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喇叭亭馬龍丑。日記「ベニー・ゴルソンがよ」5/23(木)

2024.5.23(木)

「ベニー・ゴルソンがよ」

『I Remember Cliffrod』にチャレンジしている。とてもとても良い曲だ。若くして逝ったクリフォード・ブラウンに捧げられた一曲。

 1956年6月26日の雨降る夜、リッチー・パウエルの妻ナンシーが運転する自家用車でシカゴへと向かう途中にクリフォード・ブラウンは事故死した。享年二十五歳。この事故で三人共に死亡。(リッチー・パウエルはバド・パウエルの弟だ)

 数多あるジャズの悲劇のうちの一つである。

 ブラウニーは、ヘロイン禍にあったバップシーンに於いて珍しいクリーンなトランペッターだった。

 チャーリー・パーカーに憧れ、「ヘロインさえ打てばあんな風に吹けるのでは?」と迷走したジャズメン達にとってその存在はさぞ衝撃的だったろう。

*

 黒本を頼りにメロディをなぞるだけでなんとも言えない気分になる。哀しいのか、美しいのか、寂しいのか、気持ち良いのか、吹いている自分が今どういう気持ちなのか分からなくなるほど。本当にベニー・ゴルソンは良い曲を残した。

 アイ・リメンバー・クリフォード。こんな曲無ければ無い方がきっと良かったのだろう。ジャズの未来にとっては。

 原曲でこのメロディを吹くのはブラウニーと入れ替わりにシーンに現れた悪童リー・モーガン。曲を流しながら一緒に吹いてみる。全然音が重ならない。

 ユニゾンして初めてそのジャズメンの凄さが分かる。チャーリー・パーカーしかり、リー・モーガンしかり。前後するリズムで遊びながら、細かくタンギングしたり、ヴィヴラートをかけたり。悪童リー・モーガン、相当に芸が細かい。

*

 先日、吉祥寺のアーケードを夜歩いていると、お笑い芸人見習いのような人が「一分だけ僕たちの漫才見ていきませんか?」と道行く人々に声をかけていた。

ーーーチャンスだ、と思った。

 声をかけてくれたら「見ます見ます!見るんで代わりに僕のトランペットを三分だけ聴いてくれませんか?」と返して、『I Remember Cliffrod』を吹いてみよう、と思った。アーケードに反射する騒音で警察が来ても、一曲でバックレれば良い。怒られるのはお笑い芸人見習いだ。へへ。

 その時を待った。徐々に近づくお笑い芸人。僕の少し前を歩く人に声がかかる。「一分だけ僕達のお笑い見ていきませんか?」そうだ。それで良い。通行人は首を振って歩を早めた。

ーーー良し。次、俺の番〜。

 鼓動が高鳴る。お笑い芸人の鼻先をかすめるように歩く。

ーーーカモンメ〜ン。

 無音。お笑い芸人の顔が俺の後頭部に消える。

ーーーあれ?スルー?

 思わず振り返る。お笑い芸人は次の通行人に声をかけていた。「僕たちのお笑い、一分で良いので見ていきませんか〜?」至極、笑顔で。
















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