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短編330.『オーバー阿佐ヶ谷』30

30.

 昨夜は俳優に格の違いを見せつけられてしまった。西麻布という立地的優位性、隠れ家的バー、高い酒、金払い。全ての点で負けていた。一刻も早く怪物を捕まえて、私も救ってもらわなければならない。メジャーシーンへの殴り込みの準備はとっくに整っている。あとはきっかけさえあればーーー。

 朝の陽光は台所から差し込み、部屋全体を明るく照らしていた。そのせいで四畳半は一層にみすぼらしさが目立つ。ここは私の居場所ではないように思えてきた。昨日、小牧の話を聞いたせいかもしれないが。『スカーフェイス』のポスターは土壁に居心地悪そうに貼られ、トランペットは剥き出しのまま畳の上に転がっている。あらゆるものが「ここじゃない」と叫んでいた。

 太陽光で透過された紫色の煙越しに『PIMP』の表紙の文字が光って見える。ーーー女を使って商売をするスキルはどうやら私にはないらしいぜ、アイスバーグ。
 手の内に残されたメイクマネーのカードについて考えてみる。ラップとラッパともの書き業。どれも未だに芽の出ない不良種ばかりだった。
 ”野菜”直送便のアルバイトは胴元から根こそぎ警察にガラを攫(さら)われ、頼みの綱(ジョーカー)の怪物は行方知れず。
 ということは何もなかった。手持ちの札で作れる役はポーカーで言う”ノーハンド”というやつだった。


 S53はラッパーの当たり年で豊作だったが、それより数年下った年に産まれた私には何の実も実らず、根腐れだけを起こしていた。

 ーーー全ての経験はアートに還元され、メイクマネーに絡みつく。この悔しさ、泥を舐めたその味、集大成。もはや俺の存在こそがアートだ。

 私は”ジョイント”を消して、シケモクにした。

          *

 メロウな気分に浸りたかったので、Lil Robの『Neighborhood Music』を流した。真っ黒なギャングスタ・ラップとはまた違い、水彩画のパレットを思わせる色彩豊かな感覚を抱かせるチカーノ・ラップ。スペイン語訛りの英語が混ざっているせいかもしれない。

 あまりにも哀しいと人生は人に文章を書かせる。そうして自殺者の枕元には遺書だけが残る。薬瓶と共に。幸いまだ死ぬつもりはなかった。ラッパーは殺される以上に華々しい死に様はない。ドライブ-バイをされようにも車すら持っていなかった。
 マシンガンの代わりにペンを取り、ノートにリリックを綴った。

精神異常
木洩れ日こそ無双
令嬢の指にはめた結束バンド
手錠以上令状getta-out
『ライン引いて鼻から吸引』
これが俺のパンチライン

 そこまで書いたところでスマートフォンが振動を始めた。悪い知らせしか伝えない現代の恐怖新聞が。画面には非通知の文字。つのる嫌な予感だけは外れたことがない。

「もしもし?」切迫の極みのような声だった。「今どこにいますか?」と真妃奈は言った。
「俺 in da House.」
「驚かないで聞いてくださいね」
「オーケー。今度は誰が死んだんだ?」
「ワタシ、見ちゃったっぽいんですよね」そこで大きく息を吐くような音が聞こえた。「怪物」




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