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短編340.『オーバー阿佐ヶ谷』40

40.

 『ソルト・ピーナッツ』は住宅街と飲み屋街の境目にある。だから、私のアパートから一番最短の飲み屋はスターロードの果ての『ソルト・ピーナッツ』になる。だから口開け一発目、帰りしなの一杯は必然的にここになってしまう。だからこそ、泥沼に足を取られて朝を迎える日があるのも致し方ない。
 今日もまずは『ソルト・ピーナッツ』で正体不明の酒を肝臓に流し込んでハイになり、そこからどこか別の店に流れようと思っていた。【酒場という聖地へ 酒を求め 肴を求めて彷徨う】酒場詩人 吉田類のように。

          *

 雪でも降りそうなほど寒い夜だった。クリスマスが近く、道沿いの一軒家の飾り付けはその浮ついたムードを煽っていた。毎日が金曜の夜みたいに。スーツの上に羽織るべきものを持たない私は「これも一つのスタイルだ」と自分に言い聞かせながら、凍える指先をポケットに突っ込んだ。【Style is Everything】それは絶対だ。

 静かな住宅街を抜け、あと一つ角を曲がれば騒がしき歓楽街スターロード、という時だった。民家の壁や道路に反射する赤灯。それは一箇所を断続的に照らしている。私は足を止めた。財布と煙草の箱を取り出し、”所持”していないか入念にチェックを行った。OK。金は無いが”所持”もしていない。出掛ける前に消臭剤代わりのディオールの香水も身体中に満遍なく振りかけてある。抜かりはなかった。

 角からそっと顔を覗かせる。人垣の奥に二台のパトカーが道を塞ぐようにして停まっていた。それはちょうど『ソルト・ピーナッツ』の目の前だった。

 ーーーどうせ酔っ払いの喧嘩か何かだろう。

 私は人垣に近づいた。鼻唄混じりに(何せ”所持”していないから幾らでも強気に出れる。カモン職質、いつでもウェルカムだ)。人垣はパトカーを囲むように二重三重にもなっていた。たかだか酔っ払いの喧嘩とも思えなくなってきた。

 パトカーの奥で『ソルト・ピーナッツ』のドアが開き、二人の警官に脇を固められる形で店主が顔を見せた。俯き加減、ボサついた髪の毛。両腕を拘束する手錠は店のタオルで隠されている。どう贔屓目に見ても、その姿は下手人(げしゅにん)そのものだった。ーーーパトカーが来てるってことは脱税とかでは無いだろう。何かしらの事件には違いない。

 特に抵抗する様子もなく神妙な顔でパトカーに押し込まれた店主はサイレンの音と共に連れ去られた。それに合わせて人垣も三々五々に崩落していった。私は今宵、飲む場所を失った。





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