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不甲斐なさの理由

久しぶりにがっつり怒られた。理不尽なことも多々あるが、今回は私が120%悪いので、先にその旨を書いておく。今日締め切りの書類があった。しかも3人の署名押印がいるやつだ。内容もちゃんと通らなければいけないのに、締め切り前日までOKは出ず、当日どうにかしなければいけないけど同期は昼を過ぎても完成せず…。今回における一連の色々を同期のせいにするわけではないが、時間が遅くなったのは同期のせいである。そこだけは押さえておきたい。

なんでこんなに不甲斐ないの?あれだけ時間かけたらプロジェクト一本終わるよ?なんでずっと変わらないの?なにもしゃべらないなら終わりだよ。

なんでだろう…?なんで不甲斐ないんだろう?変わらないね確かに…???いわれることの全てが確かにそうなんだけど、なんでそうなってるかわからないです…という内容ばかり。この指摘も2か月前に言われたばかりで、まだ鮮明に耳に残っている。返事をしなければ、と口を開いてみれば、当たり前で面白くないことばかり言うなお前は、というこれまたいつものお叱りである。こればっかりは手を変え品を変えしてみても、もともとの思考回路が変わっていないからどうにもなっていない。というか、実はそもそもどう答えたらいいのか、どんな返答が相手にジャストミートするのかがわからない。質問にきっちり答えられない焦りはある。いろんなことをひっくるめて、どうにかはしたい。不甲斐ないのもやめたい。どうせしなきゃいけないことだって楽しくやりたい。さて、なぜいつもこうなってしまうのか。ここはひとつ考えてみることにする。

というか、考える前に答えは出ている。知っている。昨日すでに片鱗は書いているが、怒られたくないのだ。怒られたくないからとりあえずいつも部屋にいる。土日も来てないと来てないのか!って言われる気がするから、それを避けるために来る。怒られないように本を買う。しないと怒られるから書類を書く。でも本質的には何も勉強してなくて、学んでなくて、進んでない。ただ何かはしている。役に立たない資料だけが積みあがっていく。これじゃきっとダメなんだ、とわかっていて、その日暮らしをしている自覚もある。それでもその日を無事に終えられたことに安心して、それを正当化する。そうやって毎日を生きているからいつまで経っても不甲斐ないままなのだ。そう、知ってるんだよな。

怒られても、その時間の嵐が過ぎるのを待てばどうにかなると思っている。怒られても本当に見捨てられるわけではないと思っている。どうにかなる、と思っている。いや、「どうにかしてくれる」と思っている。今日だって、どうにかしてもらった。してもらわなければいけない状態にしてしまった。君たちは今回もやりきれなかった、完成させられなかったんだからな、と念を押された。「あれ、私ってなんか自力で完成させたことあったっけ?」

重く冷たい事実だけが残って本当はすぐに蓋をしたかった。でも変わりたいのだ。本当は。情けなくて不甲斐ないのはもう十分だ。そこで今回は残してみることにした。果てしなく馬鹿で、情けない人間がここにいる。

「怒られたくない」から生まれる行動はどこまで行っても受動的だ。自分から動け、と言われている。実際、もう逃げられないし、ここで逃げたら一生変わらない気がする。いい歳だから、まだ怒ってくれる人がいることを喜ばなければならない。次は違う内容で怒られたい。

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