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お好きでしょ、こんなのも……!?

お嫌いですか、ロボットは?#77 入れたらOK、ってワケには……

――いらっしゃいませ。
 マスター元気? いやあ、今週もほんと疲れたわ。

――おや? 今夜もお疲れのようですね。今日は麻のスーツですか? すっかり夏の装いですね。
 いや、そうじゃないんだよマスター。今日は東京で1件打ち合わせがあってね。朝の天気予報では東京も暑いってんで、台湾出張の時に着たスーツをあわててタンスから引っ張り出したんだよ。ちょっと早いかなとも思ったし、防虫剤のにおいも残ってるけど、あれこれ悩むのも面倒くさいからそのまま着て出てきちゃったよ。これ着ちゃうと、もう裏付きの春夏モノには戻れないね。タンスの中身も、ちゃんと衣替えしなくちゃだめだなぁ。今週末は新しい防虫剤でも買って、秋冬物と春夏ものを入れ替えなきゃね。

――いつものでいいですか? ジャックソーダで。
 うん、頼むわ。レモンをぎゅっとしぼってね。えっと、今夜のおすすめは「水なすの浅漬け」かぁ。えっ! 泉州の水ナスって、もう出てるの? 今年は暑いから出回るのが早いんだねぇ。大阪にいた時によく食べたよ。本社の人間からは、大声の関西弁でまくしたてる当時の大阪支社長が嫌われていてね。誰も行きたがらなかったんだけど、社歴が浅かったオレはそんなこと知らないし、「あの水ナスが食べられる」ってんで異動の辞令に快く応じたんだ。今でこそ水ナスって、割とどこでも手に入りやすくなったけど、当時は関西、しかも大阪周辺ぐらいでしか買えなかったんだよ。大阪勤務の後に東京に異動した時に見たテレビの料理番組で「水ナスの麻婆」なんてのを作ってたけど、麻婆にしちゃったら水ナスの良さが分からなくなるのにさ。ただ入れりゃあいいってもんじゃないよねぇ。入れりゃあいいと言えば思い出すよ、岡谷の案件を。あれこそ、入れりゃあいいってもんじゃないってものの典型だったよなぁ……。


 プリント基板を作るシナノセイキは、長野県岡谷市の街道から100mほどそれた一角にある。マスター、岡谷って行ったことある? クルマで向かうには何の不便も感じないんだけど、列車で行こうとなると 、東京からと名古屋からではえらい違いがあるんだ。

 東京や新宿から長野行きの特急に乗れば、上諏訪か下諏訪の次、塩尻駅の一つ手前に岡谷駅がある。ところが、名古屋から長野行きの特急で行こうとなると、塩尻で降りて東京方面行きの別の列車に乗り換えてひと駅乗らないと岡谷駅には行けない。東京と名古屋を結ぶ列車は東海道線にはあっても、中央線にはないんだ。塩尻駅はJR東海、岡谷駅はJR東日本の駅だからなんだ。

 愛知県の豊橋駅から伸びる飯田線に乗れば、岡谷駅にたどり着かなくもないけど。あさイチの列車でいったん豊橋まで行って飯田線に乗り換え、6時間も単線での旅を経なければ岡谷駅には行けない。そんなルートを選ぶ人はよほどのテッちゃんか奇人のどちらかだろう。こんど岡谷に用事があったら、奇人のオレはいっぺん乗ってみようかな。

 話はそれたけど、3年ほど前だったかな、シナノセイキの小口社長から、プリント基板の量産を自動化できないかと相談された。まぁSIerのオレにしてみりゃ、産業用ロボットでも入れて、工場の床に無人搬送車(AGV)でも這わせときゃ、一丁上がりってなもんで、割と簡単な案件のはずだった。

 ところが、シナノセイキは違ったんだ。仕事の繁閑期に社員の有志を集めて、自社でロボット導入にチャレンジしたらしい。好奇心旺盛な社員に手探りでやらせたはいいけど、ヒトよりも動きは遅いし、製品の基盤は割っちゃうし、外観検査ではロボットが考え込むように止まっちゃうしで、散々だったそうな。

 しまいには、素人が急ごしらえしたコンクリートの土台部分がぐらぐらと揺れ始め、いくら安全策で囲ってあるとはいえ、ロボットを動かすだけでも気が気じゃないほどだった。そこで、どこかで名刺交換したオレが呼ばれたらしい。呼ばれたらオレも行くわな、岡谷まで。

 事の経緯やこれまでの苦労話を聞いて、オレは小口社長に言ったんだ。要するにロボットに何をやらせたい? どの作業を自動化したいのか? って。そうしなきゃ、ロボット選びだって変わるし、ロボットハンドも最適なものを選ばなきゃならんし。どこで作業をさせるかによって、土台だってしかるべき所にしかるべきものを設置しなきゃならん。工作機械や基盤の製造装置を据え付けるような感覚で、ロボットの設置場所も考えなきゃってさ。

 ロボットの扱いも乱暴だったみたいで、関節のいくつかは、可動部のベアリングが壊れかけていた。小口社長に「まずは現場と相談して」と頼んだ。

 ひと月ほどしてから尋ねると、基板上の回路の外観検査や回路の露光工程をロボットにやらせたいとのこと。でも、課題は山積していた。

 たとえば、露光工程では、ロボットハンドで基板を吸着させ、隣のロボットに基板を渡す作業があった。自社での導入チャレンジでは、ハンドに吸着した基板が、吸着したままうまく取り外せない、基盤を渡せなかった。そこでオレは、人の動きを参考にロボットの動きを変えて、基板をつかむハンドの材質を変えて、基板を渡しやすくした。

 ヒトよりも早く作業をさせるには、ロボットの安定性を高める必要があった。ロボットの土台部分を、メーカーが推奨する大きさと深さを守り、正しく設置した。そんなところから3ヵ月で稼働し、半年ほど試運転を兼ねて動かし続けて改良した結果、改良前に比べ作業時間が3秒から5秒ほど早くなった。慣れってのは怖いもので、感覚としては「5秒ぐらい早くなったかな」ってなものだったんだけど、実際には10秒近くまで早くなっていた。

 それに気づいたのは、ある日トラブルでロボットが止まってしまった時だった。停止した間の生産量を調べると、思いのほか影響が大きい。つまり、想定していた以上にロボットは仕事をこなしてくれていたんだ。止まった時間分の仕事を手作業でリカバリーするのが、ものすごく大変だったんだ。

 それ以来、「稼働したら絶対にロボットを止めないことが大事」って意識が社内に徹底されたんだ。いわゆるチョコ停でさえ、経営への打撃が大きいことを身をもって知ったからだ。それ以来、故障による停止を避けるために、メンテナンスには最大限の力を入れている。これによってロボットのトラブルはほとんどなくなった。
 
 ロボットを含めた自動化を進めたことで、何よりヒトの意識や働き方も変わった。少量多品種の生産に対応できるようになったことで、ヒト1人が管理する機械の台数が増えたことで、検査工程にヒトを配置できるようになり、その分品質も向上した。

 その後検査工程でもロボットを導入したんだけど、ロボットが判断できないケースなど、最終判断はあくまでもヒトが担う。ロボットとヒトとの分業で、ヒトは確認作業と判断に専念でき、作業効率の向上につながったんだ。導入前と比べて、1人当たりの生産量は15倍ぐらい向上したんだってさ。

 ロボットはその後、別の工場にも導入されて、AGVも導入した。クリーンルームの清潔な環境を維持するには、なるべくヒトは立ち入らない方がいいからって。ロボットをきちんと正しく導入すれば、生産性の向上に取り組むヒトの意識を変えることにつながったんだよ。 

――ロボットを入れたらヒトの意識が変わったってのは面白いですね。私が知ってる店では、開店前の掃除が楽になると思ってロボット掃除機を入れたら、かえって掃除の手間が増えたって笑ってましたよ。ロボットの拭き残しを探すのと、床がきれいになった分、ほかの汚れが気になって掃除をするからって。そうした好循環が生まれるってのも、ロボット導入の面白さかもしれませんね。まだまだ話は尽きないようですね。今夜もとことん、お付き合いしますよ。

■この連載はフィクションです。実在する人物や企業とは一切関係ありません。

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