見出し画像

3.思い込みを排し、「議論の空中戦」を地上戦に引きずりおろす

こんにちは。

引き続き企業における参謀 = 経営企画職について、そもそも何が使命なのか、どのような観点を持つべきか、有すべき資質は何か・・・などなどを戦略参謀の仕事をベースに考えていきます。

前回の記事はコチラ

前節は、戦略参謀の果たすべき役割として下記3つがある、というお話でした。

1.トップの意思決定精度を上げるための、事業方針に関する現状分析と起案
2.社内の「神経系統」づくり
3.課題の優先順位付けと課題プロジェクトへの対応

今回は、マネジメント層の会議であるあるな「空中戦 = 概念的・抽象的な夢想論」を「地上戦 = 具体的でアクションに落とし込むことができるディスカッション」に引きずりおろしていくための具体的なやり方について考えていきます。

何の問題解決にもなっていない議論→事実に基づいた冷静な議論への変革

・自分が認識していること、自分が思っていること、現場で見聞きしたことを、ただ言い放つだけ
・上手くいかない責任を回避するため、あるいは矛先をかわすための発言の横行
などが、その典型的な例です。
特に、部門をまたいだ課題の討議は、1つ上の立場からの仕切りがしっかりとできていないと、駆け引きや、主観的な意見を主張するだけの、まさに「議論の空中戦」が展開されます。

組織のレイヤーが上がれば上がるほど、ビジネスの現場で一体何が起こっているのかわからず、この空中戦に入り込んでしまいやすくなるな・・・と感じています。また、タチが悪いことに「あえて空中戦に持ち込もうとする」事業責任者がいるケースも往々にしてあります。

具体的なファクトや数字をベースにキチンとロジックを積み上げると何が起こるか。「仕事をしているフリ」が許されず、日次や週次で具体的なアクションとその進捗報告が求められます。それは面倒くさいので、「なんとなくそれっぽいこと」かつ「抽象的で反論しがたいこと」を主張し、自身の責任を逃れるのです。

「そんな事業責任者は失格だ!」と言いたくなりますが、これは実は"しょうがないこと"であり、それを許してしまっているトップマネジメントおよび経営企画職の責任として捉えるべきである、とぼくは考えています。

稲田氏はそれぞれの著書で「人、性善なれど、性怠惰なり」という言葉で人間の本質を説明しています。ぼくは、これを「みんないいことをしたいと思っているが、サボりたい欲求のほうが強い」と解釈しています。みなさんにも身に覚えはあるのではないでしょうか?ちなみにぼくはめちゃくちゃあります。笑

「できれば会社やお客様、世の中のためにいいことをしたい」→「でもめんどくさい」→「バレないようにサボろう」、これは世の中の8割ぐらいの人には当てはまる行動指針なのではないでしょうか。中には常に自分を律して努力し続ける鉄人のような人もいれば、人を陥れることを考え続ける「性悪」の人もいるでしょうが、絶対数としては少なそうです。

人は黙っていると「サボる」ものなのです。それは、いくら高い給料をもらっていようが、「部長」と名の付く位置にいようが変わりません。だからこそ、ある程度「サボれない状況」をおぜん立てすることも参謀役が果たすべき役割の一つなのです。

経営企画職は週次の経営会議の取りまとめや司会進行をする機会も多いと思いますが、そのときになんとなーく進めるのではなく、明確なKPIの振り返りや、各部署が進めている重要プロジェクトの進捗確認をゴリゴリ進めることが大事です。「サボれなくする施策」については、嫌がる人も多いかと思いますが、そこをしっかりと納得してもらい、前に進めていきましょう。

稲田氏は、事実に基づいた冷静な議論をするために必要なこととして、下記を挙げています。

・必要なファクト(事実)を把握する(適切な数字などが取れない場合は、代替指標を見る)
・適切な形、切り口で、チャートなどを使いファクトをうまく「見える化」する
・そこで表面化した変化や差異の理由、意味合いを追いかける
・新たな仮説が想定された場合、その真偽についてファクトをもって確認する(仮説の証明)
・課題の真因に到達するまで、上記を繰り返す

ファクトベースの議論の文化を作る

営業や商品に責任を持つ部門は、一般的には責任者も担当者も、自分の業務をこなすだけで手いっぱいの状態が多いものです。ライン業務の実態や課題を、事実に基づいて適切な確度から「見える化」できる状態をつくるお手伝いは、本来はとても喜ばれるものです。
階層ごとのマネジメントの判断のスピードと精度を高めるために、ファクトベースの議論のできる環境と、その文化をつくる。
たったこれだけのことで、組織運営の中に隠れている莫大な時間のムダはなくなります。

「数字をキチンと追う」「KPIを見る」と聞くと、営業ゴリゴリかつ仕事のプロセスがまったく評価されないドライな組織っぽいイメージを抱く人も多いのではないでしょうか。数字をしっかり追っていき、それをベースに意志判断をすると、確かに少しドライな感じがする組織になる気はします。

しかし、逆に数字を明確に追わない組織だと、なんとなく「弛緩した空気」が組織全体に流れるようになります。成果を上げても評価されることはないし、逆に何もしていなくても許される。そんな環境にいると、「怠惰」である人の本質が露出し、みな最低限の仕事しかこなさなくなるのが実情でしょう。

一部、明確なKPIを追わずに気の向くままに仕事をするような組織もあるようですが、果たしてそれがワークするのかどうか正直疑問が残ります。あまりにも初期プロダクトが強すぎて、皆が何をしててもいいような組織、もしくはビジョン・ミッション・戦略がトップから現場含めて高い解像度で共有されていて、各々が思うように動いていても全体としての束ねが生まれているような組織、そのどちらかだと思います。普通の組織が数字を追わずにのびのびやろう!!とやると、緩やかに死んでいくのではないでしょうか。

低迷状態にある企業では、事実とその因果を見せつけられても、それを認めない、あるいは受け入れようとしない幹部社員が経営層に陣取っていることがあります。その場合、事業に求められる変化を起こすためには、トップによる人事判断が必要になることもあるかもしれません。

人は、自らを追い詰めるような現実から逃避する本質があります。それは経営層であっても同様で、現場社員や経営企画職が因果を明確にし、ファクトベースでの報告を上げても、それが握りつぶされることは珍しくありません。今のコロナの状況をどうとらえるか、というところでも経営層の「器」は明確に測れると考えています。もちろん必要以上に悲観的になる必要はありませんが、「ワクチンの接種が始まった!!あと数か月でコロナ前のレベルにまで売上が戻るだろう!!以上!!!」というような発言をしている経営層がいたとすると、稲田氏がいうところの「人事判断」を考える必要があります。

人とのコミュニケーションは明るく前向きであるべきですが、ビジネスの先行きについては可能な限り悲観的な予測をしたうえで、それでも生き残りを図れる戦略を考案しなければ、信頼を得ることはできないのです。

上記で稲田氏は「トップによる人事判断が必要」と記載していますが、経営トップ自身がファクトベースの判断をできない状況に陥っている場合もあります。その場合、トップと直談判をして現実を見るように訴える(ファクトベースで、わかりやすい情報や資料を携えつつ)、それでもわかってもらえない場合は同様の考えを持っている事業部長と作戦を練る、投資家を動かして戦略の再考を訴える等、政治的な動きをする必要もあると感じています。

経営企画職は、常に「自分が経営するとしたらどうすべきか」を自らに問い続ける必要があり、それを楽しめる人に向いている職種だなと思います。個人的には非常に楽しんでいますが、「ここまでは自分の責任」という線引きが存在しないため、合わないと感じる人もいるかもしれません。

次回の記事:会社の課題と、その優先順位を定期的にトップと議論し、必要に応じて自らも課題に着手する

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?