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お好きでしょ、こんなのも……!?

お嫌いですか、ロボットは?#79 眠る猫……(上)

――いらっしゃいませ。
 マスター元気? いやあ、今週もほんと疲れたわ。

――おや? 今夜もお疲れの、というよりもびしょ濡れじゃないですか。台風が近づく大雨のなかありがとうございます。
 いや、そうじゃないんだよマスター。今日は福井で打ち合わせがあってね。帰りに米原で新幹線に乗り換える時に、どこかに置き忘れてきちゃったんだよ。新幹線の何とかカードを出そうとポケットをまさぐった時に、どこかに立てかけたんだろうね。まぁ、何年も使い倒したビニール傘だし、駅の売店かコンビニで新しいのを買えばいいかと思ったんだけど、この風と雨だからか、品切れでどこにも売ってないんだよ。駅前の百貨店はもう閉店してたしさ。そのまま駅からタクシーに乗って店の前まで来たけど、タクシーを降りてから店に入るまでで、もうびしょ濡れだよ。

――いつものでいいですか? ジャックソーダで。
 うん、頼むわ。レモンをぎゅっとしぼってね。えっと、今夜のおすすめは「イサキのカルパッチョサラダ」かぁ。へぇー! イサキって、よく名前は聞くけど、今が旬のサカナなの? 白身のサカナってさぁ、若いころは全然うまいと思わなかったけど、中年からおっさんになるにつれて、うまいと感じるようになるんだよねぇ。オレの父親が釣り好きでさ、夏場なんか毎週のようにクロダイを釣りに行ってたんだ。小学生ぐらいのころは、たまに付いていったけど、余りにも連れないから、オレはそのうち付いていかなくなった。たまにたくさん釣れると、その日から食卓がタイづくしになるんだ。刺身から煮つけからみそ汁とか鯛めしとか。それで終わればいいんだけど、冷蔵庫に冷凍保存してあるから、塩焼きをよく食わされたんだ。刺身だって、素人の父親がさばくから、表面がザラザラしてちっともうまくないし、タイのあらが入ったみそ汁は脂ぎっててちっともうまくないんだ。それ以来、オレはタイは食べ飽きて嫌いになったんだ。「一生分食べたから、これ以上はクロダイは食べない」って宣言して。店で自分で金を払って食べるようになったのは、40歳も半ば過ぎてからかなぁ。そうそう、飽きるっていえばさ、来る日も来る日も研究室で蛾(ガ)にレーザーを当て続けたやつがいるんだよ。あれはもう好きとか嫌いとかじゃなく、執念だったよなぁ……。


 マスターは知ってるかな。最近、家庭菜園を趣味にする人が増えてるらしいんだ。自宅の庭の一角を畑に変えたり、マンションのベランダにプランターを置いて野菜を育てたり、畑の一角を借りてそこに作物を植えて育てるんだってさ。

 都市部で兼業農家をしていた人が年を取って、子どもが農業をやりたがらないと、地元の農協、今のJAを通じて家庭菜園用に畑を貸し出しているらしい。農地のままにしておくのがポイントで、駐車場や住宅にしてしまうと、土地の固定資産税の税率が一気に跳ね上がってしまうからなんだってさ。

 あくまでも農地として残しておくことこそ、地主にはうまみがある。自宅の庭で細々と家庭菜園をやってた人は、だんだん庭だけでは物足りなくなるらしく、本格的に畑仕事をしてみたいというニーズは結構あるらしいんだ。まさに、需要と供給の両方がそろって、ブームが成り立ってるんだってさ。

 で、畑を借りて本格的な家庭菜園を始めた人が悩まされるのが、害虫駆除なんだな。郊外の畑を借りたりすると、害虫に加えて、シカやイノシシなどに畑を荒らされる鳥獣被害も加わる。害虫と言えば聞こえは悪いけど、要するに昆虫やアブラムシのこと。てんとう虫やバッタだって、菜園従事者にとっては害虫になるんだ。生き物を育てる、大事にするという意味では共存すればいいじゃんと、オレなんかは思うんだけど、立場が変わると、ヒトは昆虫や鳥獣を目の敵にするものなんだ。

 そこで、害虫駆除のために農薬を使うことになる。ベランダや庭の一角で細々とやってた時には「自然の恵み」「しかも無農薬」などと悦に入ってた人も、畑を借りて規模が大きくなると、収穫量や品質を意識しはじめる。夏の暑い日には早起きしてせっせと水やりし、草むしりまでしたのに収穫できないというのは、やはり堪えるらしい。

 農薬って、始めは驚くほど効くんだ。けれど、2年、3年、5年……と経つうちに効きが悪くなる、というより効かなくなる。虫に耐性がつくのか、別の虫に変わるのかまでは知らないけど、そういうもんらしい。

 で、前置きが長くなったけど、ある時大学の農学部の研究者から、こんな相談を受けたんだ。

 「ガの急所を探してるんですが、なんかいい方法はないですかねぇ?」

 農学部で万年准教授だった飯山センセーからだった。年はオレとそう変わらないから、かれこれ四半世紀も准教授のまま。大学では「永遠の准教授」と呼ばれていた。ガって、あの色気のない蝶々みたいなやつ?って思わず聞き返しちゃったよ。せいぜい1、2センチの蝶々の急所を狙うって、何のことだかさっぱり分からなかったよ。


――ちょ、ちょっと待ってください、たにがわさん。前置きが長かったのと雨がひどくなったんで、今夜はこの辺で閉店にします。まだまだ話は始まったばかりですが、次回は必ず最後までお付き合いします。またゆっくりお越しください。

■この連載はフィクションです。実在する人物や企業とは一切関係ありません。

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