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喇叭亭馬龍丑。日記「LADYJANE初訪問〜阿部薫と絡めて長々と〜」8/11(日)

2024.8.11(日)

「LADYJANE初訪問〜阿部薫と絡めて長々と〜」

 佐藤えりかさんと廣木光一氏のデュオを聴きに下北沢LADYJANEまで。LADYJANE、である。先日の仕事中に訪問先を探して迷子になった果てに偶然、辿り着いたLADYJANE。「いつか行きたい」と思いながらSNSを開いたタイミングで、えりかさんがLADYJANEでデュオを演るという告知。はい、奇跡!引き寄せ〜。知らんけど。

 こないだ四谷三丁目のセッションの折、隣り合ったシンガーの方に教えて貰ったのだが、LADYJANEは松田優作ゆかりのバーらしい。凄い。でも、…松田優作なんてどうでも良いんだ!俺にとっては!

 LADYJANEにはかつて、阿部薫が鈴木いづみ等と二、三回来てジンを飲みながらエリック・ドルフィーをリクエストしていた、という事実の方が重要事項。『ブラックレイン』?こちとら『彗星パルティータ』やぞ!『なしくずしの死』やぞ!という訳で。

 店の木製ドアを開ける。The Bar、といった佇まい。「かつてここに…」という気持ちは狂信者の聖地巡礼、のそれである。メッカやエルサレムに並ぶ、下北沢、といったところ。

 えりかさんと廣木光一氏の演奏は、書くまでもなく凄いに決まっている。でも、えりかさんの生音でのウッドベース演奏は初めて聴いたかもしれない。芯の太い、大地みたいな音。その音でウォーキングされた日にはもう…。昇天です。

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 ここ(下北沢LADYJANE)に来る前に阿部薫『ラスト・レコーディング』を聴いていた。文字通り、阿部薫最後の演奏。

 人は自分がいつ死ぬかなんて分からない訳で、本人的にはこの先を見据えた第一歩としての演奏を行っていたとしても、あとに残されたリスナーにとっては最晩年の演奏となってしまう不条理。

 どんな偉大なミュージシャンでも、ファンによって好きな時期というものはあると思う。

 阿部薫は特に「やっぱ初期だよな〜」って人は多い。でも、後期阿部薫が勿論好きな人もいる。完全ソロ演奏派もいれば、(絶対数は少ないながら)トリオやデュオ派の人もいるだろう。人さまざまザファッカー。

 そんな中でも『ラスト・レコーディング』である。死後、あらゆる方面から大量に発掘されたテープによって、日の目を見た一枚。

 札幌市の「街かど」で行われ、『ラスト・デイト』として発売されていた1978年8月28日の演奏の更に翌日。北海道は室蘭「DEE DEE」にて。これが今現存する中での本当の最後。(実際の演奏は翌日、旭川 「志乃」が最後の旅路となった)

 短いリハーサルを挟んでの、僅か16分8秒ばかりの追憶。1978年の8月29日。事実、阿部薫は1978年9月9日に中野病院で逝く訳だからほんの十一日前のこととなる。

 死後に、本人の許可なく(それは勿論、原理的に無理だけど)、残された断片を発掘発売し、それを聴くという行為は、王家の墓を盗掘する盗人のような心持ちになるけれど、(チャーリー・パーカ―しかり、数多のジャズジャイアンツしかり)貴重なパブリックドメインとして享受させて頂いている。(そして救いは、阿部薫の発掘音源のほとんど全ては制作者達の愛によって賄われているという点)

 ここで聴こえてくる音は、(「最期の演奏」という伝説的先入観を抜きにしても)行き着くべきところまで行き着いてしまったかのような、内臓がひっくり返った様を連想させる、叫びというか悲鳴の如き音。(いつも通り、といえばいつも通り、異様、といえば異様)

「僕は誰よりも速くなりたい」と語った阿部薫。もうこの先なんてない。極北。(最後の演奏の舞台が北海道なんてホントに象徴的皮肉だ)

 アルトサックス特有のメカニズムが軋む音はどこまでも冷ややかで、剥き出しにされた音の羅列はこの世界に飛び出した瞬間に凍りついて次々に落下していく。

 このアルバムのこの音を聴く度いつも脳裏に浮かぶのは銀色の骨格が露わになったターミネータ―、である。最終戦争後の荒野を人骨踏み潰して進む、あのターミネーター。ジェームスキャメロン、アーノルド・シュワルツェネッガー。ダダンダンダダン。

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 阿部薫関連の本で有名なのは『阿部薫覚書』(とその再編集改訂版である『阿部薫1949-1978』あたり)であろうか。その原本は1989年に出ている。その頃にはまだ阿部薫の生演奏を聴いたことのある人達の記述が目立つ。(共演者もまた然り)

 しかし、コロナ禍であった2020年に出版された『阿部薫2020ー僕の前に誰もいなかった』にもなると、執筆陣の中に生で演奏を聴いたことのある人の割合が極端に減っている。

 それが時間の流れの必然というものであるのだが、ここで不思議な現象が起きている。

 生演奏を聴いた人達の感想に「阿部薫の演奏に死の影を見出す」ような記述が多い一方、CD等だけで接した人達は真逆の「生命力の横溢」を感じ取っている記述が多い。

 不思議だ。受け取り方は人それぞれ、とは云うものの、不思議だ。

 音楽から受ける印象がこうも180°転回してしまうのは、生き抜いてきた時代的背景によるものなのだろうか。たとえば全共闘的混乱を知るものは、阿部薫の演奏に濃厚たる死の匂いを嗅ぎつけ、その後の世代に於いては音列の中から生の息吹を見出す、みたいな。

 ドストエフスキーに代表されるような、優れたテキストは複数の読みを可能にするが、音楽もまた然り、といったところか。

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 もう今や阿部薫ゆかりの店も数少ない。一番行ってみたかった店である初台「騒」は産まれ落ちる前には既に無く(1984年消失)、その主であった騒恵美子氏も鬼籍に入られている(2011年御逝去)。だからという訳ではないがLADYJANE、貴重な聖地である。帰り際、店内の空気を目一杯胸に吸い込んだ。


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