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短編313.『オーバー阿佐ヶ谷』13

13.

 日払いの給料を受け取り、一度家に帰ってから日大二高通りにあるスタジオに個人練の枠で入った。壁に染み込んだ煙草の臭いが絶えずホロコーストのガス室のように出入りする、そんなスタジオに。

 MacBookをスピーカーに繋ぎ、GarageBandに自分で打ち込んだトラックを流す。緩めのBPMに怠惰なベースライン。時々、思い出したようにオルガンが鳴る。一、二音で途切れるそれはセロニアス・モンクが寝しなに鍵盤を叩く様を想像しながら創ったものだ。
 私はマイクを握り、そのトラック上でフリースタイルにラップをしていく。韻というハシゴで言葉と言葉を繋ぎ、グルーヴという粘着剤でそれを接着させる。トラックが鳴り続けている間は言葉を途切らせないのがマイルール。そうしてマイクに向かって大量の言葉を吐いていくうちに、自分でも思ってもみなかったようなワードが飛び出すのを待つ。脳の何処かを経由して形を現した、神の言葉。手持ちの語彙が枯れ尽きた果てに辿り着く墓場の卒塔婆に書かれた大日如来のSiddha。綴るリリック、啜るメドエイク。What’s メドエイク。そんな言葉、既存の辞書にはない諸刃の刃。

 ーーーーとはいえ。

 一時間五百円を費やした割に、さしたる生産性はなかった。芸術と資本主義は相容れない。ワインを丼鉢に入れるようなものだ。そこには情緒も優美さも反省すらない。
 まぁそういう日もある。全てが上手くいく訳じゃない。常にいつもgoodだったら、それはbadであるのと変わらない。

          *

 スタジオという密閉空間で煙草臭くなった服を着替え、遅い昼飯を作った。パスタを茹でている間に、ニンニクと唐辛子を刻み、アボカドを細切れにする。フライパンにオリーブオイルを敷き、ニンニクと唐辛子を炒める。茹で上がったパスタのお湯をよく切ってからフライパンに投入し、アボカドと一緒に軽く混ぜる。そこに永谷園松茸の味お吸い物の粉を振りかけ、余熱で絡ませる。皿に盛りつけてから鰹節と醤油を振りかければ、和風アボカドペペロンチーノの完成だ。カフェで出せば千五百円は取れる出来だった。

 飯も食って煙草を吸ったので、昼寝でもしようかと思う。ーーーなんていい身分なんだろう。人はそれを現実逃避と呼ぶのかもしれないが、これが俺の現在。社会からはとうにつまみ出されている嗚呼、無常。

 宣言通りに寝転がる。俺は俺の言葉にだけ忠実だ。ラッパー on the 畳。全く絵にならなかった。金が出来たら引っ越そう。港区辺りのタワーマンションにでも。一部屋をスタジオにして、そうだ、ヘネシーを並べたバーカウンターも併設しよう。そこでの私はもう”何者か”になっていて、きっと葉巻でも吸っているだろう。カストロの一声が生んだキューバ産コイーバでも。勿論、太巻きのブラントでも良い。歯で噛むように咥えて、下肢の細巻きは歯立てさせないように咥えさせる。ーーー細巻き、だと?うるせぇな。

 夢は夢として見たままに、傍らのスマートフォンを掴み、今やアーティストの主戦場の一つとなったSNSというバトルフィールドを開く。別に「いいね!」が付いたことを知らせる(福音にも似た)通知があった訳じゃない。そんなものアカウントを作ってから来た試しがない。来るのは、雨後の筍の如くに現れる捨て垢によるFXへの勧誘詐欺くらいだ。そしてそんなものに引っかかるほど情弱じゃない。

 私が今朝、投稿したリリックには何の反応もなかった。ハートマークは空欄の灰色。リツイートの横に数字は空白。

 聴衆は周りの無視を踏襲。
 嘲笑噛み殺してスルー。
 だけど俺は猛将。
 まるで曹操。
 三国志一の人気者。
 9回裏でひっくり返す俺は英雄。
 そのうち銀座で豪遊。
 間違いない未来はすぐそこ。

 私の投稿の上下に表示された#詩には百を超える「いいね!」が付いていた。



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