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『野良猫ロック マシン・アニマル』:1970、日本

 不良少女グループを率いるマヤは、仲間に手を出そうとした外国人2名を追い回した。マヤと仲間のレミ、ジュン、エマ、サリイ、ユカが彼らを痛め付けていると、不良グループ「ドラゴン」の佐倉やダル、キッドたちがバイクで現れた。
 マヤたちはドラゴンのバイクに乗り、その場を去った。しばらく走っていると、岩国から来たノボとサブという2人組が車の故障で立ち往生していた。佐倉が「気を付けろ、街へ出て来たらな」と挑発するとサブは激昂するが、ノボがなだめた。

 マヤたちはゴーゴーバー「アストロ」へ行き、マリファナを楽しむ。ノボとサブはギリシャバーへ行き、岩国の基地で紹介されたマスターと会った。スウェーデン行きの船に3人が乗るための手配をノボが頼むと、マスターは「来週なら何とかなる。一人百万からだ」と告げた。
 ノボは一錠のLSDを見せ、「これで乗せてもらいたいんだ。五百錠ある」と言う。マスターが「そういうのは扱ってないんだ」と説明すると、店で歌っていたミキが「心当たりがあるよ」とノボに声を掛けた。彼女はノボたちに、アストロへ行って自分の元仲間であるマヤに聞くよう勧めた。

 ノボとサブはアストロへ赴き、マヤに「ドラッグを買いたい」と嘘をつく。マヤが「あのバーテンに聞くといい」と教えると、ノボたちはバーテンである清水の元へ移動した。ノボたちはLSDを見せ、明日の夜までに買うかどうか決めてほしいと告げて立ち去った。
 マヤはノボたちが五百錠のLSDを持っていると知り、仲間と共に後を追った。ノボとサブは車に戻り、隠れていた米兵のチャーリーと合流する。マヤたちは車を包囲し、ナイフで脅してドラッグを渡すよう要求した。するとチャーリーは拳銃を構え、マヤたちが怯んだ隙にノボは車を急発進させて逃走した。

 翌朝、不良少女グループは手分けしてノボの車を捜索した。マヤはギリシャバーへ行き、ミキと会った。ノボたちのことを尋ねたマヤは、彼らが薬を打ってスウェーデン行きの旅費にするつもりだと知った。レミたちは車を発見し、隙を見て奪い去った。
 隠してあったLSDを見つけた彼女たちは車を乗り捨て、ボウリング場でドラッグを楽しんだ。ノボたちはマヤの元へ行き、薬を返すよう要求した。マヤが何も知らないとシラを切ると、ノボは頭を下げて返すよう頼むんだ。

 ノボはマヤに、「ベトナム脱走兵を連れてるんだ。俺たちも同じようなもんだ」と言う。そこへレミたちが戻って来ると、マヤは残っていたLSDをノボに返却した。マヤは迷惑を掛けたお詫びとして、いい隠れ場を紹介するとノボに持ち掛けた。
 マヤと仲間たちは車に同乗し、溜まり場に使っている倉庫へ3人を案内した。マヤが「パーティーやろうよ」と言うと、サブはLSDを一錠ずつ全員に配った。マヤはノボに、「薬の売り先を探そうか。あのバーテンの上の奴を知ってるんだ」と提案した。

 マヤはジュンを伴って佐倉と会い、LSD五百錠を買ってほしいと持ち掛けた。今夜中に返事することを約束した佐倉は、ドラゴンを仕切っているユリに報告した。ユリは彼に、三百万で話を進めるよう指示した。
 レミたちは倉庫に1人で隠れているチャーリーを連れ出し、ボウリング場へ遊びに出掛けた。一行が盛り上がる様子を、清水が密かに観察していた。ボウリング場へ2名のアメリカ人が現れると、チャーリーは自分を捜しているMPだと誤解して逃げ出した。

 ボウリング場を飛び出したチャーリーは、彼を捜索していたマヤやノボたちと遭遇する。倉庫へ戻ったチャーリーは、上着のポケットに入れてあったLSDの缶が無くなっているのに気付いた。彼がボウリングをしている時、脱いだ上着から清水が盗み出したのだ。
 マヤたちは何も知らず、手分けして缶を探し回る。そんな中、エマだけは仲間と離れて単独行動を取った。佐倉は売人からの情報で、清水が大量のLSDを入手したと知った。ドラゴンは清水を捕まえて缶を奪い、佐倉はマヤの言っていた薬だと悟った。

 ユリは佐倉からLSDを渡されると、「早く売り捌いた方がいい」と告げた。エマは清水が缶を盗んだと確信し、アストロへ出向いていた。彼女は清水から、チャーリーを外へ連れ出すよう頼まれていたのだ。エマは薬を返すよう頼むが、清水は手元に無いことを明かした。
 そこへエマの行動に不審を抱いたマヤが仲間を伴って現れ、事情を知った。マヤたちは清水をナイフを脅し、薬がドラゴンの手に渡ったと聞き出した。マヤたちはドラゴンの元へ赴いて薬の返却を要求するが、佐倉は拒絶した。

 マヤはミキから、ドラゴンを操っているのが佐倉ではなくユリという女だと教えられる。ユリは佐倉にとって、かつての兄貴株の妹だった。オートバイでユリに怪我をさせて車椅子生活にして以来、佐倉は影のように付いているのだとミキは語る。
 マヤやノボたちはユリの住むマンションへ乗り込み、薬を渡すよう要求した。ユリは拒否し、マヤたちが室内を捜索すると無駄だと静かに告げる。ノボが人質として連行しようとすると、ユリは落ち着き払った態度で受け入れた。ノボは佐倉が薬を売り捌きに出掛けたと知り、代金を頂こうと目論む。彼は佐倉に電話を掛け、代金とユリの取り引きを要求した…。

 監督は長谷部安春、脚本は中西隆三、企画は葛生雅美、撮影は山崎善弘、照明は高島正博、録音は片桐登司美、美術は佐谷晃能、編集は丹治睦夫、助監督は田中登、技斗は田端善彦、音楽は たかしまあきひこ。

 出演は梶芽衣子、藤竜也、郷えい[金英]治、岡崎二朗、范文雀、山野俊也、亀山靖博、杉山元、市村博、大橋由香、高野沙理、黒沢のり子、市川魔胡(後の松田暎子)、牧まさみ(新人)、瀬山孝司、小島克巳、氷室政司、清水国雄、北上忠行、琢呂満、青山ミチ(クラウン)、沢村和子(現・沢村まみ)とピーターパン、太田とも子(キング)、ズーニーヴー他。

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 「野良猫ロック」シリーズの第4作。監督は1作目と3作目を手掛けた長谷部安春。脚本は『女の警察 乱れ蝶』『大幹部 ケリをつけろ』の中西隆三。シリーズではあるが、それぞれの作品に関連性は無く、登場人物も異なっている。
 マヤを演じるのは、4作連続での出演となる梶芽衣子。ノボ役の藤竜也は3作連続、サブ役の岡崎二朗は前作に続いての出演。ユリ役の范文雀は1作目と2作目に続いての出演。佐倉を郷えい治、チャーリーを山野俊也、ダルを亀山靖博、キッドを杉山元、清水を市村博、レミを大橋由香、ジュンを高野沙理、エマを黒沢のり子、サリイを市川魔胡(後の松田暎子)、ユカを牧まさみが演じている。

 この作品の隠れた楽しみが(まあ隠れているかどうかは個人の見方によるが)、劇中に登場する歌手と楽曲だ。そもそもシリーズ1作目は歌手の和田アキ子が主演であり(実質的なヒロインは梶芽衣子だったけど)、主題歌を歌っていた。
 また、1作目の劇中にはGSのザ・モップス、オリーブ、オックス、そしてアンドレ・カンドレ(井上陽水)が出演していた。2作目では和田アキ子、3作目では安岡力也とゴールデン・ハーフが劇中歌を披露するシーンが用意されていた。

 前置きが長くなってしまったが、当時はどれぐらい力を入れていたのか分からないが、少なくとも今となってはゲスト歌手や劇中歌が売りの1つになる作品だ。そして今回は、まず梶芽衣子が『明日(あした)を賭けよう』を歌う。彼女の妹である太田とも子が歌手役で登場し、宇崎竜童の作曲した『恋はまっさかさま』と『とおく群衆をはなれて』を歌う。
 ミキ役の青山ミチは『恋のブルース』を、沢村和子とピーターパンは『Myboy』を披露する。ちなみに沢村和子は、現在は沢村まみとしてソロで活動中だ。ズーニーヴーは阿久悠&筒美京平コンビによる『ひとりの悲しみ』を演奏するが、これは尾崎紀世彦が翌年に大ヒットさせる『また逢う日まで』の原曲だ。

 マヤがノボたちに親切な態度を取るのは、単に優しい性格だからというだけでなく、相手が外国へ行こうとしているってのが大きい。彼女は仲間たちに、「あの連中、日本を出たいんだとさ。その邪魔をすることはないさ。むしろ手伝ってやりたいぐらいさ」と話す。
 何となく漂う閉塞感の中に生きているマヤにとって、日本から飛び出すというのは羨ましいことだった。だから、ある意味でノボたちは、自分の夢や希望を叶えてくれる存在、託したくなる存在でもあるのだ。

 アプレゲールな若者たちが無軌道で刹那的な青春を暴走する姿を描くのが「野良猫ロック」シリーズだが、今回のマヤは随分と落ち着いた雰囲気が漂っている。また、どことなく倦怠感も漂っている。
 ただし狭い暴力的コミュニティーで暴れるしかなかった今までのシリーズと比べると、今回は「ノボたちを外国へ向かわせる」という外への意識がある。その分だけ、本人が外国へ行くわけではないが、そこに気持ちの逃げ道が用意されていると言えなくもない。

 「日本人が海外へ逃亡する」という設定を用意した時、当時の日本人にとって憧れの国はどこかと考えると、普通はアメリカが真っ先に思い浮かぶ。ただし、この作品ではベトナム脱走兵がいるので、アメリカを選ぶわけにはいかない。
 じゃあ他にどこかと考えると、アジアやアフリカは憧れの対象として適していないので、おのずとヨーロッバになる。その中でスウェーデンが選択されているのは、いかにも時代だなあと感じる。ある一定の年代にとって、スウェーデンは開放的な国というイメージがものすごく強いのだ。

 マヤはノボがスウェーデンへ行こうとしていることに関して、「なぜアンタまで付いてくの?」と問い掛ける。ノボは「さあな。日本よりマシかもしれないからな」と答え、「アンタはなんだって、こんな所にいるんだ?」と質問する。
 マヤは「そんなこと、分かんないよ。行ける所があれば行ってたかもしれない」と告げる。スウェーデンへ行ったからって、何があるかは分からない。やりたいことが明確に決まっているわけではない。目的を叶えるための手段ではなく、スウェーデンへ行くこと自体が目的化しているのだ。

 そもそも、ノボは「絶対にスウェーデンでなくちゃダメ」と思っているわけじゃないし、マヤも行き先がスウェーデンだから羨ましいと感じるわけではない。とにかく2人とも、今いる場所、漠然とした閉塞感に満ち溢れている場所から脱出したいのだ。
 「行ける奴は行った方がいいのさ」というマヤの言葉の裏には、「自分は無理だ」という諦念が感じられる。しかし、そういう冷めた感覚がある一方で、外国へ行こうとしている人間は全力で応援してやりたいという熱も持っている。

 チャーリーが外へ出掛ける時にLSDの缶を持って行くのは、ボンクラな行動にしか思えない。手元に置いておかないと不安ってことかもしれないが、倉庫に隠しておいた方がいいんじゃないかと。
 その上着を脱いで目を離すってのも、これまた迂闊すぎる。その薬に人生が懸かっているのに、感覚がユルすぎるでしょ。「自分のために、みんなに迷惑を掛けた。スウェーデンには行けなくていい。自首する」と吐露しても、落ち度がデカすぎて同情できんよ。

 マヤたちはLSDを楽しんでいるし、序盤で薬を盗み出しているけど、ワルとしての行動は少ない。一方で、ドラゴンが卑劣な方法で薬を横取りするので、「善玉と悪玉の戦い」という分かりやすい図式が出来上がっている。
 マヤと仲間たちは出会ったばかりの連中のために、何のメリットも無いのに全面的に協力してやるんだから、応援したくなるキャラになっている。終盤にはチャーリーがドラゴンに拉致され、マヤたちが追い掛けるバイク・チェイスに尺を割いたりするし、勧善懲悪の日活アクション映画っぽいノリになっている。

 そのまま最後まで行くのかと思っていたら、マヤたちがチャーリーを奪還して喜んでいるところへMPが現れる。逃げるチャーリーは発砲を受けて脚に怪我を負い、MPに連行されてしまう。そこに漂う虚しさや無力感は、いかにも野良猫シリーズらしいと思わせる。そして最後も、ハッピーエンドは用意されていない。
 サブは佐倉に腹を撃たれて命を落とし、ノボは奪った銃を佐倉に構えるが発砲できない。バイクで去るドラゴンを、ただ見送るだけだ。チャーリーは連行され、ノボは死亡し、サブは船に乗り遅れる。ユリもドラゴンも、何の報いも受けずに映画は幕を閉じる。虚しさ、やり切れなさだけが残る、アメリカン・ニューシネマ的なエンディングである。

(観賞日:2017年8月24日)

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