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短編142.『ニッポニアニッポン男児』

 彼は古い男だった。

 道徳を重んじ、倫理を遵守し、国体を護持する。理想に生き、価値に殉じ、花と散る。

 ーーー命など借り物に過ぎない。どうこの国の未来に役立てるか?それだけが問題なのだ。

 常々、そう言っていた。

          *

 産まれ落ちる時代を間違えたのだろう。幕末、せめて明治初期なら随分と生きやすかったに違いない。そうすれば、仲間も見つかったのかもしれない。
 もしくは昭和初期であれば華々しい活躍が期待出来たかもしれないし、潔い死に場所も在っただろうか。

 ーーー滅びゆく価値観の象徴。自分ではそう考えていたらしい。

 古風などではなく、ただのお古だった。博物館に飾られる種類のアンティークさではなく、ただ忘れ去られるだけの。

 絶滅が危惧されることもなく、誰に気付かれず消えていく。そんな生き物だったといっても過言ではない。もし誰かが稀に思い出したところで、もうその姿はない。だからといって惜しまれることもない。朱鷺よりも哀しき人間。ニッポニアニッポン男児。

          *

 彼は常に【修身】と書かれたTシャツを着ていた。だからという訳ではないだろうが、彼は生涯独身だった。

 夏も修身、冬も修身。

 そんな男に寄り添う大和撫子なんておらず、いやそもそもの初めから大和撫子など存在したことはなかった。少なくとも私は会ったことがない。

          *

 彼は遅れてきた日本男児だった。日本男児が不必要な時代に出現した生え抜きの日本男児。それは合コンに遅れて来るのとは訳が違う。そこに期待も無ければ、失望されることもない、静かな生。誰にも理解されない思想を抱え、持て余した情熱は人々を迷惑がらせた。時が時なら、ひとかどの人物になっていたのかもしれない。ただ、時代が彼にそぐわなかったのだ。

 彼は精神的孤独を生き、絶対的平和の中に死んだ。日本刀が彼の背中を突くこともなければ、南方の孤島で骸になることもなかった。白く機能的な部屋の中、誰に看取られることもなく。
 心電図モニターの異変に気付いた夜勤の看護師が駆けつけた時にはもうこと切れていたらしい。深夜三時。それは静寂が群れをなす静謐な時間だった。

 人はそれを平凡な一生と呼ぶ。

          *

 彼には全てが用意されていなかった。時代も環境も求められるものも。

 散り際に流した涙すら、乾いて誰に拭き取られることもなかった。



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