ファブリーツィオには自身の姿も投影されている。その気があれば、ファブリーツィオは時代の変化に付いて行くことも出来た。
 しかし貴族としての暮らしに染まり切った彼は変化を恐れ、変革の波に乗ることを嫌がった。それは「老兵は去りゆくのみ」ということではない。「老齢だから」ってのは言い訳に過ぎず、どれだけ年を取っていても変わろうとすれば変われたはずなのだ。

 ファブリーツィオ自身も、今のままでは滅びるしかないことを理解している。タンクレーディのように時代に合わせて変化することが賢明てあることは良く分かっている。しかしファブリーツィオは、貴族階級であることに固執した。それが彼のアイデンティティーを形成する中核だからだ。
 それは空虚な物だが、ファブリーツィオにとっては何より重要だったのだ。だから彼は変革への積極的な参加を促されても断り、シチリアと共に眠りに就こうとするのだ。

 ファブリーツィオと対照的なキャラクターとして配置されているのが、タンクレーディだ。彼は前のめりで革命に参加し、時代の変化に合わせて順応していこうとする。ただ、彼も貴族階級の人間だし、女好きという部分も含めてファブリーツィオと似た部分はある。
 ウマが合うからこそ、ファブリーツィオは彼を可愛がっているのだ。ファブリーツィオは変化を恐れないタンクレーディを、羨ましく思う部分も少なからずあっただろう。

 ファブリーツィオはイタリアそのものの変化を拒絶したり、嫌悪したりしているわけではない。タンクレーディを支援するため、住民投票で賛成票を投じる行動まで取っている。ただ、そこには「どうせ止められないのだから、抵抗しても無駄だろう」という諦念が少なからずあるのではないか。積極的に変革を望んでいるようには見えない。
 チッチョに「住民投票は混乱を防ぐ緊急措置だ。体制全体を保つためには、一部の変化が必要なのだ」と話すシーンも、彼をなだめようとする意図はあるだろうが、自身も同じように考えている部分があるのではないだろうか。

 タンクレーディがアンジェリカに求婚し、ファブリーツィオとセダーラの間で話がまとまっても、「それを知ったコンチェッタが驚く」とか「失恋したコンチェッタが塞ぎ込む」といったシーンは無い。嵐の夜のシーンでも、タンクレーディが屋敷へ来た時、コンチェッタは家族と一緒にいる。
 タンクレーディがアンジェリカとキスする時は少し気にする様子を見せるが、その程度の反応しか無い。彼女の心情に深く分け入るようなことは無く、恋愛劇は軽視されている。タンクレーディがコンチェッタを捨ててアンジェリカを選ぶのは、身代わりの早さを描くためのモノであり、極端に言ってしまえば恋愛劇はどうでもいいことなのだ。

 ファブリーツィオは議員になることを求められた時、名誉称号なら受けるが政治に関わるつもりは無いと言って断る。そして彼は、何より虚栄心を大事にしていることを語る。この作品も、そんな虚栄心に覆われていると言っていい。それが顕著に現れているのが、後半に用意されている舞踏会のシーンだ。このシーンには約50分という長い時間を割いており、撮影日数は36日間で出演者は総勢240人。
 しかも主要キャスト以外は単なるエキストラというわけではなく、シチリア貴族の末裔に参加してもらっている。長い尺に見合うだけの中身が舞踏会のシーンに詰まっているのかというと、答えはノーだ。だが、そこは「豪華さを見せる」ってのが一番の目的であり、それが監督の貴族としての虚栄心なのだろう。

 ピローネが言うように、貴族ってのは庶民と違って特殊な存在だ。そして本作品を見る観客の大半は、貴族ではなく庶民のはずだ。だからファブリーツィオの考えが理解できなかったり、共感を誘わなかったりしたとしても、それは仕方が無いと言えよう。「そういう観客でも本作品を楽しみたい場合、どうすればいいのか」と問われたら、「映像を堪能すべし」と答えておく。
 これは本作品に限らず、ルキノ・ヴィスコンティー作品全般に言えることだが、「考えずに感じる映像芸術」として捉えた方が圧倒的に敷居は低くなる。この映画であれば、舞踏会のシーンを見て「ゴージャスだなあ」と薄い感想を抱くだけでも、別にいいんじゃないかな。

(観賞日:2019年4月20日)

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