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持病と家族との向き合い方


初めて文章を書いてみる。

昔はブログを書いていたけれど、頻度がだいぶ落ちたのもあり改行で許してほしい。






言葉には何の意味も持たない。

行動こそが全て。


そう思いながら頑張ってきた私がパンクしたお話。






 

先日持病が発覚した。



救急搬送された10月の出来事だった気がする。


パンクした原因は父の発言とわたしの完璧主義な性格にある


その頃は飼っていた金魚が病気で死にかけていて

私がその面倒を全面的にみていた。


そんなある日、

父にバケツに避難させた金魚がいることを伝えると

「金魚なんて死ねばいい」

そう言われた。


後日本当に亡くなった。


ここで一言、その金魚は家族が飼った金魚の稚魚が6年かけ育った魚であり、わたしのではない。

だけど、わたしが面倒を見、看取った。

これは家族の、誰ひとりとして記憶に残っていないということ



言葉には何の意味もないなんて、本当なのだろうかと思った。

それが例え冗談であろうと仕事のストレスで不意に溢れた言葉であろうと 許せなかった。


その後、まるで復讐かのように部屋を掃除しまくった。

チリひとつ見逃さず、

掃除機は1日3回、

床、壁、天井、を毎日のようにアルコール除菌し

消臭剤も振り撒き、

洗濯は1日4回、

水回りや食器洗いは日に何度も。

これが復讐にあたるのかはわからないが、とにかくわたしはブチギレていた。


ほとんど寝ずに育児もしながら、自分に降りかかってくるその全てを打ち消すかのような生活が数週間続いた。



そしてわたしはパンクした。






最後の1匹だった金魚の死を見届けてから

わたしは子供を抱えて家を飛び出た。


それが一度目。


その後病院でわたしは検査を受けた。




結果は

双極性障害1型。


簡単に言ってしまえば、ある日コロッと自殺できてしまうそんな病気。(詳しくは調べてください。)


現状がかなり酷い事と、わたしのバックグラウンドに数多くの問題を抱えている事から通院を余儀なくされた。


わたしは真っ先に子育てとの両立を考えた。

周りのサポート無しではきっと無理だと悟ったから。


それを聞いた祖父母はわたしに対し辛辣だった。



「子供も生まれ立派に子育てしていかないといけないうえに育ててもらってる義父にまで迷惑をかけるのかい」


この一言は今でも忘れることはないだろう。

まぁ仕方ない、ハナから期待していなかった言葉だから



心苦しさから、家に帰りたいと母に電話をした。



その夜に家族総出で迎えに来てもらう形になった。



主治医から、「病気のことは私の口からも説明させて頂きますが、まずはあなた自身の口からご親族様に説明してください。」と言われていたので祖父母も交え話すことに。


これが過去一しんどかった。

何でもない友人や他人には自己説明が得意なのに

いざ家族に自分の隠していた弱さの一面を見せるとなると

説明しながらも自分がどんどん嫌になってきて

終いには嗚咽しながら話していた記憶が蘇る。



その最後に祖母が一言

「こんなみっともない孫ですみません」

おそらくわたしの父に謝ったのだろう。


たかが言葉、されど言葉


わたしは一語一句わたしに向けられた言葉を忘れることはできなかった。


家に帰ってからもわたしのフル掃除と200馬力のパワーで家事育児をしてしまう躁状態からは抜け出せず、


むしろ親を困らせていた。


わたし自身もこの病気との向き合い方がわからなかった。



躁状態はずっとは続かない。


抜けると今度は猛烈に激しい鬱状態が訪れる。


それがどんなことか少し想像してみてほしい。


自分が自分でいられなくなること。


ひとりになるのが急に怖くなり、激しい頭痛と希死念慮に駆られ

そのまま救急搬送された。


片道40分。


普通救急車ですらそんな遠くのかかりつけ医が居る病院先まで運んだりはしない。


救急隊員はわたしに必死に何かを伝えようとしていたが、


死んだような顔をしていたのもあってか


途中から諦めたかのように何も話さなくなった。


死に際に人が発する言葉は

「すみません」「ごめんなさい」

このどれかだから。


本当に死のうとしていたのが伝わってしまったのだろう

謝り続ける人間にヒトは何も言えまい


そのまま緊急入院となった。


入院先も入院先で、これまで見たことがないような地獄と化した景色だった。





つづく




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