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【3万字超】「達人のサイエンス」を全力で解説してみた

こんにちは!デンタルケア、および透明マウスピース矯正サービスを提供している会社、Zenyum Japan(ゼニュムジャパン)の伊藤と申します。

Zenyum Japanの立ち上げ、および社長就任からそろそろ1年が経とうとしています。ぼくにとって初めての経営者経験であり、しんどいことがなかったといったら大ウソになります。笑

もちろん楽しいことも嬉しいこともたくさんあり、そのしんどさも自分にとってかけがえのないものでもあります。

ただ、経営者という仕事をしていく中で、強制的に「自分はどのように生きたいのか?」という疑問に真正面から向き合わなければならない局面に多数ぶつかってきたことも確かです。そんな中、数年前に購入してさらっと読み、「んー、なんかよくわからんな」と思って積読行きになってしまった本、「達人のサイエンス」をふと手に取りました。

この本、マジですごかったです。今までの考え方や生き方の一部を強く肯定してもらえてる感じがして嬉しくもあり、「ああ、だからあのときうまくいかなかったのか」という失敗の裏付けになる箇所もあり…。今、このタイミングで読めて本当に良かったなと、改めて自分の運の良さに感謝しています。

では、「何がすごいの?何が学べるの?」を2,000字で要約し、誰にでもわかりやすくお伝えしますね!!!



・・・と言いたいところなのですが、残念ながらそれはできません。

そもそもこの本は、「すぐに結果が欲しい」というスタンスを真っ向から否定しています。「名著のエッセンスをさっと抜き出して平易な言葉で解説する」という行為自体が、この本で説明されている「マスタリー」から逸脱しているのです。原理的に、「達人のサイエンスを短くまとめる」というのは不可能なのです。

「達人のサイエンス 要約」でググればいくつか書評は見つかると思いますが、おそらく満足のいくレベルでの要約はできていないのではないかと思いますし、そもそもこの本を"要約"したら、あまりにも味気のないメッセージになってしまうはずです。

なので、ぼくは要約ではなく、本書を引用しつつ自分の言葉でガッツリ「解説」をしようと思います。ただ、できれば実際に「達人のサイエンス」を読んでいただき、頭を殴られる衝撃を受けていただいた後に、友達と飲み屋で盛り上がるような感覚でぼくの解説を読んでいただけたら嬉しいなと思います。オリジナルに勝るものはないんですよね。

なので、本noteをオススメしたいのは、以下の方々です。

  • 達人のサイエンスを読み、誰かと語り合いたい!と強く思っている人

  • そもそもどう生きていくべきなのか?という、なかなか答えが出ない問いが頭をぐるぐるしている人

  • なんとなく現在の即物的価値観(金!成長!!結果!!!)になじめない人

逆に、オススメできないのは、以下の方々です。

  • 達人のサイエンスをまだ読んでいない人

  • どう生きるか?なんてどうでもえーわ、という人

  • 即物的価値観、結果主義に全く違和感を持っていない人

前置きが長くなってしまい大変申し訳ありません。ただ、この後が本番で、さらに長くなると思いますので、あまり時間がない方は後でお読みいただければと思います。

「マスタリー」とは何か?

 「マスタリー」の定義は難しいが、理解するのはやさしい。その定義はいろいろあり、それでいてその原則は変わらない。それは豊かな成果をもたらすが、ほんとうは目的地や終点なのではなく、むしろ一つの過程であり旅なのだ。この旅が「マスタリー」と呼ばれるものである。

出典:「達人のサイエンス」第1章P10

マスタリー、およびマスター(達人)という言葉がこの本にはたくさん出てきます。その前提として、そもそもマスタリーとは何か?という定義が早々にされていますが、正直これだけ見ると「?」となる人が多いと思います。

「豊かな成果をもたらす」「目的地や終点ではない」「一つの過程であり旅」、これがマスタリーの定義、と本書では書かれています。

おそらく、この定義だけ読んだだけでは腹落ちしません。ぼくが数年前に読んだときに積読行きにしてしまったのも、この「腹落ちしなさ」に原因があったように思います。ただ、読んでいけばいくほどまさにこの定義がしっくりくるようになります。

マスタリーは、「豊かな成果をもたらすが、ほんとうは目的地や終点なのではなく、むしろ一つの過程であり旅」というのは言い得て妙です。いろいろ大事なものが抜け落ちそうですが、あえて言い換えると「充実したプロセスそのもの」になるでしょうか。ただ、もともとの定義のほうが明らかに良いですね。マスタリーを「いいプロセス」と置き換えてしまうと、その後の話の深みもなくなってしまいそうな気がします。

 ブラインドタッチ(キーボードを見ないタイピング)や料理の技術、さらには弁護士、医師、会計士になる方法など、新たに何かを学ぼうと決心した時には、いつでも達人の旅を始めることができる。しかしスポーツの分野では特に、達人の旅は詩や演劇にも似た特有の厳しさがある。そこでは筋肉、心、精神が、時空を通じて優雅で決然とした動きの中で一つに溶け合う。スポーツは肉体部分のトレーニング結果がけっこう早く、しかも目で見て分かるので、この探求にとって格好の出発点である。

出典:「達人のサイエンス」第1章P11

ここでは、士業やスポーツをベースにマスタリーに解説を加えてくれています。これで少し具体性が増してきます。

おそらく、ひとつの仕事に真剣に打ち込み続けてきた人や、学生時代に昼夜なくスポーツに明け暮れていた人は、この「体や精神が一つに溶け合う感覚」の意味を体感できると思います。ある意味結果が気にならなくなる(=プロセスそのものが気持ちいい)というあの感覚です。

結果に左右されず、それを感じ、正しいことを自分を律しながら続けていく。それが達人の旅(マスタリー)であり、それができる人が達人(マスター)なのです。

 マスタリーの旅は予想外の苦労や報酬をともなうだろうが、「最終的な目的地」に到着することはあり得ない(最終的に完全にマスターできるような技能は、たいした技能とはいえない)。そしてたぶん、行なっている技能の学習程度に応じて自己学習も進むだろう。
 学んだ内容とその過程にはいつも驚かされるだろうが、このマスタリーへと向かう成長曲線は、つねに図1のような特徴的なリズムを持っているのだ。

出典:「達人のサイエンス」第1章P20-21
「達人のサイエンス」第1章P21図1を参照し、筆者作成

マスタリー以上に重要な概念がここで出てきます。上記の図で平らになっているところで、この本では一貫して「プラトー」と称されます。日本語だと「停滞期」とでも訳せますが、必要以上にネガティブな意味が込められてしまうので、本書の中ではあえて「プラトー」と表記されています。

仕事であれ勉強であれ人間関係であれ、すべてにおいて適用できる成長曲線が図1であり、その大部分を占めるのがプラトーです。

  • マスタリーとは旅であり、目的地ではなく、永遠に続くもの

  • プラトーとはマスタリーの大部分を占める「上達がない期間」「結果が出ない期間」のこと

どうしてもぼくたちは、右肩上がりの成長曲線、もしくは指数関数的にググっとあがっていく成長曲線を好みます。毎月成長、エクスポネンシャルグロース、結果がすべて…このような言葉が各所で踊ります。

経営者としてはもちろん、プラトーは楽しいものではありません。できれば毎月右肩上がりになっていってほしいものです。

ダイエットもそうです。毎月、毎週、毎日体重が減っていってほしいものの、日々の歩みは微々たるもの。たまにリバウンドすることもあります。

勉強もそうです。毎日たくさん勉強しているのに、一向に実力がついている気がしない。実際にテストを受けてみても、偏差値は前と変わらず、今自分がやっていることが本当に正しいのか不安になる。

これはぼくだけでしょうか?他の人はみなプラトーがなく、右肩上がりで毎月成長できているのでしょうか?

著者は、このグラフはとても一般的である、いや、「これ以外の道はあり得ない」と断言しています。

 実際は、これ以外の道などありえない。初めての技能を学習する場合はいつでも、短期間の上達のスパートがあり、その直後はだいたい直前のプラトーより少し高めのプラトーに向かってゆっくりと下降する。上の曲線は、分かりやすくするために理想的に表現したものだ。実際の学習経験では、進歩はもっと不規則で、上達のスパートの仕方もいろいろあるし、それぞれのプラトーにも固有の上り下りがある。しかし全体的な進み方はこのようになる。
 マスタリーの旅をするには、自己の技能を磨き上げ、次の段階の能力を得ようと勤勉に練習しなければならない。そしてかなりの時間をプラトーで過ごし、その間はたとえ先が見えなくても、練習を続けなくてはならない。これはマスタリーの旅の厳粛な事実なのだ。

出典:「達人のサイエンス」第1章P21

もちろん、近づいてみたら右肩上がりになっているタイミングもあるかもしれません。ただ、期間を長くとってみると、どのような物事も図1のようなプラトーが大半を示すグラフになるのです。

人口大爆発が起こっている現在も、もしかしたら長いプラトーを一度抜けたのかもしれないですが、その期間は意外と短く、その後はまたプラトーに戻る…のかもしれませんね。

ぼくたちは、どうあがこうが長いプラトーの時間を過ごすしかないのです。そして、プラトーの中にいる際も、常に鍛錬を続ける。その先に結果が出る保証がなくても、誰も自分の可能性を信じてくれなくても、自分ひとりだけでも鍛錬を続ける。それが人生であり、マスタリーである、と著者は述べています。

ぼくの中高の母校、昭和学院秀英中学校・高等学校の校訓は「明朗謙虚」「勤勉向上」でした。これ、学生生活のいたるところで耳にしまくっていたおかげで、その言葉が血肉に染みついてしまったのですが、今から考えるとこれも本当にラッキーでした。「明朗謙虚」「勤勉向上」は、マスタリーにおいて非常に重要なポイントなのではないか、と今から振り返ると思うのです。

ダブラー、オブセッシブ、ハッカー

ダブラー(Dabbler ミーハー型)

 ダブラーは、いろんな種類の新しいスポーツや職業、あるいは人間関係に、大変な熱の入れようで接近する。このタイプの人は、入門時の儀式、真新しい設備、専門用語などといった、新しいものにつきもののはなやかさが大好きだ。
 ダブラーは、たとえば新しいスポーツをやり急に上達してくると、すぐ有頂天になる。そして自分のフォームを、家族や友人に、あるいはところかまわず誰彼となく見せびらかすようになる。次回のレッスンすら待てないのだ!
 そしてその上達が一息ついて、初めて後退を体験するとショックを受ける。急激に上達してその後にプラトーが来ると、その原因が分からなければ我慢ならなくなって、熱心さは急速に失われ、レッスンを休むようになる。このときダブラーの心は、なんとかして自分を正当化したいという気持ちで一杯になっている。これは自分にぴったりのスポーツではない、あるいは競争的すぎる(またはあまりに競争的でない)、攻撃的だ、積極性に欠けたスポーツだ、退屈すぎる、危険が多いなどと文句を言い、あんなスポーツじゃ自分はとうてい満足できないと、みんなに言ってまわる。
 こうしてダブラーは、入門時に味わった熱中のシナリオをもう一度繰り返したくて別のスポーツを始めてしまう。ことによると今度はプラトーをうまく越えられるかもしれないし、あるいは失敗するかもしれない。そのとき運命は、偶然の手の中にあるのだ。
 職業の場合でも同じだ。ダブラーは新しい仕事や職場、それに新しい仕事仲間が大好きだ。彼はいつも転職のチャンスをねらっているし、高収入の話にも目がない。またちょっとでも進歩や向上があると、家族や友人にいちいち宣伝してまわる。それなのに―なんたることか!またまたプラトーに出くわしてしまう。「もしかすると、この仕事も自分に向いてないんじゃないか?」こうして、彼の心はもう他の仕事に引っ張られていく。だからダブラーの履歴書の「職歴」の欄は、何行にもおよんでいる。

出典:「達人のサイエンス」第1章P25-27

ダブラーは、次々といろんなものをつまみ食いしていくのですが、飽き性でなかなか続かない人のことを指します。多趣味で行動力がありそうに見える一方、浮ついた印象も与えます。流行に敏感ではありますが、ひとつのことを究めることは苦手なタイプですね。

日本において、特に若い世代にこの傾向の人が多いように思います。たくさんの楽し気な情報がすぐに手に入りますし、副業や転職も過去に比べるとより一般的になってきました。結果、短期間で手に入る刺激を求めて次々と新しいものに飛びつきがちです。飛びついた後に、「自分には向いてない」「これはもう時代遅れだ」と理由をつけて、すぐにそれに見切りをつけて次に行く…というパターンですね。

んー、たしかにこういう人結構いるな…と思いました。刹那的な楽しさはありそうですが、長期的に充実した人生になるかというと、ちょっと違うのかもしれないですね。

オブセッシブ(Obsessive せっかち型)

 オブセッシブは現実主義の人であり、次善の策に甘んじるような人間ではない。彼にとって重要なのは結果であり、だからゴールへ至る方法など問題にせず、成果を素早く手に入れることに専念する。そのため、最初のレッスンからでもストロークをやってみたいと思う。クラスが終わっても自分だけ残って、もっと早く上達できる本やカセットテープがあったら教えてほしいと言ったりする(話す時は相手の側に身を乗り出し、歩く時はエネルギッシュ)。
 オブセッシブの人は最初からすごい勢いで上達する。出だしは彼の予想通りだ。しかしおきまりの後退期が来て自分がプラトーにあることが分かると、それを受け入れるのが耐えられず、一段と努力するようになる。上司や同僚が「ほどほどに」と助言をしても、聞く耳など持っていない。職場では徹夜で働き、早く成果を上げるための近道を探すことで頭がいっぱいだ。
 アメリカの会社の管理職にはだいたいこの手の現実主義者が多く、オブセッシブ特有のプロフィールを持っている場合が多い。研究開発、長期の計画、ねばり強い商品開発、設備投資などを犠牲にしてでも、利益曲線が伸び続けるようすさまじい努力をする。

出典:「達人のサイエンス」第1章P28

完全にぼくです。笑

とにかく結果を出すことに執着する、基礎を大急ぎで学んで応用技術も身に付け早く勝とうとする、プラトーを受け入れられない、上司や同僚の助言を聞き入れられない、早く成果をあげるための近道を探し続ける、アメリカの会社の管理職*(笑)。
*Zenyum本社はシンガポールにあるので、正確には当てはまらないですが…

また、「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので、同じような性質を持っている友人が周りに多い気がしています。外資系企業やコンサルティングファームには、このタイプは多そうですね。

「結果にこだわる」「近道を探す」というアプローチは、必ずしも悪でもないとは今でも思います。やはり結果は大事。

とはいえ、長期的な目線で考えると、ビジネスでも勉強でもスポーツでも、プラトーからは逃れられないのです。

「達人のサイエンス」第1章P21図1を参照し、筆者作成

ぼくは、やり始めた当初は情熱に溢れ、一気呵成に進めていくのですが、プラトーに入ると「なんで成果が出ないんだ」「自分はなんてダメ人間なんだ」「もっと頑張らねば」という悪いスパイラルに入っていきます。

プラトーを楽しむどころか、生き地獄なのです。

その結果、つぶれかけてしまうこともありましたし、幸いなことに次の成長曲線に乗ってテンションを回復することもありました。ただ、プラトーの間、辛い思いをすることが多かったのは確かです。

オブセッシブがどのようにマスタリーになっていくのか…この本は、ぼくのような人にとっても指針となると思います。

ハッカー(Hacker のらりくらり型)

 ハッカーの態度は、前に述べた二つのタイプとは違ってくる。彼はちょっとでも上達のコツを飲み込むと、プラトーに長くとどまっても不満に思わない。仲間のハッカーとぶらぶら出歩いて楽しく過ごすことができれば、マスタリーの発展に本質的に欠かせない段階などすっぽかしても平気である。専門的な会議には出ないという外科医や教師、フォアハンドだけが正確でバックハンドはいい加減なフォームでしかできない手にスプレイヤーなどがこのタイプだ。彼は仕事でも、文句を言われない程度に済ませ、時間通りか少し早めに退社し、休み時間はきっちり休憩し、仕事中もおしゃべりし、それでいて自分がなぜ昇進しないのかと考え込むような手合いである。
 またハッカーは結婚や共同生活を、学びや成長の機会としてとらえたりはせず、外部の世界からの楽な逃避場所と見なしている。安定した一夫一婦制を喜んで受け入れるが、それは、この慣習ではそれぞれのパートナーの役割は決まりきっており、何よりも安上がりで家庭的な制度だからである。こうした伝統的な制度は有効に機能することもあるが、昨今の社会では、代わりばえのないプラトーで黙々と暮らし続ける夫婦は少なくなってきている。テニスの試合で相手がゲーム内容をよくしようと努力している時に、こちらが何もしなければ、ゲームは台無しになってしまう。結婚や共同生活でも同じことがいえる。

出典:「達人のサイエンス」第1章P30-31

人生はヒマつぶしであり、何かにおいて上達するとか、学習するということに必然性を感じず、ラクにラクに生きていきたい、というタイプですね。ぼくの周りはダブラーとオブセッシブはかなり多くいるように思いますが、ハッカーはあんまりいないかも。

プラトーを好きになるには

 若い頃は、いい成績をとるために一所懸命勉強するように仕向けられる。家や車が買えるようないい仕事につかなければならない、いい仕事につくためにはいい大学に入らなければならない、いい大学に入るためにはいい成績で高校を出なければならないと言われる。次の段階に行くために、われわれはみな同じことをさせられる。われわれはコンティンジェンシー(contingency 未来への依存性)という名の拷問台の上で、現在と未来の両方に引っぱられながら人生を過ごしているのだ。
 コンティンジェンシー自体に問題はない。目標の実現は重要なことだ。だが人生の中身は、その成功・失敗にかかわらず、人生のプロセスそのもの、自分が今生きていることをどう感じているかで判断されるべきであり、必ずしも努力の成果だけで判断されるべきではない。
 われわれは成果、賞、クライマックスに基づいた評価の仕方を山ほど教えられてきた。しかし、人はスーパーボウル(ナショナルフットボールの決勝)で勝利した直後すら、もう明日のことを心配しはじめるのだ。もしわれわれがよき人生、すなわちマスタリー的な人生を送っているのであれば、その大半はプラトーで過ごすことになろう。さもなければ人生の大部分はじっとしておれない不安なものとなり、ついにはプラトーから逃避するための自己破壊的なあがきに終わってしまうだろう。
 そこで次のような疑問が出てくる。プラトーというなかなか成果が見えない長い努力の時期を価値あることとして認め、楽しく生活し、しかもそれが好きになれるような教育が、家庭や学校や職場など、どこで行われているだろうか?

出典:「達人のサイエンス」第4章P44-45

ちょっと長くなってきたので、少しここで振り返りをします。

  • マスタリーとは旅であり、目的地ではなく、永遠に続くもの

  • プラトーとはマスタリーの大部分を占める「上達がない期間」「結果が出ない期間」のこと

  • マスターではないケースは「ダブラー(ミーハー型)」「オブセッシブ(せっかち型)」「ハッカー(のらりくらり型)」に大別できる

ぼくはオブセッシブが強いタイプで、とにかく最短での結果を求めがち、生き急ぎがちなタイプです。ただ、それだと人生の大半を占めるプラトーに耐えることができず、自滅する&楽しむことができなくなります。

次の論点として重要なのは、「どのようにすればプラトーを楽しめるのか?」です。人生の8-9割を占めるプラトーを楽しみ、その期間もコツコツと鍛錬を繰り返し、「今この瞬間」に集中することが、マスターへの道(マスタリー)なのです。

ただ、ぼくたちはいつも未来や短期的な結果に目を向けざるを得ない状況に追い込まれがちです。結果を出さなければ、落伍者になるという恐怖にさらされ、そのムチにおびえてずっと走り続けるのです。中にはそのようなレースに嫌気が差し、「とにかく楽しめればいいよ~」とハッカー的な生き方を選択する人もいるでしょう。ただ、それはそれでマスタリーとは程遠く、本当に充実した生になっているのか?というと疑問符が付きます。

プラトーとの付き合い方、本当に重要なことだと思いますが、著者がいっているようにそれを学べる場所はほとんどないように思います。

 会社は父にとって修行の場だった。父は火災保険の仕事に従事していた。その日の父は郵便物に目を通したりしていたが、私は会社の中をうろうろしながら、大きなタイプライター、手回し計算機、ホッチキス、穴開け器、旧式の口述録音機(私の声を小さな音声で録音できた)など、当時の珍しい器械をいじって遊んでいた。
 私は土曜の朝の静けさと、糊やインク、消しゴム、古い木などの匂いが大好きだった。しばらく器械で遊んだり紙飛行機を作ったりしていたかと思うと、父が仕事をしているそばに座って、仕事に集中している父を憧れの目でじっと眺めたりしていた。父はさまざまな形やサイズの封筒を開けては内容別に分類して束ね、秘書宛のメモを書いていたが、そのときの父は自分の世界に浸りきって、完全なリラックスと集中の状態にいた。仕事の時の父は、唇を開きかげんにして静かな息づかいで、その手つきはまるで催眠術師のようになめらかだった。

出典:「達人のサイエンス」第4章P52

この本では出てきていないですが、いわゆる「ゾーン」に近い状況なのかなと思います。ぼく自身、卓球の練習や集中して仕事をしているとき、楽しく文章を書いているときなどなど、著者のお父さんのような「完全なリラックスと集中の状態」になれています。そして、その状態そのものが楽しく充実しており、そこからの結果は言ってしまえば「どうでもよい」のです。

逆に、「これをやらなければ」「結果を出さなければ」という切迫感があるときには、「今ここ」に集中することができていないように思います。

 目標やコンティンジェンシー(未来への依存性)は、前にも言ったように、たしかに重要なことなのだが、それらは感覚世界の彼方にある未来や過去に存在している。しかし実践、すなわちマスタリーの道は、過去でも未来でもなくただ現在にのみ存在する。あなたはそれを見、聴き、嗅ぎ、感じることができる。プラトーを愛するとは、永遠の「今」を愛することであり、必ず訪れる上達のスパートを楽しみ、達成という果実を味わうことであり、さらにその後すぐに訪れる次のプラトーを澄んだ気持ちで受け入れることなのだ。
 プラトーを愛するとは、自分の人生における本質的で永続的なものを愛することなのである。

出典:「達人のサイエンス」第4章P54-55

「プラトーを好きになるにはこうすればいいよ!!!」というわかりやすいTipsは、残念ながら本書には記載がありません。ただ、プラトーを好きになるというのは、例えば「10秒目を閉じる」「シャワーを浴びる」みたいなお手軽Tipsで叶えられるようなものでもないな、とぼく自身思います。

ここのページで書いてあることは抽象的ではありますが、でも確かにこれがプラトーを愛せるようになる秘訣だと思います。

現在に集中すること。
永遠の「今」を愛すること。
必ず訪れる上達のスパートを楽しむこと。
達成という果実を味わうこと。
そして、その後に必ず来るプラトーを澄んだ気持ちで受け入れること。

定量目標を達成するために日々忙しくしがちなオブセッシブ型は、プラトーの愛し方をすぐに忘れてしまいそうです。自分自身、達人のサイエンスやこのnoteを定期的に読み返して、忘れないようにしたいところです。

達人への五つのキーポイント

この章では、達人(マスター)になるためのキーポイントが5つ記載されています。ぼくは、社会人になって働きだした後にいろんな地雷を踏みぬき、めちゃくちゃ辛い思いもしました。ここで書かれていることは、その経験から学んだことと合致していることが多く、「これでいいんだ!」と強く背中を押されました。

物事を学び、血肉にするというのは簡単ではありません。ここで書かれている5つのキーポイントを実践すると、その簡単ではないことを自信を持って進めていけるのではないかと思います。

キー1・指導

 技能の中には独学で着たり、自分でチャレンジできそうなものもある。しかしマスタリーの旅に出るつもりであれば、一流の指導を受けるのがいちばんだ。
 独学は危険だ。たしかに独学にも長所はある。自分にできない部分は知らないままでもいいし、昔の偉い人によって立入りを禁じられていた、肥沃な領域に入っていくことだってできる。エジソンやバックミンスター・フラー(訳注・アメリカの建築家・思想家。「ジオデジック・ドーム」などの発明で知られる)などのように独学で成功した人もいる。しかしたいていの独学者のやり方は、たとえば車輪を新たに発明することに人生を捧げていながら、車輪とは丸いものでなければならないことを認めないでいるようなものだ。既成の考え方ややり方をいつか覆してやろうと努力している人でも、まずは自分が覆そうとしているのが何であるかを知らねばならない。

出典:「達人のサイエンス」第5章P60-61

ある程度の金額や時間がかかったとしても、「最高の師匠を選び、教えを乞う」ということの重要性にはかないません。

アクセンチュアで仕事が出来なくて苦しかった時期が長かったぼくですが、あるとき「あなたならできる」と信じてくれ、かつ惜しみなく仕事への姿勢やスキルを叩きこんでくださった上司に出会うことができました。ぼくも、「こんなチャンスを逃すわけにはいかない」と強く感じ、彼のそばで四六時中仕事をして、彼のスタンスやスキルを盗もうとしました。その結果、かつてとは段違いのスピードで成長することができたなと感じます。

仕事だけではなく、英語学習やスポーツでも同じでした。自力で勉強するのではなく、各試験に特化した予備校に通い、そこで先生に教わったことを愚直に実施していく。そうすることで、我流でやり続けたときとは比べ物にならない実力をつけることができました。

「巨人の肩に乗る」「車輪の再発明をしない」等々、ゼロベースでやるのではなく、先人に教わることの大切さは言い古されています。ただ、「面倒くさい」「恥ずかしい」などの理由で、師匠を付けない人もまた多い印象です。

達人の道をしっかりと歩むためにも、「指導を仰ぐ」は徹底したいところです。

キー2・練習と実践

 武道とか、スポーツ、ダンス、音楽などのように外面に表れる技能は、練習(プラクティス)について考える上で格好の例だ。しかし、このマスタリーへ至る第二のキー「練習と実践」は、人生一般においても、その基礎となっている。
 ビジネスにおける実践(プラクティス)の例を考えるなら、経営者は事業のメカニズムをつねに時代の流れに対応させ、予算とか受注ノルマの達成や、品質管理などの基本事項に関しては、とりわけ勤勉に規則正しく仕事にあたらねばならない。また家庭においては、一緒に生活している家族は日常生活で忙しかったり混乱したりすることがあろうと、たとえば毎日家族みんながそろってテーブルについてきちんと食事をとるなど、家庭の約束ごとは必ず守る。

出典:「達人のサイエンス」第6章P86

尊敬できる師匠に指導を仰ぐことはもちろん重要ですが、それだけで実力はつきません。教わったことをできるようになるため、何回も何回も練習し、実践し続けることが重要です。

経営であろうが、音楽であろうが、人間関係であろうが、すべてに当てはまる鉄則です。「わかる」と「できる」は違う、という言葉も、実践の重要性を表しています。

ぼくの趣味は卓球です。フォアハンドは比較的得意なのですが、バックハンドがダメダメで、バック側を狙われると相手に主導権を握られてしまい、負けることが多いです。

バックハンド、YouTube等でプロやアマチュアのうまい方々の動画を見ていると、そんなに難しそうには見えません。シンプルなスイングで、スッと振りぬき、しっかり回転がかかったスピードのある球をみなさん打たれています。もちろん、どのようにそのようなスイングをしているのか、解説されている動画も多数出ています。

ただ、それをいくら見ても、自分自身のバックハンドは上達しません。先生に指導していただいた後、何百回、何千回、何万回と素振りをし、ボールを打ち、試合の中で試行錯誤する。そうしていくうちにやっとプラトーから抜け出し、上達期を迎えるのです。

 これといって用件がないときでも、定期的に練習(実践)するのは最初はけっこう面倒に感じる。だが、練習することが生活のメインになる日が必ずやってくる。時の経過や世界の騒がしい動きに関知せず、安楽椅子に腰を下ろすように、練習を安らぎと思えるようになる。そして翌日も同じだ。その状態は決してあなたのもとを去ることはない。

出典:「達人のサイエンス」第6章P87

結果を出すためでもなく、相手を負かすためでもなく、ただただ練習する。練習そのものが目的であって、ただ練習しているその瞬間が安らぎであり、楽しくもある。そして、それは今日も明日も明後日も繰り返す…。それこそが達人の道(マスタリー)であると著者は説いています。

もちろん、そのような毎日を送っていたら、自分自身の力もついていくし、結果も出てくるでしょう。しかし、それはあくまでもおまけにすぎず、「ただ練習する」それ自体に集中するのです。

イチローや羽生さんなど、まさにその道のマスターともいえる方々は、想像ですがこのような生活を送っているように思います。毎日自分が決めたことを粛々とこなし、結果が出る出ないに一喜一憂しない。ただ毎日決めたことを続けていき、それ自体の中に安寧を見出す。まさにマスターと言えるでしょう。

キー3・自己を明け渡すこと

 達人(マスター)の勇気は、進んで自己を明け渡そうとする姿勢で計られる。
 「自己を明け渡す」(surrender)とは、先生の指示に従い、自らが課した規律の求めるところに従うという意味である。また場合によってはさらに高い、あるいは異なった技能レベルに到達するために、自分が苦労して得た技能を捨てることである。
 重要なことを新しく学習する時は、どういう場合でも初めの頃は馬鹿(フール)になることが必要だ。たいていはぶざまに尻もちをついたり、みっともない失敗をしでかすに決まっていて、それを防ぐ手立てはない。初心者が自分のプライドを後生大事に守ろうとすると、学習はうまく進まない。

出典:「達人のサイエンス」第7章P88-89

Surrenderは、最近の流行り言葉でいうとリスキリングやアンラーニングが当てはまりそうです。ただ、Surrenderはより強い意味合いを含んでいるように感じます。今まで学んできた中で得た知識や経験、プライドや思い込みを一度すべて捨てて、「じぶんなにもわからないです」というスタンスを取ります。それから、師匠の指導に従い、どんなにぶざまでも恥ずかしくても、その通りに鍛錬をするのです。

若い人、さらにいえば子どものほうが学習が速いのは、「自己を明け渡す」のがうまいからのような気もします。年齢が若く、経験が浅いほど「自己」も強く確立しておらず、新しいものを受け入れる余地が広いように思います。また、恥ずかしさやプライドも持ち合わせていないため、スムーズに学習できるのでしょう。
*もちろん、年齢が若くとも「自己を明け渡す」ができない人もいますし、老齢でも素直に自己を明け渡せる人もいるのは言うまでもありません。あくまでも傾向の話です。

 おそらく達人の旅で最も望まれることは、マスタリーの道のすべての段階で初心を忘れない心掛けなのである(経営、結婚、バドミントン、バレーなどでも同じ)。達人もまた自己を明け渡すのは、熟練者など本当は存在しないからなのだ。存在するのは、学びの途上の人間だけだ。

出典:「達人のサイエンス」第7章P95-96

キー4・思いの力

 intentionalityという言葉には昔ながらの意味(性格、意志力、態度)もあれば、現代的意味(イメージング、メンタルゲーム)もあるが、本章で述べるのは主に、イメージングやメンタルゲームなどの、達人の旅に欠かせない「思いの力(intentionality)」についてである。
 メンタルゲームのパワーは、七〇年代にアメリカ・スポーツ界の著名人たちが明らかにしたことで一般大衆に知られるようになった。その一人、プロゴルファーのジャック・ニクラウスは、ボールが完璧な飛跡を描いて目的地に達する(つまりまっ白のゴルフボールが空高く舞い上がり、見事グリーンに着地する)様子が明確にイメージできてから、はじめてショットを放ったという。ニクラウスによると、成功したショットの半分はイメージの力、四割がセットアップによるもので、スイングは残りの一割でしかないという。

出典:「達人のサイエンス」第8章P97-98

いわゆるアファメーションや引き寄せの法則に近いところですね。どうしてもスピリチュアルな方向に向きがちなトピックではありますが、どのようなパフォーマンスを出したいのか、自身がなりたい理想の姿はどんなものなのか、それを明確にイメージ&言語化することはとても重要です。

ビジネスでも、MVV(ミッション、ビジョン、バリュー)やパーパス経営が話題ですが、この「思いの力」を組織全体で活用するのも目的の一つだと感じます。どのような世界を創っていくのか、組織全体としてどうなりたいのか、それを明確にすることで、組織全員が迷いなく毎日の仕事に向かっていけます。

 思考、イメージ、感情は、実際非常に現実的なものである。「エネルギーは質量(M)に光速(C)の自乗をかけたもの(E=MC²)」というアインシュタインの理論は、巨大なパワーの解放を現実のものとした。このアインシュタインの思考が熱や衝撃となって現実に変換されるまでには、かなりの努力と時間が必要だった。この場合もたしかに、思考、ビジョン、思いの力のほうが先であったのだ。
 アーノルド・シュワルツェネッガーは言った。「まずビジョンを作ること、それがすべてです。そこにビジョンをー特に美しいビジョンを見ることができれば、そこから『願望というパワー』が生じます。私の場合で言えば、ステージに立つ自分の雄姿をありありと思い浮かべていたからこそ、ミスター・ユニバースになりたいという自分の希望を実現できたのです。」
 思いの力は達人にとってエネルギー源となる。すべての達人は、ビジョンを思い浮かべる達人なのだ。

出典:「達人のサイエンス」第8章P105-106

マスタリーで重要なポイントは、過去や未来に引っぱられることなく、今この瞬間を見据えてプロセス自体を楽しむことです。ここでは、それに加えて「願望というパワー」を活用することの重要性も語られています。

マスタリーの根本であるプロセスへの集中、今この瞬間への集中を根本に置きながらも、将来的な理想的ビジョンも同時に思い浮かべる、とはいえ「ゴールにたどり着くことは原理的にあり得ない」という矛盾を飲み込んでいく、これが正しい歩み方なのかもしれません。

キー5・限界でのプレイ

 本章でわれわれは、一見矛盾がありパラドックスと思えるような、深刻な問題に行きあたる。
 達人と呼ばれる者たちはほとんど例外なく、自分の天職についてはその基礎に忠実である。彼らは練習の虫で、新たに小さなステップを踏み出すのにもきわめてうるさい。それでいて―ここがパラドックスだ―彼らは過去の限界にチャレンジしようとする傾向が強く、上達のためには危険をもいとわず、その追求のためにオブセッシブになることすらある。達人にとっては、明らかにこの二つの傾向のどちらか一つではなく、両方がキーとなるのだ。

出典:「達人のサイエンス」第9章P107

ここにもある種の矛盾が語られています。

マスターたちは練習そのものが大好きで、周りから見たら退屈そうに見えることも毎日繰り返し、そのプロセスを楽しんでいます。一方、ときにはその毎日のルーティンを守り抜くことに加え、過去に達成してきたこと以上のパフォーマンスを出すためにいつものリズムを崩すこともあるのです。

マスターであるならば、いくら頑張っても上達が見られず結果も出ないプラトーの時期があることはわかっているはず。それにもかかわらず、無理やりにでも高いハードルにチャレンジし、オブセッシブにもなるというのは確かに矛盾を感じます。

ただ、実際に今までお会いしたマスター的な方々は、日々粛々と鍛錬を重ねている一方、ここぞというときには大きなチャレンジをされていた印象は確かにあります。プラトーを楽しむには、ただプラトーにいるだけではなく、あえてプラトーを抜け出そうとするチャレンジを定期的にしていくことも重要なのかもしれません。

 二三歳のジュリー・モスは、ハワイで開催された鉄人トライアスロン世界大会で二六マイルマラソンの女性の部の先頭を走っていたが、スポーツ史上、これほど敗北することの苦痛をわれわれにまざまざと見せつけた瞬間はなかった。
 ゴールからあと百メートルほどの地点で、モスは膝から崩れ落ちてしまった。立ち上がってあと数メートル走り、また倒れた。テレビカメラが彼女を映した時、身動きすらほとんどできないように見えた。だが彼女は再度立ち上がって走るとまた倒れ、今度は這い始めた。モスは二位のランナーに抜かれながらも這い続け、その手を伸ばしてゴールラインに到達した。
 ABCスポーツのジム・マッケイは、「まさしく英雄です……テレビのスポーツ中継史上、最高に感動的な瞬間です!」と叫んだ。いっぽう自らも長距離マラソンのランナーである、カリフォルニア州ローズビル市民病院の整形外科医ギルバート・ラング医学博士は「馬鹿げている。命を落とすことにもなりかねない」と言っている。
 ラングの言葉もマッケイの言葉も間違ってはいない。モスの行為は愚かでもあり英雄的でもあったのである。いかなるランニング選手にも、死の淵の近くまで頑張るよう強制してはならない。しかしこうした英雄的行為がなければ、この人間社会は無味乾燥で生気のないものとなっていたのではなかろうか?おそらく、人間社会そのものが存在しなかっただろう。
 かつて原始時代の狩猟民族が集団のメンバー、つまりわれわれの遠い先祖たちの生活のために獲物を求めて自らを犠牲にするような行為が、有史以前には無数にあったに違いない。ジュリー・モスのような人たちはわれわれ全員に代わって走り、人間性や実存を再確認しているのである。そしてわれわれが知る達人たちもみな、モスのように自らを限界まで駆使し、なんとしてでも目標を達成して不可能を可能にするという、愚かしくもあるが英雄的でもある願いを抱いているに違いないのだ。
 しかしこうした限界でのプレイは、正しい指導を受ける/練習/自己を明け渡す/思いの力という四つのキーを長年実践していって初めて意味がある。そしてその後は?さらに訓練を重ね、プラトーで長い時間を過ごす。すなわち再び、終わりのない道を歩んでいくのである。

出典:「達人のサイエンス」第9章P111-112

このエピソード、すごく好きです。

ジュリーさんの熱量、執念もめちゃくちゃカッコいいですし、それを受けたマッケイさん、ラングさんの真正面から対立する意見もとても好きです。

命や健康に勝るものはありません。それを捨てる危険性を冒してまで何かにチャレンジする意味は薄いです。一方、命を賭してでもリスクを冒し、今までだれもなしえなかったことをすること、それがなければ人類の発展もなかったでしょう。

そのチャレンジはいつも成功するわけではなく、むしろ失敗のほうが多かったのだと思います。その途上で命を失う人たちも夥しい数いたはずです。ただ、そのチャレンジを「愚かだ」と否定することは、やはりできないように思います。その人たちのチャレンジ、夥しい失敗、一握りの成功。それがあるからこそ、人類は少しずつ進歩してきたのだと感じます。

命を賭けてでも、挑戦すべきか?

その答えは、NoでもありYesでもあります。どちらを選んでもぼくたちの自由ですが、ときには限界を超えたチャレンジをし、自らの人間性を確認する作業も必要になるのかもしれません。

マスタリーのエネルギーを得る七つの方法

 もし自分にはマスタリー的な生き方に専念するだけの時間とエネルギーがないと思っているなら、昔の諺を思い出そう。「何かをやり遂げたいなら、それを夢中でやっている人に尋ねよ。」
 仕事や遊びを含め、世界中で成し遂げられたことについて、ふつうの人間ひとり分の割当てをはるかに越える成果をあげているような超人的な人を、誰でも一人ぐらいは知っているだろう。自分には無理だという思いを捨て去ったなら誰もが、心にエネルギーのほとばしりを感じるような時期を経験する。高すぎて登れない山など自分には存在しない、と感じる時とか、仕事と遊びの境が薄れていき、ついには消えてしまった時などがそうだ。授業中は眠らずに両目を開けているのがやっとだったのが、放課後になると数時間のきついクラブ活動のあいだ中、完全に目覚めていて、意識も著しく鋭敏だったという経験もあるだろう。さらに恋愛の初めの頃、またやりがいのある仕事に取り組んでいる時、あるいは危険が迫ってくる時なども、あなたはエネルギーが湧き起こってくるような感覚を覚えたのではなかろうか?

出典:「達人のサイエンス」第11章P129-130

マスタリー的な生き方を続けていく = 充実した生を全うできるといっても過言ではありません。とはいえ、そのような生き方をできず、どこかで破綻をきたしたり、強い後悔の念や恨みを持ちながら死んでいく、という人が少なくないことも事実です。人はそんなに強い生き物ではなく、マスタリーを続けていくのはそう簡単なことではないのです。

一方、マスタリー的な生き方を一回も体験したことがない!という人もまた少ないはずです。勉強、スポーツ、恋愛、仕事、何かしらにおいてマスタリー的な没頭をした経験がある人はいるでしょう。ほとんどの人はマスタリー的な生き方を続けられる可能性は秘めているのですが、それを続けるために必要なものが欠けており、刹那的な生き方になってしまっているのです。

達人のサイエンスでは、マスタリー的な生き方を続けるためのエネルギーを得る7つの方法が解説されています。以下で一つずつご紹介します。

1.肉体の健康(フィットネス)を維持する

 一日中座って書類をめくりながらも肉体の健康を維持している人たちもいるし、運動したくなったら気がすむまで運動を続けてしまうという、まるでエネルギーの塊のような人たちもいる。
 他の条件が同じであれば、健康な身体はやはり、人生のあらゆる場面で必要とされるエネルギーの発揮に大いに貢献する。また、自分は健康だと感じている人や、自然や自分の身体に無関心でおれない人は、(やはり他の条件が同じであれば)座ってばかりの不健康な毎日を送っている人よりも、この惑星(地球)とその住人のためにそのエネルギーを使うだろう。

出典:「達人のサイエンス」第11章P134-135

まずは何をおいても身体の健康ですね。適切な睡眠、バランスの取れた食事、運動、定期的な検診…そういうものを通じて、自分の身体の状態を適切に保つこと。これがなければマスタリーもへったくれもあったものではありません。不健康な状態で鍛錬を続けるというのは、ほぼ不可能といってもいいでしょう。

余談ですが、ぼくが代表取締役社長を務めているZenyum Japanでは、口腔領域から身体の健康にアプローチしています。口腔ケアは本当に大事なのですが、日本人の口腔ケアに関する意識、行動レベルは先進国の中でもかなり低い方で、ここになんとか切り込んでいければと思っています。

2.マイナス要素を知ったうえでの積極思考

 楽観主義は、「現実直視」を自認するジャーナリストだけでなく知識人からも、決まってこき下ろされている。しかし積極的な人生観を持つ人々は、否定的に世の中を見る人々に比べるとずっと病気になりにくいことが、多くの研究で明らかにされている。
 またこうした人々には、エネルギーもある。『エクセレント・カンパニー』(邦訳、講談社刊)の著者で、おそらくアメリカではトップクラスの経営コンサルタントであるトム・ピーターズは、アメリカで最も成功している会社経営者たちの「気味悪いと思えるほどの言葉使いの類似性」を指摘している。彼らはつねに積極的な態度の価値や、ほめ言葉などの「正のフィードバック」の効果を強調する。

出典:「達人のサイエンス」第11章P135-136

表面的なポジティブ思考や気合いで乗り切る!というのはどうかと思いますが、努めて物事や人の良い側面を見て、周りを元気づけるという行動性質は、マスターには必須のものです。もちろん、現実をしっかりと直視したうえで「うまくいかない理由」を洗い出し、それについて対策を練ることも必要です。組織が崩壊しかけているのであれば、変にポジティブ思考で乗り切ろうとせず、問題と向き合うことも大事でしょう。

ただ、基本方針として「ものごとをプラスの側面でとらえる」というのは非常に重要です。常に不満たらたらで口を開くと所属組織や上司、他人への攻撃しかしない、という人もいますが、そういう人は自分のエネルギーもそうですし、周りのエネルギーも奪ってしまいます。そのようなマインドセットを持ちつつ、マスタリー的な生き方をするというのは難しいでしょう。

3.努めてありのままを話す

 「企業を活性化する最上の方法は、社員が互いに本音を言うことである。」
 これは一九六〇年代に「事実を話すエンカウンター・グループ(出会いの会)」を広め、現在は企業を対象としたコンサルタントを行っているウィル・シュッツ博士の言葉である。
 企業のエグゼクティブを対象とした数回のセッションから得られた最初の成果の一つは、会議の時間が以前より短くなったことである。ある会社では、一時間半かかっていた会議がわずかニ〇分ですむようになったという。「われわれは話したいことを話すだけです。特定のことについて口をつぐもうとして、多くの時間やエネルギーを無駄にしたりはしません。」
 うそや秘密は、組織には毒になる。それは人々の活力が、欺き隠すことや、誰に何をはなすべきでないかを考えることばかりに費やされてしまうからだ。しかし皆がありのままを話すようにすると、あっという間に仕事のミスが減り、生産性が上がってくるのが分かる。
 ありのままを話すという方法が一番うまくいくのは、自分の思いを打ち明けるときであって、人を侮辱したり我を通すときではない。またリスクや試練、あるいはエキサイティングしたりエネルギーが爆発しそうな状況などに直面したときにも、こうした方法でうまく克服できるだろう。

出典:「達人のサイエンス」第11章P137-138

これはマジで重要な一方、ほとんどの人、組織ができていないと感じます。特に日本人はストレートに話す、表現するのを「はしたない」「大人げない」とする傾向にあり、なかなかありのままに話せません。

これは日本だけではなく、グローバルでも同様です。Zenyumは5つのValue(行動指針)がありますが、そのひとつがCandour(率直かつ誠実に話し合う)です。あえてValueに掲げていることからも、これの重要性および実現困難性がわかるというものです。Global CEOであるJulianも、よく「Extreme transparance(過激なまでの透明性)が重要だ!」と言っています。

ここで解説されている通り、お互いが本音で話し合うことができれば、無駄な忖度や推しはかりがなくなり、コミュニケーションや行動のスピードが速くなります。一方、これを組織内に浸透させるためには、各メンバーの人格が成熟している、かつポジティブなメンタリティを持っていることが必要条件になります。

ありのままを話すとき、人によっては「強く批判された!」と思い、落ち込んだり傷ついたりすることがあります。また、ありのままを話すにあたってももちろん「話し方」は重要であり、気を抜くと相手への侮辱になる可能性があります。受け手としても話し手としても、十二分に成熟している必要があるのです。

また、率直にありのままを話すのはいいものの、思っていることがネガティブだったり恨みだったり策略だったりしている場合、組織全体が負のオーラで満たされます。そのような人がひとりでもいたら、組織はすぐに瓦解していきます。そのような人がいない状況ではじめて、「努めてありのままを話す」は機能するのです。

4.素直であれ、ただし自己の暗い部分に振り回されるな

 ブライが言うには、幼い子どもはエネルギーを四方八方に放射している元気のよい「ボール」として視覚化できる。だが親の側からそのボールを見ると、いくつか気に入らない部分がある。そこで子供は両親の愛を失うまいと、自分の背後に引きずっている「見えない袋」の中に、両親が嫌っているそれらの部分を投げ込む。
 ブライによると、「われわれが学校に通いはじめる頃までにその袋はかなり大きなものになっている。そこでまた先生が、『いい子はそんなことで怒ったりしませんよ』と言うので、われわれはまたそうした怒りを袋に投げ入れる。」こうしてニ〇歳になる頃には、われわれの本来の活力はほんのわずかしか残っていない、と彼は論じている。
 だが、われわれはこのしまい込んだ活力を今も使えるのだ。そして人格の中のこうした禁じられた部分を働かせるとは、必ずしも好き勝手に振舞ったり、水面下の部分をそのまま行動化することではない。
 たとえば怒り一つとっても、そこにはとてつもないエネルギーが含まれている。自分でも意識できないぐらいに怒りを巧妙に抑圧してしまうと、それにともなうエネルギーを意識的・建設的な形で利用できなくなるのは明らかだ。しかしまた袋から怒りを取り出して野放しにし、条件反射的に怒りを表に出してしまうと、その活力の大半を浪費することになる。怒りを表現するほうが適切な場合もあるが、憤然としたり激怒したりする熱いエネルギーを、積極的な目的に利用することもできる。つまり、怒りの気持ちが湧き上がっても、自分のいちばんやりたいことで猛然と努力するほうを選び、怒りの下に潜むエネルギーをマスタリーの旅の燃料に転嫁することも可能なのだ。

出典:「達人のサイエンス」第7章P139-140

これはよくわかる気がします。

ぼくは大学時代に何をすべきかわからないままでした。そのまま就職活動をしてしまい、なんとなくコンサルティングファームに入社しました。そのなんとなくモヤモヤした不完全燃焼感をエネルギーに転換し、「めちゃくちゃ働いて一気に上に行ってやる!!!」と鼻息荒くがんばっていた覚えがあります。

しかし、おそらくぼくはエネルギーの使い方を間違っていました。有り余るエネルギーはあったものの、それを毎日の鍛錬に使うというよりも、早い段階で結果を出すことに集中していました。オブセッシブのワナにハマっていたのだと思います。結果、いくら頑張ってもうまくいかず、どんどん元気がなくなっていってしまいました。

その後、素晴らしい師匠との出会いなどがあり、なんとか仕事を楽しくこなせるようになりました。そして、現在まで続く仕事へのモチベーションは、大学時代にやりたいことが見つからずに腐っていたこと、それを活かして一生懸命働いたのに結果が出なかったこと、この二つが大きな源になっています。

過去を抑圧するのではなく、そこでの感情をエネルギーに転換し、毎日の鍛錬に活かし、マスタリーを推進する源にする。確かにこれができたら非常にヘルシーだなと感じます。

5.するべきことの優先順位を決める

 一つの目標を選ぶとは、多くの選択可能な他の目標を諦めることである。私の友達の一人は二九歳の今も人生の理由や目的を探求しているのだが、その彼がこう私に言った。「われわれの世代は、自分の選択の幅は広げたままにしておくべきだという考えで育ってきました。だけど自分の選択の幅を本当に広げたままにしていたら、結局何もできないですね。」
 すなわちこれは、どれか一つの目標を選択することが、どうすればそれ以外のすべての選択や目標に含まれた可能性を補って余りあるものになるか、という問題なのである。

出典:「達人のサイエンス」第11章P141

ある一定の時期までは、選択肢を広げるというのも悪いチョイスではないと思います。ただ、選択肢を広げたままにしすぎると、「何も極めることができず、どれもこれもそこそこ、でも大きな価値を出すことができない」という悩みを抱えることになってしまいます。マスタリー的な生き方は心地よいですが、あまりにも選択肢が多いと、十分な量の鍛錬を積み続けることはできなくなります。

 エネルギーの観点からみれば、誤った選択であっても何もやらないよりましである。まずは今日、今週、今月、そして生涯の行動の優先順位を設定することから始めよう。最初は小さなことから始める。今日と明日にやろうと思う項目をすべてリストアップし、各項目を優先順位にしたがってA、B、Cのカテゴリーに分類する。最低でもAは確実に実行する。それから長期の目標についても同じようにやってみる。優先順位は変わることだってあるし、自由に入れ換えも可能だ。しかし、やりたい行動をきちんと書きとめておくだけでも生活にめりはりができ、そしてそのめりはりが活力を創り出す。

出典:「達人のサイエンス」第11章P142

この優先順位のつけ方、および実行方法については、さまざまなやり方がありそうです。現在、ぼくは会社経営に一番のリソースを割いており、その際の優先順位のつけ方の仕組化には非常に悩みました。それについては以下noteにまとめていますので、会社全体の優先順位のつけ方について興味がある方はぜひ見てみてください!

6.公言し、そして実行

 マスタリーの道にゴールはなく、われわれは旅そのもののために旅する。だがこれまでにも述べたように、旅の途中に仮の目標がいくつかあり、その最初の目標が旅立ちにほかならない。
 しっかりした明確な期限が与えられた中間目標ほど、旅する力を与えてくれるものはない。このことは、公演第一日目の開演時や、取り引きでの最終期限、雑誌記事や本の原稿〆切などを目前にしたことがある人には良く分かる。

出典:「達人のサイエンス」第11章P142

マスタリーは旅であり、プロセスである。マスタリーは、目的地ではなく、結果でもない。これは今まで読んできてくださった方はもう理解いただいていると思いますが、一方で毎日鍛錬をするだけではなく、期限を切って明確な目標をセットすることは、マスタリーの中では奨励されています。

「締切効果」という言葉もある通り、淡々と毎日の鍛錬をこなしていくだけにとどまらず、明確な期日と数値目標があると、「限界への挑戦」をする機会も作れますし、結果としてはより充実したマスタリーの旅を続けられる、という理解をしています。

 いつも外からの要因で期限が与えられるとは限らない。自分で期限を決めることも時どき必要になる。この決定は本気でやるべきである。それを公言するのも一つの方法だ。生活の中で関係の深い人々に、いついつまでにやり遂げると言うのだ。期限を明確にすれば破るのが難しくなり、また期限の設定から生じるエネルギーも大きくなる。何よりもまず行動し、その行動を持続してほしい。
 あわてて始めてはならない、時間を取って綿密に計画を練ろう。しかしぐずぐずしてはいけない。ゲーテは言った、「あなたにできることが何であれ、どんな夢があるのであれ、まずは始めよ。大胆さの中には非凡な才能があり、活力があり、魔法があるのだ。」

出典:「達人のサイエンス」第11章P143

若いときは外から期限や結果目標を与えられます。受験勉強は最たるものですよね。しかし、そのような時期を過ぎると、もはや期限や目標を与えられることはありません。サボろうと思えばいくらでもサボれてしまいます。一方、適切に期限を切って成果を積み上げ続ける人もいます。前者と後者、時間が経つにつれてどんどん差は開いていき、最終的には取り返しのつかないレベルになっていきます。

とはいえ、ぼくの場合完全にひとりで期限を切って粛々とやるのは結構ハードだなと過去の経験から感じています。期限と目標を確定した後は、その道のプロに弟子入りしつつ、同じ立場の弟子仲間たちと切磋琢磨しながら鍛錬を続けるやり方にしています。お金はかかりますが、本気でやりたい場合にはベストなやり方かなと思っています。

7.マスタリーの道を歩み続ける

 長い目で見ると、マスタリーの道ほどエネルギッシュな生き方をもたらす道はない。規則的に練習を続けると活力が得られるだけでなく、その活力を自由にコントロールできるようになる。規則的な練習という堅固な土台がないのに期限を設定しても、夢中でやったかと思うと急に意気消沈したりして浮き沈みが激しい。
 マスタリーの旅では、ものごとを正しいバランス感覚で見ること、すなわち好調時だけでなくスランプ時でも一定量のエネルギーを使っていくことを学べる。また、エネルギーは保存できないことや、使えば使うほど増えていくことも学べる。適度な球速はもちろんマスタリーの旅の一部ではあるが、積極的な行動がともなわなければ憂鬱になるだけかもしれない。
 世の多くの憂鬱や不満、さらには犯罪や戦争の原因となる不安や不満の多くについてその原因をたどっていくと、結局はわれわれの未使用のエネルギーすなわち未開発の潜在能力へと行きつくだろう。エネルギーを普段から使っている人は、麻薬をやったり、犯罪を犯したり、自己の生命を強く実感するために戦争に行ったりする必要もない。誰にでも、あり余るほど多くの建設的でクリエイティブな仕事が待っている。われわれの誰もが今から、自分のエネルギーを増やすことができるのだ。

出典:「達人のサイエンス」第11章P143-144

シンプルですが、マスタリー的な生き方を続けることで、さらにまた明日マスタリー的な生き方を続けるための活力が得られる、ということですね。

中間目標を決め、ときにはオブセッシブになったり時には限界を超えたチャレンジをしつつ、基本的には毎日淡々と積み上げていく。そして、ほとんどの時間はプラトーにいるため、結果は出ない。それでも、毎日粛々と積み上げる鍛錬そのものの中に快楽を見出し、そこからエネルギーを得て、また次の日も続けていく。これがマスターの生き方なのだと思います。

自分を振り返ってみると、確かにこのような生き方をできているときは、不思議と幸せで満ち足りた気持ちになっていたなと思います。逆に、未来のことを考えすぎていたり、鍛錬をする対象がなくダラダラと日々を過ごしている時は、焦りや不安、不満でいっぱいになっていました。

仕事でも趣味でも人間関係でも、未来も過去も関係なく、ただ現在に集中して積み上げる。その積み上げ自体から快楽を得て、また明日への活力とする。そんな生き方を続けていきたいものです。

マスタリーの道での落し穴

 マスタリーの道を歩み始めるのはやさしい。本当に難しいのはマスタリーの道を歩み続けることだ。最も真剣な旅人にはいいことばかりではなく落し穴も待っている。それらをすべて避けるのは無理にしても、落し穴の存在を知っておくことは役に立つ。

出典:「達人のサイエンス」第12章P145

一方、マスタリーの道を歩む際には落し穴もあります。せっかくマスタリーの道を歩いているのに、そこに落ちてしまって旅を続けられなくなってしまう人もいます。上記で解説されている通り、長い人生の中ですべて避けることは難しいとは思いますが、事前に理解し、可能であれば避けたいものです。

以下で13の落し穴が紹介されています。ひとつずつ解説していきます!

1.生活上の葛藤

 マスタリーの道はなにもないところにあるのではなく、さまざまな義務や楽しみ、そして人間関係の中を通っている。マスタリーを旅する人にとって、主要なマスタリーの道が自分の職業であり生活の糧となっている場合は好運だ。そうでない人たちは毎日の労働時間以外に、自ら望んだ練習・実践のための―それはマスタリーをもたらしはしても生活の糧とはならないのだが―場所と時間を見つけなければならない。
 ここでの秘訣は、まず現実的に考えることである。実際に仕事とマスタリーの道とのバランスがとれるのか?しかし、われわれには未使用のエネルギーがあるのだから(前章を参照)、がっかりしてはいけない。たとえば時間について考えてみると、あなたは毎日テレビに何時間もかじりついてはいないだろうか?家族や友人のこともある。あなたがやっていることを彼らは支持しているだろうか?特にあなたの配偶者はどうだろうか?心理学者ナサニエル・ブランデンはクライアントに次のように言っている。「自分がいちばん夢中になれることに対して、あまり関心を示さないような人とは結婚しないように。」
 つまりポイントは、マスタリーの道でなにかうまくいかないことが出てきた時は、人生におけるそれ以外の部分も点検してみることである。そしてマスタリーの原理で生活できる可能性がそこに残されていないか、よく考えてみよう。

出典:「達人のサイエンス」第12章P145-146

マスタリーが自分の職業の中にある、というのは、非常に重要な前提です。もし今の仕事を続けることに自分自身価値を見いだせていなかったり、やればやるほど社会に悪影響を及ぼすようなことをせざるを得ない場合、マスタリーの旅を続けることは非常に難しくなります。もちろん、仕事は仕事としてそれなりにやり、残りの時間で趣味をマスタリー的に楽しむのもアリだとは思いますが、一日の活動時間の半分もしくはそれ以上を占める仕事において、マスタリーの道を歩めないのはなかなか厳しいかなと思います。

ぼく自身、10年強の仕事人生の中で、「本当にこれを続けていていいのか?」と思うタイミングが何回もありました。そして、そのような思いを持っている時は、仕事はやはりつらかったです。今は、Zenyumというミッション、ビジョン、マネジメント、プロダクト、すべてが「笑顔があふれる世の中にしたい」という終わりなき目的に向かって揃っている組織の中で、日本法人を率いるという非常に意義深い仕事ができているため、仕事の中でマスタリーの旅を続けることができています。これは本当に幸せなことです。

また、妻をはじめとする家族もぼくの旅を心から応援してくれており、ここもとてもありがたい。家族から「なんでそんなことやってんの?」という否定的なスタンスを取られていたら、目の前のことに集中するのはなかなか難しそうです。

2.オブセッシブ(せっかち型)の目的志向

 今までに何度も指摘してきたことだが、早く確実で目にみえる成果を求める現代人の欲望は、おそらくマスタリーにとって最大の敵である。大きな夢を持つことがすばらしいことは言うまでもない。しかし目標を成し遂げるのにいちばんいい方法は、目標までの道すがら、謙虚な見通しをたてて一歩一歩進んでいくことである。いいかえれば、山登りで先に頂上があるのを忘れてはならないが、頂上ばかりを見上げていてはだめだということだ。自分の歩んでいる道を見つめながら歩き、さらに山の頂上に着いた時も、禅で言われているように「なおも登り続けなければ」ならない。

出典:「達人のサイエンス」第12章P146-147

これはまさにぼくがいつも陥るワナです。早く効率的に目にみえる成果が欲しいというオブセッシブな思考に囚われてしまい、自分や周りを追い詰めてしまう、そういう傾向がぼくにはあります。

上述の通り、目標を持つことは悪いことではないのですが、その頂を見て「もっとはやく、もっとおおきく」とやっていると、結局足をすくわれてしまいます。大きな目標は持ちつつも、一歩一歩正しいことをやり、そのプロセス自体を楽しむ。マスタリーの旅のコツはシンプルですが、実践は難しいものです。定期的に自分がオブセッシブになっていないか、確認するクセをつけていきます。

3.よくない指導

 よい指導を受けることの重要性や悪い指導の見分け方については、すでに第5章で学んだ。ここでもう一度、一、二、三のポイントを示そう。
 (一)教師には全面的に従うべきだが、それは教師としての相手に従うのであって、権威者(グル)としての相手に従うのではない。(二)教師を次から次に替えてはならないが、うまくいかない状況を単に惰性で我慢すべきではない。(三)指導が生きてくるかどうかは先生の側に最終的な責任があるのではなく、指導を受けるあなたの側にこそ、そうした責任があるということを忘れてはならない。

出典:「達人のサイエンス」第11章P147

ぼくが本当にラッキーだったのは、仕事、趣味、英語、人間関係等々、すべてにおいて最高の師匠たちに恵まれたことです。あるときから自分の能力を信じることをストップし、とにかく素晴らしい師匠を見つけ、その人のすべてを吸収できるように努力する、そのようにした結果、物事がどんどん好転するようになりました。

新しいことをはじめるときには、まず師匠を見つけること。そして、その師匠が信頼に足る人であることが分かったら、過去の自分の経験や知識はすべて捨て、その人を丸コピする気概で食らいつくこと。これができれば、気持ちよくマスタリーの旅を続けていけるような気がします。

4.競争のない状態

 競争はスポーツの場合だけでなく、生活の上でもスパイスの役目を果たす。選手が体を壊すのは、スパイスばかりの状態、つまり競争一辺倒になった時だけだ。競争は同期を提供してくれるし、それ以外の試みをも新しいゲームにしてくれる。つまり人と競争するために、同じトラックを何周も走らなければならなくなるのだ。
 苦労して手に入れた自分の技能をさらに高いレベルにまで磨くチャンスとして、競争を利用しよう。ゲームでは、勝ちたいという意思を持って自分のすべてを出し切らないならば、ゲームの価値をおとしめ、相手を侮辱することになる。とはいえ、マスタリーの旅でも勝つことは主要な要素だが、それがすべてではない。負けた時も勝った時と同じようにいさぎよういならば、それが達人(マスター)の証だ。

出典:「達人のサイエンス」第12章P148

コツコツと過去の自分と競争していくのも職人的でカッコいいですが、より高いレベルに自らを持っていくために、健全な競争を繰り広げるのは確かに効果的です。例えばMBA受験のためにGREの勉強をした時も、自分も含めて5名でチームを組み、毎週振り返り勉強会をしたりお互いの成果を報告し合ったりしました。周りがめちゃくちゃ頑張るから自分も頑張らざるを得ない、そういう環境に身を置くことで、マスタリー的な鍛錬が進んでいったように思います。そして、そのような鍛錬を一緒にした仲間たちとは、その後もとても良い関係を築けるなと実感しています。

必死にGRE勉強して、何とか結果を出せたときの記事↓↓↓

5.過度の競争

 勝つこと以外には目もくれない自称達人は、長期的に見ると必ず負けることになる。「勝つことがすべてではないどころか、それ以外に目的などあり得ない。」これはずいぶんたちの悪い言いぐさだ。考えてもみるがいい、本当に勝つことだけを言うのなら、練習や訓練、コンディションの調整、そして試合内容などどうでもいいということになる。
 勝ちぐせをつける、ということがよく言われるが、負けぐせがつくことだって少なくない。「ナンバーワン」という金科玉条には過度の競争がつきもので、それによって勝者より敗者のほうがはるかに多く作られる。青年リーグのコーチの中には、同一地区の他校を負かすことが人生の目的であり、ゲーム内容は問題ではなく勝つことだけが重要なのだと教える人がいたりする。こうしたコーチのために、オリンピックのメダリストになれるはずの者がスポーツをやめていった例が、今までどれだけ多くあったことだろう。

出典:「達人のサイエンス」第12章P148-149

「勝つことがすべて」という価値観、正しいと思う人もいれば、嫌悪感を示す人もいるでしょう。ぼくは、かなり長いあいだ「勝つことがすべて」派でした。王貞治さんの「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。」もとても好きでした。

結果が出なければ、それは意味がない。これに正しいも正しくないもないですが、苦しいことは間違いないはずです。いくら頑張っても結果が出ないことはやはりありますし、その場合すべてが無駄だったのかというと、そんなことはないのです。

先述の通り、結果を出すために競争するのは悪いことではありません。むしろ、適切に中間目標を置き、同じ道を歩む友人と切磋琢磨するのは、マスタリーにおいて不可欠ともいえるでしょう。しかし、あまりにもそれが過度になり、結果至上主義に陥ってしまうと、自分も周りも苦しくなりますし、道を踏み外しやすくもなります。

あくまで「適度な競争」をベースに、コツコツと積み上げていきましょう。

6.怠惰

 怠惰は「反抗」「依存」などという言葉と同様に、精神科の用語として考えることもできる。しかしここでは、怠惰の言葉の定義に戻ったほうがいいだろう。すなわち「行動や努力を嫌う傾向があること。働くのをいやがること。無精。ものぐさ」。怠惰のためにマスタリーの道から放り出されてしまうのは残念なことだが、嬉しいことに、マスタリーの道は怠惰から人を救い出す最良の方法でもあるのだ。勇気を出そう。

出典:「達人のサイエンス」第12章P149

めんどくさがること、それがマスタリーを阻害します。とはいえ、人は生来ものぐさでめんどくさがりで無精、つまり怠惰です。昨今、FIRE*が日本だけでなく世界中でバカ受けしているのも、「仕事したくないよう(´;ω;`)」という気持ちの表れでしょう。

ぼく自身、仕事は楽しいことばかりではありませんし、「あーーー一財産築いて悠々自適な人羨ましい」と思わないと言ったらウソになります。いや、大ウソになります。ただ、そのような状況になれたとしても、何かしらの仕事や趣味は続けると思います。怠惰に暮らすことは、おそらく最初に数週間は気持ちいいですが、そのうち社会に貢献していない自分、前に進んでいない自分に嫌気が指してくる気がします。

怠惰な傾向を持っていることは自覚しつつ、それと戦ってマスタリーの道を歩み続けたいものです。

*Financial Independence, Retire Early(経済的自立と早期リタイア)

7.けが

 あなたが歩むマスタリーの道が肉体的なもので、その肉体が常人のレベルであれば、どこか途中でけがをすることもあろう。その場合は一時的にか、ことによっては永久にマスタリーの道から下りねばならないこともある。激しくぶつかり合うようなスポーツでなければ、おそらくそういう重傷を負うようなことは避けることができる。人がけがをするのは目的に対してオブセッシブになり過ぎたり、実力以上のことをやろうとしたり、今現在自分の身体がどうなっているかを意識していないことが原因なのである。目標を達成する最良の方法は、今を完全に生きることである。過去の限界を超えるということには、自分の身体との関係の調整を行うことも含まれている。身体からのメッセージを無視したり拒絶してはいけない。

出典:「達人のサイエンス」第12章P150

特にアスリートにとっては「けが」は本当に避けなければならないワナですよね。大きなけがをしてしまうと、数年の離脱、最悪の場合引退しなければならない状況に追い込まれます。

ビジネスパーソンの場合は、どちらかというと精神的なけがへのケアが必要かもしれません。もちろん健康な肉体を保つことは大前提としつつ、家族や友人、職場の仲間と良好な関係を築き、悪影響をおよぼす人や環境からは距離を置くこと。あまりにも理不尽に追い込んでくる環境や、口を開けば人や組織の批判をするだけの人はやはりいるので、改善の努力はしつつもすぐに距離を取り、健康を保つことが重要です。精神も肉体も、傷ついてしまうと回復には相応の時間がかかり、その分マスタリーの旅を歩むことができなくなってしまいます。

8.薬物

 さまざまな薬物は、現代文化が常時約束しているインスタントな成功幻想を与える。早く走ろうとするマスタリーの旅人の中には、プラトーで時間を費やすことなく、薬物を使用してハイな高揚感を体験しようとする者がいる。最初は調子よさそうな感じがしても、習慣になって破滅は避けられない。薬物を使用しているならば、あなたはマスタリーの道にはいない。

出典:「達人のサイエンス」第12章P150-151

あえて薬物が取り上げられているのはアメリカっぽいですね。笑

当たり前ですが、違法薬物を使ってパフォーマンスを上げようとするのは厳禁です。法的にもアウトですし、長期的に見たら肉体や精神をも害するでしょう。

9.賞やメダル

 外的な動機づけが度を越すと、マスタリーの道の歩みが遅くなるばかりでなく、歩みが完全に停止してしまうことすらある。
 いくつかの研究によると、学校の児童は早い時期に「金星」をもらうと、その直後は学習が加速するものの、しばらくすると何度金星を与えても成績は下がっていく。そこで金星を与えるのをやめると、一度も金星などもらっていない生徒たちよりも下のレベルにまで低下してしまうという。
 人間の走る速さの生理的な限界に関する報告によると、チャンピオンになったランナーのスピードが伸びなくなる最大の要因は、新記録を達成してしまうか重要なメダルをもらうことだという。
(中略)
マスタリーの道がどれほど遠いのか、あるいはどれだけのところまで人類が本当に達成できるのか、われわれは決して知ることはないだろう。そして結局、究極の報酬は金メダルではなく、マスタリーの道そのものであると気づくのだ。

出典:「達人のサイエンス」第12章P151-152

いわゆるインセンティブですね。インセンティブ設計は経営やセールス等において非常に重要なトピックであり、一大研究領域にもなっていますが、マスタリーの観点からするとインセンティブはネガティブに捉えられます。

マスタリーは目的ではなくプロセスであり、今この瞬間の鍛錬を楽しむ旅ですが、そこに「金メダル」「報奨金」というものが入ってくると、プロセスへの集中が乱されます。金メダルを取ること、ボーナスを貰うことが目的化してしまい、そこに関係ないことは切り捨てる、そういう行動が奨励されるようになるのです。結果、もともとはコツコツとマスタリーの旅を続けることができている人も、徐々にオブセッシブになっていく、そういう悲しい状況になってしまいます。

短期的なインセンティブではなく、チーム全体でマスタリーの旅について理解し、そこに集中すること。そのような組織を作っていきたいものです。

10.虚栄心

 マスタリーの道を歩み始めた理由が、人からよく見られたかったからという場合もあろう。しかしなにか重要なことを新たに学習するには、まるで馬鹿かと思われそうなことでも進んでやらなければならない。それに何年練習しても、ヘマをしでかすことはある。MVPの候補が誤ってボールを尻に受けてしまったりすると、それは数百万の人々の目にさらされる。先生の前や、友人やクラスメイトらの前で、失敗を恐れてはならない。外見ばかり気にすると、効果的な学習や最高のプレイに必要な、集中した状態には絶対になれない。

出典:「達人のサイエンス」第12章P152

自分が仕事で成果を出せなかったとき、まさにこの虚栄心に囚われていました。なるべく周りからすごく見られたい、早く昇進して馬鹿にしてきた人たちを見返したい…そういう気持ちで働いてしまっていました。そこには、お客さまへの貢献や「いまここ」への集中などかけらもなかったのです。

その結果、オブセッシブな考え方や行動に陥り、結果が出ることもなく、バーンアウトする…そのようなことを繰り返してしまっていました。

10-20代であれば、ある程度虚栄心があるのは致し方ないことだと思います。ただ、そこから早いところ抜け出し、深いところでの快楽であるマスタリーの旅を続ける覚悟ができればいいのかなと感じます。

11.くそまじめ

 マスタリーの道で出会うでこぼこで岩だらけの場所は、もし笑いというものがないならば、苦痛のあまり耐えられないものになるだろう。ユーモアはあなたの重荷を軽くするだけでなく、目の前を照らしてくれる。くそまじめだと視野がひじょうに狭くなる。自分を笑えるようになれば、明るいビジョンを持てるようになる。マスタリーへの航海で仲間を選ぶ時は、残酷なほど厳しい人、うぬぼれの強い人、くそまじめな人に用心しよう。

出典:「達人のサイエンス」第12章P152

これもぼく自身陥りやすいワナです。特にオブセッシブになっている時は、笑う余裕も笑わせる余裕もなくなり、重苦しい雰囲気にしてしまうことがあります。マスタリーの旅は永遠に続くものであり、プラトーが続くと苦しく思うこともあります。

そんなときにまじめ一辺倒だと、いやになってしまうこともあります。どんなときでも笑顔を忘れず、かつ周りを笑わせていけるような、明るい人になれたらいいなと思います。また、まじめで誠実なのはもちろん大事ですが、おおらかな明るさを持っている人と一緒にやっていきたいですし、そういうチームを作る努力もしていきます。

12.一貫性がない

 練習が一貫しているのは、達人の特徴だ。練習を(実行が可能な)特定の時間と場所で行なうことによって、リズムができ、やる気が出て、マスタリーの道を歩み続けられるようになる。練習の前後や最中に、お気に入りの儀式を行なうことだって役に立つ。
(中略)
練習に一貫性がないと練習時間がとりにくくなり、またとれたとしてもすべてが以前より難しくなってしまう。しかしニ、三回練習をさぼってしまったとしても、それを口実にして止めてしまうようではいけない。マスタリーの道には曲がりくねった道や急カーブが少なくないので、柔軟な戦略や行動が必要になる。

出典:「達人のサイエンス」第12章P153-154

あれもやってこれもやって、というダブラー的な行動ではなく、毎日毎日粛々と決まったメニューをこなしていく。一方、それに固執することなく、さらに良いやり方があったら柔軟に方向修正をし、また毎日粛々とやっていく。それがマスタリーの道です。

同じことを繰り返すのは、正直面白いことではありません。より華やかで結果が出やすそうなアプローチに惹かれるのもよくわかります。しかし、そんな誘惑をグッとこらえ、粛々と一貫性のある行動をしていく。その一貫性をも楽しむ。それがマスタリーなのです。

13.完全主義

 現代のテクノロジーによって、われわれは多くの人々の成し遂げた見事な偉業を茶の間にいながらにして楽しむことができる。しかしこれは、ある意味で残念なことだ。
(中略)
 こうした現状では、マスタリーについてどう話しても意味がないように思えてくる。そして、単純に自己批判的になる者も出てくる。世界のトップランクと自分との違いを考えることもなく、自分ばかりか他の誰にも到達できない高い基準を設定してしまう―これほど創意性を破壊するものもない。完璧さがマスタリーなのではない、ということにわれわれは往々にして気づかない。マスタリーはプロセスの中に、旅そのものの中にあるのだ。
 達人とは、明けても暮れても道を歩み続ける人間なのだ。進んでトライし、失敗し、そしてまたトライし、生きている限りそれを続ける人間のことなのだ。

出典:「達人のサイエンス」第12章P152

マスタリーにはゴールはありません。上達をするかどうかもわかりません。その道の大半はプラトーであり、何も進んでいないように思えるのです。そんな中、「完璧でないとダメだ」という思いこみをもっていたら、本当に何もできません。何もできないのです。

テクノロジーの発展で、世界中の人たちが成し遂げた偉業を誰もが簡単に知ることができるようになりました。そして、そのような最高の結果を出した人たちと、今まさに挑戦のさなかである人を比較し、「あいつ、この程度しかできてないぜww」と嘲笑する批評家もたくさんいます。

自分がやっていることを馬鹿にされたくない。笑われたくない。だから、実力がつくまで、完璧になるまで待とう。

そういう気持ちはよくわかります。ただ、待つだけでは何も起きません。もちろん、鍛錬を繰り返しても何も起きないかもしれません。何か起きるのは15年後かもしれませんし、一生起きないかもしれません。そして、その途上で多くの人に笑われ、バカにされるかもしれません。

しかし、それらの雑音にとらわれることなく、正しいことを粛々と積み重ねること。それがマスタリーの道なのです。

達人への道を歩み続けることこそが「充実した生」なのではないか?

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます!とても嬉しいですし、おいしいコーヒーでも飲みながら本書についてより具体的に、パーソナルな経験も交えながら何時間でも話したいなと思います。

この本は、手軽に何かしらの思考法や成功法則を学ぶ、というカジュアルな本ではありません。そこまで厚い本ではないのですが、人生において大事なことがギュギュっと濃縮されていると感じます。

一貫して語られているのは、「マスタリー(達人への道)」です。

そもそもマスタリーとは何なのか、マスタリーにおける重要概念であるプラトーとは何で、それをどう楽しむべきなのか、マスターになるために重要なポイントは何か、マスタリーを続けるためのエネルギーはどうすれば得られるのか、マスタリーの道から外れてしまうワナはどのようなものがあるのか。

個人的に、「人生とは何か?」という深遠な問いを考える際に、外せない本になりました。人生とは、マスタリーの道を歩み続けること、という定義は個人的にはしっくりきます。

もちろん、社会的に大きなインパクトがあることをして、人類に貢献できればと思いますし、愛する家族や友人たちと楽しい思い出をたくさん作りたいですし、おいしいものもたくさん食べたいですし、世界一周旅行もしてみたいです。

ただ、もしそれらがひとつも叶えられなかったとしても、それでも「この世に生まれてきてよかった」と心の底から言えるように、マスタリーの道を歩み続けていければと思います。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!もしまだオリジナルの「達人のサイエンス」をお読みでない方がいらっしゃったら、ぜひ読んでみてください。オブセッシブな思考が蔓延する現代だからこそ、価値がある本です。

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